第637話

 『こいつら、一体何者なんだ? 喋ってるが、魔物じゃないのか?』

 「悪いけど、その辺の質問は全部ナシで。何も聞かず、知らず、誰にも喋らないことです。でないと、あのこわーいバケモノが襲ってきますよ」


 声を震わせるアベル。

 相も変わらず取り押さえられたまま絞り出した疑問に、フィリップは適当に返した。


 「……」


 やや揶揄の籠った声だったが、ヴォルヴァドスは静かに佇んでいる。

 怒りも、呆れもしない。受け入れているというよりは、受け流しているような感じだ。


 『アレは何だ? も、もしかして魔王か?』


 銀灰色と漆黒の入り混じる曖昧なヒトガタ。その中に浮かぶ緑色の炎の双眸。

 確かに、魔王の化身と言われても「ふーん」と納得できそうな外見ではある。


 が、ここで肯定すると、次は「なんでこんなところに?」という疑問が出る上に、「なんで敵対しないの?」とか「魔王の寵児って何?」とか、色々と面倒な追撃が飛びそうな予感がした。


 「うーん……魔王の同種といえば同種、かなあ……? いやでも旧神ではないんだっけ……?」

 『悪魔か!?』

 「いや、うーんと……まあ何でもいいや。そういうことにしておこう」


 正確に、誠実に──そんな必要などないことを思い出し、フィリップは適当に頷いた。

 嘘がバレようが適当を咎められようが、好奇心を煽ることになったとしても、どうでもいい相手だ。


 程度にもよるが、あれこれ詰問されるならカノンに絞め落させればいい。度を超すなら殺したっていい相手だ。


 もしも彼が「ここに魔王が居る!」と騒ぎ立てたとしても、王国は──というか、ステラはフィリップから報告を受け、エルフの言葉が妄言に過ぎないと分かる。

 まあ聖国はともかく、帝国は調査要員の派遣くらいはしそうだが。なに、暗示と誘導が効くなら帰って「異常なし」と報告できるだろう。


 「こいつらが、この辺りを縄張りにしていた謎の集団なんですが……話を聞いた感じ、ジェーンさんやあなたの話とは微妙にズレてるんです。今のところ、ジェーンさんの記憶障害の原因がこの場所やこいつらと深い関係を持っていると──」

