二十四話 空と月に祈れば、水が往く

(どーなってんだよ!)


 訳も分からぬまま、華都はるとは外階段を駆け上がった。

 四号室――我が家の玄関ドアを前にし、安堵して息を整える。

 晴れてはいるが、冷たい風が剥き出しの腕を撫で上げる。


 我が身を確認すると、白シャツに制服のズボン、裸足にローファーだ。

 額に手を当て、霊道レイドウでの出来事を振り返る。


 車のドアを開け、ふらつく尼僧を乗せた。

 尼僧がシートに腰を降ろすと、その瞬間に衣装が変わった。

 昔風の尼僧の衣装が、現代のパンツスタイルに。

 

 そして、ピンク髪の少女を手招きすると――

 少女は三毛猫に変身して飛び込み、自分もスクールバッグを拾って乗り込み、ドアを閉め――そ後の記憶が無い。


 金切り声で目を覚ますと、パンツスタイルの女性が大口を開けており、前後不覚で逃げた。

 すぐに大家の家だと分かったのは良しとして……



「お帰り」

「ふえっ!?」


 玄関ドアが開き、古河京が顔を出した。


「起こしに行こうかと思ってたところだよ、方丈さんの作った朝ごはんがある」

「あの……今は朝ですか……?」


「うん。午前六時二十五分ぐらいかな」

「えっ……が、学校っ!!」


「落ち着いて。登校できるかい?」

「平気です! それより、一戸の弁当箱は……」


 華都はるとは「しまった」と、首をすくめる。

 自転車は回収できず、一戸瑠衣の弁当箱も持ち帰れなかった。

 だが――救われた魂がある。


 眉の力を緩め、三号室のドアを見た。

 目に見えない世界に――潜む者たちが存在する。

 染みる想いに瞼を震わせつつ、頭を下げて我が家に入った。



 熱めのシャワーを浴び、ドライヤーで髪を乾かす。

 疲労は残っているが、休む気は全く無い。

 

 キッチンテーブルには、朝食が載っている。

 俵型の海苔巻きおにぎりが三つに。小梅と沢庵。

 豆腐とワカメの味噌汁。

 温泉卵に、豚肉の竜田揚げに、グリーンサラダ。

 温めた牛乳に緑茶。


 一人暮らしの高校生には、嬉しすぎるメニューだ。

 華都はるとは遠慮せずに、ガツガツ胃に収める。

 

 最後に緑茶をすすり、感謝を込めて「ごちそうさまでした」と合掌した。

 そして、和室に吊るされた制服のブレザーを眺める。

 机の上には、黒いリュックも置いてある。


「このズボンは……」

 シャワー後に履き替えたズボンを指し、訊ねる。

 昨日着ていた制服は、かなり汚れてしまった。

 スクールバッグも、ショルダーストラップが燃えて使えない。


 けれど、代わりの制服とリュックが用意されている。

 新品では無いが、クリーニングされていてサイズも合う。


「上野さんの弟さんの制服だよ。今年卒業して、大学に通ってる。昨夜の車も、上野さんから借りた。リュックは、僕からのプレゼント」


 古河京の言葉に、華都はるとは驚く。

 両者が知り合いだとは思わなかった。

 

「では……上野さんにお会いしたら、お礼を伝えてくださいますか? リュックも、ありがとうございます」


 恐れ入り、椅子から立ち上がって頭を下げる。

 古河京は笑顔を崩さず、机の下のスクールバッグを示した。


「宿題らしいプリントが入っていたから、代わりにやって置いた。僕のお弁当箱も回収したから」

「お弁当、とても美味しかったです。宿題もありがとうございます!」

「今日の分は、方丈さんが作ったから」


 彼は、特撮ヒーロー模様のランチバッグをテーブルに置く。

 ……校内で持ち歩くのは気恥ずかしいが、背に腹は代えられない。


「古河さん……あの……聞きたいことがあるんですけど」

 昨夜の流れを思い浮かべて訊ねると……古河京は流し台に腰を預けて頷いた。


「分かってる。可能な範囲で答えよう。あの二匹の仔猫は、この世の存在ではない。このアパートの空き地の隅に、彼らの墓石がある。仔猫たちは、霊界では人間に変身できるらしい」


「あの女性……あの人が尼僧に変身する時に、威厳のある声が聞こえました。『みかげづきの御方おんかたに答える』と言っていました。どなたの名前ですか?」


 『源氏物語』では『明石の御方おんかた』と呼ばれる女性が出るし、信長の妹は『お市の方』と呼ばれていた。

 『みかげづきの御方おんかた』なる風雅な呼び名の主は、紛れもなく女性だろう。




「……方丈さんの……昔の呼び名だよ」


 古河京は、虚空を見上げた。

 その瞳の先にあるものは何なのだろう――。

 穏やかな表情ながら――浅く嚙み締めた唇は、必死に足掻いているように見えた。

 失った何かを取り戻そうとする――

 そんな意思を感じる。



「……生意気を言うようですけど……」

 

 華都はるとは、ささやいた。


「僕には、皆さんの関係は分かりません。でも……辛いことを潜り抜けて……その中にも、幸せなことがあったんだと思いました。みなさん……とても優しいから」




「……ありがとう」

 古河京は、吊るしてあるブレザーを眺めた。

「君の自転車とヘルメットは取り戻せないが、新しいのを用意するよ」


「いえ、大丈夫です。週末にでも、安いのを買います」

 華都はるとは、自分の眼差しに力を込める。


「亮太くんたちが救われて嬉しいです。今夜は、父と話します。自転車が壊れたから買うって報告します!」

「そうか……。じゃあ、後片付けは僕がするから、身支度をするといい」

「はい!」


 元気に返答し、私室に入る。

 教科書を揃え、ブレザーに袖を通す。

 袖の長さも、肩幅もピッタリだ。


 キッチンの、食器を洗う先輩の後ろ姿が頼もしい。

 今日は甘えても良いだろう、と思う。


 助けることと助けられることに、優劣はない。

 ともに尊く、美しいことだと悟った。

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