第22話 貴方色に染められて
「コルデリア……」
悄然と城へ帰ってきたわたしを見て、ジュリアンは絶句した。
「君、ひどい顔色だよ」
「父に置いていかれたわ。わたし、戦う方が得意なのよ。魔法で国を護るより!」
乾いてひび割れた唇の間から、かろうじてわたしは声を絞り出した。公女の義務は神聖だ。だがきっと、ジュリアンならわかってくれるはず。
「呪文は苦手だわ!」
ジュリアンは目を丸くした。
「君、従軍しようとしたの? 僕を置いて?」
「え?」
正直に言うと、ジュリアンのことは、すっかり忘れていた。窓から下を見たら、兵士らが進軍しているので、とりあえず馬に飛び乗って、後に続いたのだ。
「ひどいな」
「ごめんね、ジュリアン」
「いいよ。戻ってくるのはわかっていたから」
書き物机の上から、つぶらな瞳で、ジュリアンはわたしを見つめていた。
「ズンダモチに言い含めておいた。君が僕を置いていくことがないように、ってね」
ズンダモチというのは、わたしの愛馬の名前だ。目下のところ、イヲを除いて、わたしの一番の親友でもある。人間より、ずっと気心が知れている。
あら。ジュリアンは友達ではなくてよ? 彼はカエルよ? 元婚約者で、現在飼育中のわたしのカエル。かわいくてけなげで、最も身近な存在。親友ではないわ。
「だから、あの時、ズンダモチったら、急停止したのね」
ズンダモチが後ろ足で立ち上がったのは、軍の先頭からお父様の声が聞こえてきたからではない。ジュリアンに言いつけられていたからだったんだ。
ん?
ええと。ズンダモチはわたしの親友。ジュリアンは違うけど。
あれ? あれれ?
「ジュリアン、あなた、ズンダモチと友達になったの?」
「うん」
信じられない。だってズンダモチは、とんでもない荒くれ馬で、わたし以外の人には決して懐こうとしないのよ!
あ、カエルは別なのかしら。なにしろ、ジュリアンったら、とっても愛らしいから。でも、レメニー河岸辺で、初めてジュリアンに会った時、ズンダモチは、彼を背中に乗せるのをひどく嫌がっていたけど。
くすりと、ジュリアンは笑った。
「僕とズンダモチは、同志だからね。ふたりとも、コルデリア、君の為なら、なんだってやる。ところでズンダモチって、変わった名前だね」
「そうかしら」
いい名前だと思うけど。
ジュリアンは首を傾げた。
「この頃君は、どこかに行っていることが多かったから、」
「従軍させて欲しいって、父に頼みに行っていたの」
「やっぱりね」
「取り付く島もなかったわ」
「そうだと思った」
なんてこと! ジュリアンには全て、お見通しだったのかしら。
「君がいない間、気晴らしに、乗馬をしていたのさ。ズンダモチが協力してくれてね。お陰で、馬酔いもしなくなった。人間だった頃の感覚を思い出して、上手に馬に乗れるようにもなった」
わたしは感心した。乗り物酔いを克服するなんて。きっとすごく頑張ったのね。
「ジュリアン、凄いじゃない!」
「ケロケロ」
少し口を開いて、ジュリアンはにへら~と笑った。見ているだけで幸せになれそうな笑みだ。でも、彼が続けた言葉は、とても物騒なものだった。
「僕だって、戦えるぞ! さあ、コルデリア。僕を戦場に連れて行っておくれ!」
「あのね、ジュリアン、」
わたしはジュリアンに話して聞かせた。
モランシーの独身の公女の務めを。
「そうすると、君の聖なる義務というのは、モランシーの領民と彼らの財産を守ることなんだね?」
ジュリアンが言い終わった時だった。
凄まじい風圧とともに、ドアが開いた。
編み込んだ髪を頭の回りに巻き付け、白い戦闘服を身に着けた戦士が立っていた。袖が大きく膨らみ、同じく膨らんだズボンの裾は、黒いブーツにたくし込まれている。
異母姉のフェーリアだ。わたしと共に、モランシー守護の、重大な任を負う……。
フェーリアは言った。
「行くぞ、コルデリア。北の国境へ」
「北の国境ですって?」
レメニー河を渡河したスパルタノス侵略軍は、西へ向かっている筈だ。
だからこそ、父は大軍を連れ、出陣した。レメニー河沿いに敵が南下し、モランシーを襲う確率は低いと判断したから。今現在、モランシー守備軍は、とても小規模だ。
フェーリアが鼻を鳴らした。
「シェーヴェンからの難民の最後尾を、スパルタノスの分遣隊が追尾している。卑怯にもやつら、民間人から略奪をするつもりだ」
「それは大変!」
シューヴェンの難民は、イヲの国の民だ。ここでわたしが出ていかなくてどうする!