 「おーい、寵児様! 連れて来たぞ!」


 なんやかんや話しているうちに、“心当たり”とやらを呼びに行った個体が帰ってきた。


 連れているのは呼びに行った個体同様、防寒具に身を包んだ人間に見える個体だ。

 もこもこした帽子から伸びる長い髪から見るに女性だが、フィリップは端から、彼らの雌雄を気にしていない。


 いや、体格や外見年齢にすら気を払っていない。


 人間のように見えるモノも、内臓まで人間とは限らないとか、精神まで人間とは限らないとか、その手の欺瞞がある。

 彼らを全部まとめて、「人間を模している化け物」としか見ていないのだった。


 「──関係を持っているともいないとも断言できない感じです。まあ、ちょっと黙って聞いててください」

 『え? あ、ああ……』


 淡々と言って離れていくフィリップに、アベルはまた「放してくれ」と言い損ねた。

 もう十数分はカノンに取り押さえられたままだ。


 「……彼が外なる神々の寵愛を受けてるっていう謎の存在ですか? 見た目はまるきり人間ですね……?」

 「舐めてかかるなよ。さっき黄衣の王を儀式も無しに頌詩一つで召喚した挙句、その上に座ってた奴だ」

 「えぇ……?」


 信じられない、というか、「なんじゃそりゃ」と言いたげな顔に、フィリップは肩を竦めた。


 表情の動きは人間のようだが、頬や首筋に鱗が見える。蛇人間の擬態にしては甘く、隠そうという意思もなさそうだし、別の種族なのだろう。深きものの交雑種辺りだろうか。


 「心当たりがあるって?」


 問いに、女は周囲の仲間を見回す。

 答えていいのか、とか、敵じゃないのか、とか、色々と考えはあったのだろう。仲間の誰かが、なにか教えてくれると期待したのかもしれない。


 しかし最終的に、人間サイズのヴォルヴァドスを見つけ、ヴォルヴァドスを二度見した。

 流石に彼らに協力している神格だけあって初対面ではないが、「長身の人間」サイズの化身も、普段の半分以下まで抑え込まれた存在感も初めてだ。


 「えーっと……はい。私は100年前にも北側──エルフの集落とは反対方向の担当だったのですが、その時、吸血鬼の三人組に襲撃を受けたことがあります」


 「人間の子供みたい」と、どこか軽く捉えていたような気配が消える。

 女の声は人間のそれによく似ており、内心の恐怖や困惑が滲んでいた。


 「吸血鬼? いや、欲しいのはエルフの情報だよ」

 「はい。吸血鬼は種族的に魔術耐性が高いので暗示や誘導が通じません。ですので、そちらは全て殺したのですが、連れていた非常食らしきエルフまで殺すのはどうかと思いまして。最終的に、記憶処理をして解放したのです」

 「あぁ、そういう。なるほどね……?」

 

 意外とお優しい怪物だな、とフィリップは小さく口元を歪める。

 自分でも同じ立場なら見逃すとは思うが──「保存食? 本人の意思ではない? 知らん。面倒だし殺そう」みたいな判断をしそうな化け物を知っている。それも沢山。


 というか背後に二人いる。

 

 「記憶消去の魔術は使えますか?」


 問われて、フィリップは素直に頭を振る。


 「いや。説明してくれる?」


 女は再び仲間たちの顔を見てから頷いた。

 機密情報だから開示の確認を取ったのか、恐怖を少しでも和らげたかったのかは分からない。


 「簡単に言うと、記憶情報そのものを消すわけではなく、「思い出す」という記憶機能に制限をかける魔術です。例えばリンゴについての記憶を消す場合、「赤い」「甘酸っぱい」「果実」という情報から「リンゴ」というものに繋がる連想回路を遮断することで、赤いものを思い浮かべても、甘酸っぱいものを思い浮かべても、果実を無作為に思い浮かべても、被術者は「リンゴ」に辿り着けなくなります」


 補習中の学生に「ここまで大丈夫?」とでも尋ねるかのように、女は一度言葉を切って顔色を窺う。


 フィリップが主に勉強しているのは精神病理学であって脳科学ではないし、人類が脳の働きについて知っていることは、ミ=ゴどころかエルフにも及ばない。

 それでもある程度は理解できた。


 頷いてそれを示すと、女も頷きを返して先を続ける。


 「リンゴそのものを見たとしても、それに関する情報への連想が遮断されます。赤い皮の下にある実は何色なのか、どんな味なのか、どうやって食べるのか……そういった関連情報が思い浮かばなくなり、結果として、リンゴを知らないのと同じ状態になります」


 女は再び言葉を切り、フィリップの理解を確かめる。

 頷いて示すと、また先を続けた。


 「ですが、それは「上手く行けば」の話です。「上手く行かなかった」場合、それも手酷く失敗した場合は、記憶……記録された情報同士を繋ぐ回路が無作為に封鎖されたり、乱雑に組み替えられることもあります。貴方のお知り合いは、そのケースではないかと」

 「ほう。……で、そのエルフの時には失敗したの?」


 半ば返答を確信しつつ、フィリップは急かすように尋ねる。

 失敗したの? というか、失敗したのは確定だろう。その非常食のエルフがジェーンで間違いないだろうし。


 となると、あと訊くべきは治療法だ。

 その目的地への、会話の形式として踏むべき一段目として尋ねたわけだが、女は首を横に振った。


 否定……ではなく。当然ながら肯定でもなく。


 「わからない」という意思表示として。


 「断定的なことは、何も。失敗したかどうかは、術者も対象の様子を見るまでは分かりません。ただ、吸血鬼との戦闘で死傷者もあり、私も傷を負った上に気が立っていたので、魔術の制御を誤った可能性はあります」

