第19話 三通目
ユリウスさま。とてもとても心のこもったお手紙を、ありがとうございました。ぶ厚く、しかもものすごく重い封筒を手に取った時には、この中身が全部ユリウスさまのお手紙なのかと、わたくしは今からこんなにもたくさんのユリウスさまの文章を読むことができるのかと、もうその驚きと嬉しさで頭がどうにかなってしまいそうでございました。
丁寧な時候の挨拶の後、カタリーナはそう書いていた。
あまりに率直な喜びの表現に、読んでいるユリウスも何やら気恥ずかしくなってしまって指で頬を掻く。
カタリーナからの今までの手紙には、ここまで直接的な表現は見られなかった。
貴族の令嬢らしい奥ゆかしい表現が精緻な筆致で綴られていて、その美しさにユリウスはやや気後れしながらもうっとりとしたものだ。
だが、今回の手紙は違った。
生身の、カタリーナ。そう書くとひどく生々しいようだが、そう表現するほかないような、気取らない、飾らない表現に溢れていた。
今までの手紙も良いが、この手紙は格別に良い。
ユリウスは思った。
こういう書き方をしてくれているということは、カタリーナ殿も私にだいぶ心を許してくれたのではないか。
にやけそうになる顔を必死で取り繕いながら、ユリウスは彼らしくもないそんな分析をしてみた。
自室でにやけたからといって、別に誰に見られているわけでもない。だが、こんな顔は人には見せられぬ、とユリウスは思った。
それにしても、同じ方が書いてくれた手紙でも、こうまで違う表情を見せるものなのか。
ユリウスは半ば感心しながら手紙を眺める。
一番最初に届いたカタリーナの手紙は、きちんとした格式に則った文章で書かれていた。内容は確かに私的なものであったが、注意深く様式を整え、外国の騎士に対して決して失礼となることのないよう、細心の注意が払われていた。
ユリウスが返事を書いた後、次に来たカタリーナからの手紙は、文章が少し砕けてはいたが、やはり儀礼的な面も多分に匂わせる、格式ばった表現が随所に見られた。
しかし、この三通目のカタリーナの手紙では、前の二通のそういった表現がほとんど影を潜めていた。
ユリウスさま。わたくしは、こんなに幸せなことがあっても良いものかと信じられぬ気持ちでございました。
そういった、暖かい口語調の文章。
まるでカタリーナが目の前にいてユリウスに直接語り掛けてくれているような、そんな親しみを感じさせてくれるものだった。
ちょうど、あの武術大会の夜にかわした会話のように。
その理由を、ユリウスはカタリーナが心を開いてくれたからだと考えた。
三通目にして、カタリーナ殿が自分を見せてくれたのだ、と。
それは確かに一面では正解だったが、彼は重大な別の側面を忘れていた。
カタリーナの心をここまで開かせたのは、実はユリウスの送った二通目の手紙のおかげであった。
ユリウスの一通目の手紙は、師匠であるルイサの手ほどきを受けて書いたものだ。
ユリウスにはまだ手紙の書き方が何も分からなかったので、「自分の文章」など何もなかった。ルイサも、外国のご令嬢に手紙を書くのに兄に無礼があってはならぬと表現の隅々まで目を配り、きちんと自分が手直ししたものを清書させた。
だから、当然カタリーナの手紙同様、形式ばった他人行儀な、悪く言えば壁を感じさせるような表現も数多く含まれざるを得なかった。
しかし、二通目の手紙は旅先からユリウス自らが書いたものだ。
おそらくそれを目にしたら、ルイサは絶句したであろう。
まさかこれをそのままお送りするおつもりですか、と目を丸くして兄に尋ねたことだろう。
けれど、丁寧に封をされた手紙はルイサの検閲を免れた。
ユリウスとしては、精一杯ルイサの教えを守ってその通りに書いたつもりなのだ。
だが、文章を書くことを大の苦手とする男が、一度教えを受けた程度でそう簡単に立派な手紙など書けるものではない。
ユリウスの手紙は、硬い文語のところどころに口語が顔を出す、ちぐはぐなものとなった。語句を時折間違えていたし、シエラでは通じないであろうナーセリ特有の表現も含まれていた。ルイサが見れば、家の恥です、とでも言いかねない野卑で稚拙な表現も多々あった。
