第16話

 マヌの姿は霧が晴れるとともに消え去っていた。

「えーと、なんだっけ……」

 聞くだにニャーチェの言葉は深遠で、かろうじて記憶できた部分を口にしてみる。

「善人の及ぼす害悪」

「悪意のごとく振る舞う慈愛」

「高く登ろうと思うなら、自分の足を使うこと」

「汝の足下を掘れ」

 まったくちんぷんかんぷんで、ポポロはすっかり幻惑された気分だった。

「あと、そこに泉ありだっけか」

 石畳の橋の下には溝色の水路が流れている。

「汝」というのがポポロを指すのだとしたら、ポポロの「足下」、つまり橋を「掘れ」ということになる。しかし、そこにはいちいち掘らずとも「泉」ならぬ人工池がある。

 念のためポポロは足下の橋を検分し、裏手でこつこつ叩いてみた。

 感触からして間違いなく石だろう。石に見せかけた妖術由来の別素材ということもなさそうだ。さしたる怪力でもないポポロが素手で掘れそうな気配はない。

「足下を掘れ。そこに泉ありってどういう意味だろう」

 ポポロは橋の欄干から身を乗り出した。眼下には澱んだ水があるばかり。足下の橋を掘ったところで、水路に落っこちるだけだ。

「もうちょっと分かりやすいヒントを出してよ、マヌ」

 マヌが投げかけたなぞなぞはそれだけではなかった。

 ニャーチェの言葉には「善人」と「悪人」が登場し、より大きな害悪を及ぼすのは善人の方だと説いた。マヌは開口一番「狐の仕業ではない」と否定したことからも、悪人とはキタキツネの獣人コンタのことと考えて差し支えなさそうだが、では善人とはいったい誰のことを意図しての発言だったのだろうか。

 ひょっとして善人とはポポロを指す隠語であったのだろうか。奇しくもコンタに「いい子ちゃんぶってんじゃねえよ、ポポロ」と罵倒されたばかりだ。

「ポポロの分際で偉そうに」

 コンタの口真似をし、ポポロはくすりと笑った。まったくもってコンタの言う通りではないか。自分自身を善人になぞらえるだなんて、なんとおこがましい。運営さんだなんだと持ち上げられて、ポポロは知らぬ間に調子に乗っていたのだ。

 スーニャンの失踪騒ぎは、自分の足を使わず、スーニャンの背中に乗っかって高く登ろうとするポポロへの戒めなのだ。ポポロは深く恥じ入った。

 勝手に被害妄想を膨らませて、コンタを悪人扱いした。〈転売屋〉の一件はともかく、スーニャンを攫ったのがコンタだという証拠はどこにもない。そもそもスーニャンの姿が見当たらないだけで、本当に攫われてしまったのかどうかさえも定かではない。

「コンタに会ったら、ちゃんと謝ろう」

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