 「なるほど。……ちょっと待ってね」


 一言断って振り返り、フィリップは聞いた内容をアベルにそのまま伝える。


 話が進むにつれ、アベルの眦は険を持って吊り上がり、やがて牙を剥くほどの敵意を露にした。


 『間違いない。それがジェーンだ! やっぱりこいつらが……!』


 アベルは歯を食いしばり、自分の上に乗ったアンテノーラを掴まれた腕ごと振り払う勢いで、拘束からの脱出を試みる。


 関節が、腱が、骨が軋むのに構わず、腕を極められた完全な被制圧姿勢から。

 腕が折れても構わない。そのつもりで暴れて──それでもなお、たかが50キロそこそこのカノンを振り落とせない。

 

 エルフ語で罵声を上げるが、直後に頭を押さえられ、積もった雪に顔を突っ込まされては黙るしかなかった。


 「まあ落ち着きなよ。こいつらをブチ殺したところで、ジェーンさんの記憶機能が戻るわけじゃないんだし」

 『……あぁ。すまない』


 フィリップの合図で、カノンはアベルの頭から手を離す。 


 それでも顔を雪に埋めたまま、アベルは絞り出すように答えた。

 積雪はそれほど深くないが、声は雪に遮られてくぐもっている。僅かに湿り気を帯びていたのも、きっと雪のせいだろう。


 「……何か治す方法がないか、聞いてみるよ」

 『……ありがとう。頼む』


 熱しやすく冷めやすい……というのだろうか、これも。

 突沸じみた激発をしたかと思えば、冷静になって自省する。フィリップたちに追いついたときと合わせて、この短時間で二度目だ。


 生来の気質なのか、或いは奥さんへの愛情が深すぎるあまりか。


 そんなことを考えながら、フィリップは異形たちの方に向き直った。


 「さて……、あ、待って。そういえば蛇人間ってイグの末裔なんでしょ? 深きものだって、種族的にクトゥルフやダゴンを信仰してるはずだよね? ヴォルヴァドスと協力していいの?」


 イグが今どうしているのかは知らないが、クトゥルフやルルイエの封印に関しては、恐らくヴォルヴァドスの手も入っているはず。

 眠っているクトゥルフに、後からシーツを被せてカーテンを閉めたようなものだとしても。


 だから蛇人間はともかく、深きものの交雑種はヴォルヴァドスと敵対関係にあるはずだ。


 彼らの「異文化保護」という動機に関しては、「まあそういう個体もいるか」と勝手に納得したが、ヴォルヴァドスと協力していることに関しては「そこ敵同士じゃないの?」という疑問があった。


 「あぁ、えっと……」

 「えぇ、まあ、その……」


 ……そういえば、なんて。

 軽い調子で尋ねられて、異形たちは思わずといった風情で顔を見合わせる。


 連れとあんな会話をした直後に、ここまで清々しく自分の興味を優先するのか、と。


 まあ、ヴォルヴァドスが認める“魔王の寵児”相手に、そんな突っ込みを入れられる度胸は無いけれども。


 「……信仰と思想は別物だろう。まあ俺に言わせれば、異なる種の文明に興味を持って保護しようって思想は、祖たる神に背を向けたカス共よりはマシな考えだ。別の神の手を借りててもな」

 「私は──話しても楽しい理由ではありません。ですが人は、人の中で生きて死ぬべきだと思いますから」


 蛇人間は、ツァトゥグアに恭順した同族に対する嫌悪感と、自分の思想に対する誇りを。

 深きものの交雑種は、静かな悲哀と使命感を、それぞれ言葉の内に滲ませる。


 「そうだね。僕もそう思う」


 どうやら血筋的には人間に近いらしい深きものの交雑種の言葉に、フィリップは軽く頷いた。

 彼女に何があったのかは知らないし、興味もないけれど。


 ……聞きたいことは聞いた。次は聞くべきを聞こう。



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