だが、それは紛れもないユリウス自身の文章だった。そしてそこには彼という男の人柄が現れていた。
飾らない、武人としてのユリウス。その真っ直ぐな清々しい人となりが。
この手紙を読んだカタリーナは、改めてユリウスという人間の暖かさを知り、素朴さを知り、飾らない手紙の武骨な美しさを知った。そして自らも形式に縛られることをやめたのだった。
それが、三通目にしてカタリーナの手紙が大きく変わった一番の理由であった。
とはいえ、当のユリウスはそんなことなど知る由もない。
カタリーナ殿のこたびの手紙はずいぶん率直で、親しみが持てる。
そう無邪気に喜んで、手紙を読み進めていた。
今回の手紙には、ユリウスの希望通り、カタリーナ自身のことがたくさん書かれていた。
兄と違って、幼少の頃から病弱で、ほとんど外にも出られなかったこと。
そのせいで友人が少なく、寂しい思いをしたこと。
多くの時間を、代わりに本を読むことに費やしたこと。
たくさんの本を読み、いつかは自分でも本を書いてみたいという夢があること。
本か。
ユリウスは考えた。
さて、最後に本と呼べるものを読んだのはいつのことであろうか。
私も騎士として、たまには本くらい読まねばならぬな。
それにしても、友人が少ないとは自らも口にされていたが、そういうことであったか。
だが、良いと悪いはコインの裏表。そのおかげでたくさん本を読み、こうして素晴らしい手紙をお書きになる文才を得たのだと考えれば、悪いことばかりとも言えぬ。
そんなことを考えながら、便箋をめくる。
手紙には、兄ラクレウスのことも綴られていた。
仲の良い兄妹で、自分と違って何でもできる兄を尊敬していること。騎士となってからも兄は病弱な妹を気にかけて、何くれとなく面倒を見てくれること。
そして、その誰よりも何でもできるはずの兄が武術大会で敗れたことが自分にとってどれだけ衝撃的だったか。
あの日からずっと、妹は貴公にご執心なのだ。
ラクレウスの言葉を思い出し、ユリウスは頬を緩めた。
自慢の兄が敗れたのだ。恨むことこそあれ、その対戦相手を素直に称賛することは難しい。
だがカタリーナ殿は知っているのだ。その一度の敗戦で、自分の兄の尊さが欠片ほども失われることなどないのだということを。
ユリウスは、カタリーナの自分への賛辞に、彼女の気高さを見た気がした。
手紙には、最近のシエラの様子も書かれていた。
冬も盛りとなって、毎日寒い日が続く中でも、現れる魔人の数が減らないこと。
つい先日もラクレウスが魔人討伐に赴いたばかりだということ。
シエラ第一の騎士が、王都を離れたか。
それほどの魔人が、シエラにも出たのか。
ユリウスは自分の今日までの戦いを思い起こして、手紙を置いて腕を組む。
ナーセリにも多くの魔人が出たが、シエラにもやはり多くの魔人が。
しかも、シエラ第一の騎士が出立せねばならないほどの魔人まで。
ここ最近にはないことだった。
ナーセリでは、第一の騎士は、今のところはアーガということになっていた。
だがアーガと、ユリウスを含む他の一線級の騎士との間に力量の差はほとんどないと言っていい。
力量以外にも、その経験と人柄、そういったものを含めた評価として、アーガがナーセリ第一の騎士とされている。力が拮抗しているとはいえ、彼が第一の騎士であることに、ユリウスには何の異存もない。
だが、シエラの騎士たちの中ではラクレウスの力量ははっきりと抜きんでていた。
少なくとも、前回の武術大会ではそうだった。
シエラは、中堅級の騎士の層は厚かったが、ずば抜けた力量の者が少ない。
下の者が育たねば、ラクレウス殿の負担も重くなるのではないか。
他国のことながら、ユリウスはそんなことを考えた。
それから手紙をまた手に取る。
色々なことが書かれた最後に、カタリーナは控えめに、こう書いていた。
いつかまたお目にかかりたく存じます。
それは私もだ。
ユリウスは思った。
手紙を通して貴女のことを知れば知るほど、もう一度お会いしたくなる。
何度手紙を読み返しても、最後に思うことは、いつも同じだ。
カタリーナ殿。
私も貴女に会いたい。
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