わたしは、超特急で戦闘準備を始めた。
ちなみに、モランシー公女の戦闘服の色は白だ。どこかの国では、白を、純潔の色というそうね。何色にでも染まるというわけで、(将来的に夫の色に染まることを期待して)花嫁のドレスの色に採用されていたりするとか。
が、モランシー公女の場合は、白は、戦闘服の色だ。染まるのは、「花婿色(何色なのかしら?)」ではない。
ジャングルなら草木の汁の色に。レメニー河畔なら、泥の色に。
保護色ってやつよ!
そうそう、前にジュリアンが話していた、カエルの色が変わるのと同じね!
ただ、保護色に染まりきる前に、若干悪目立ちするのが難なのよねえ。狙い撃ちされやすくていけないわ。まあ、敵の照準を、部下の兵ではなく公女自身に集めるのは、大切なことなんだけどね!
それに、白は、染料が要らなくて安上がりだわ。だから、モランシー公女の戦闘服の色は、これからも白であり続けると思うの。
「僕も! 僕も連れていって!」
机の上で、ジュリアンがぴょんぴょんと飛び跳ねた。
少し遅れて、わたしは、世にも奇妙な悲鳴を聞いた。
「きゃっ!」
フェーリアだ。まるで女の子みたいな悲鳴を、彼女はあげた。フェーリアは女の子だけれど。
「男! 男!」
「落ち着いて、フェーリア。義姉さんには、紹介していなかったけど、こちら、ジュリアンよ」
「だから男!」
フェーリアは、修道院で暮らしている。わたしと違って、彼女は神の覚えがめでたいのだ。それで、尼僧たちの価値観を、骨の髄まで刷り込まれてしまったに違いない。
いわく、男は邪悪なイキモノだ、と。
もっとも、修道院に入る前から、彼女は、男嫌いだった。よほどのトラウマがあるのだと、双子の姉のデズデモーナが言っていた。だが、詳しい話は聞かされていないので、わからない。
「男オトコ男!」
「大丈夫よ、フェーリア。確かにジュリアンはオスだけど、彼はカエルよ? 両生類なのよ?」
「……」
ようやく、フェーリアは叫ぶのを止めた。机の上のジュリアンをしげしげ眺めている。
「お初にお目にかかります、お義姉様」
ジュリアンが挨拶をはじめた。少し緊張しているみたい。両手を前について後ろ足を折り畳むという、正式なカエル座りをしている。とても礼儀正しい。
「ロタリンギアのジュリアン・ヴォン・ヴェルレです。どうかよしなにお願い致します」
「ロタリンギアだって!」
金切り声で姉は叫んだ。
「甘やかされて育った挙句、廃嫡された、廃太子だな!」
「フェーリア!」
いくらなんでも言いすぎよね。その通りだとしても。
「今は、コルデリアの騎士をやっています。僕の価値は、それだけです」
落ち着いた静かな声だった。フェーリアにひどいことを言われたのに、怒っている様子は、みじんもない。
「騎士?」
フェーリアの目の色が変わった。
「お前、戦えるのか?」
「もちろん!」
「嘘よ!」
ジュリアンの返事を、わたしは打ち消した。だって、カエルよ? いったいどうやって戦うっていうのよ?
というか、彼が怪我をしたり、もし、もし万が一よ? 死んでしまったりしたら、わたしはどうしたらいいの? かわいいカエルのいない世界では、生きていける気がしないわ!
「ジュリアンは、戦闘用じゃないの! 癒し用なの!」
「戦えないやつは無価値!」
一言いい放ち、フェーリアはくるりと背を向けた。
「早く来るのだ、コルデリア。私たちの保護を求めて逃げてきたシューヴェンの人たちを守らねばならぬ」
「もちろん!」
イヲの民を見殺しになんかできないわ!
戸棚から純白の上着を引っ張り出し、羽織った。やけに重い。ポケットの辺りが、じっとり湿気ている。見ると、やっぱり、ジュリアンが入っていた。
「ごめんね、ジュリアン。連れてけない」
両手をポケットに入れて、そっと掬い出しながら、わたしは言った。
「なぜ? なぜなの、コルデリア!」
「これは、モランシーの公女の務めだから。あなたを巻き込むわけにはいかないわ」
「僕は君の騎士だ!」
「わたしを守って」
薄青色の小さなジュリアンを、机の上に戻した。
「城に帰ってきたら、戦いで傷ついたわたしの心を、どうか癒してほしいの」
「一緒に行く! 一緒に行く! 一緒に行く! ケロケロケーッ」
激しく鳴きたてるジュリアンをそのままに、わたしは小走りに、フェーリアの後を追った。
◆───-- - - -
※
サブ・タイトル詐欺、すみません。
ジュリアンはコルデリアの(スカートの)色になりましたが、コルデリアが染められるのは、レメニー河の泥色です。多分。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます