第618話
「あたしも、神は信じてない」
聖痕者は平然と、軽い口ぶりで言った。
まるで血液型が同じだとか、誕生月が同じだとでも言うように。そんな奴は山ほど居る、なんでもないことのように。
「少なくとも全知全能ってのに関しては、嘘っぱちだね」
聖人の口から聖典の否定が紡がれる。
四分の三か、とフィリップは思った。
「完全、ってどんなことだと思う?」
「僕の答えに意味が?」
生意気な答えに、ノアは薄く笑みを浮かべた。
年下の友人の言う通り、それは答えを求めての問いではなく、ただの話の掴みでしかなかった。
「あたしは「ない」ことだって思う」
抽象的な問いには似合いの、抽象的な答えだった。
フィリップは今度は茶化さず、静かに先を待つ。変に口を挟むよりは、彼女の話を聞いた方が楽しいと思って。
「軍隊の究極形態って何だか分かる? 攻撃も防衛も百戦百勝、何でも出来る万能兵士の集まり? 違うよ。“無い”こと」
兵士百人に訊けば百種、とまでは言わずとも、十や二十くらいは答えのバリエーションがありそうな問い。
しかし一国最強、或いは大陸最強とすら謳われる部隊の長は、持論に絶対の正しさを感じているような口ぶりだ。
「役目が無いこと。だから軍隊なんて要らないってなって、無くなること。つまり、目的を持たなくなること」
ノアの語りは徐々に熱を帯び、フィリップとの会話から独白に近しいものに変わってゆく。
これまで内に秘め、溜め込んでいたものを吐き出したのだろう。
頑丈な堤防に生じた小さな亀裂が、噴き出す水に削られて決壊へと繋がるように。
「外患も内憂も全部滅ぼして、国内の治安維持すら必要なくなって。完璧な平和、完全な治安を実現して。「もしもいつか」って可能性の芽さえ無くして、完全無欠の世界を作ったら、それは「完璧な軍隊」だ」
フィリップは無言だった。
自論を語るノアの口ぶりは熱を帯びているが、決して熱に浮かされてはいない。
取り敢えず、偵察に出たイライザが帰ってくるまでは。
「矛は要らない。向ける先がない。盾も、矛を向けてくる輩がいないから、やっぱり要らない。何かを攻める必要も、何かから守る必要もなくなった、目的のない軍隊。それが「完璧」ってこと」
──それは、子供の空想だった。
彼女が何を意図しているのかは彼女にしか分からない。
だが、彼女の語った理想像を、フィリップの知る概念に当てはめるなら。
『世界平和』か『世界征服』の、どちらかだ。
当然、どちらも机上論の存在で、実現することはない。
本職の軍人が語るには、あまりにも稚拙な理想像。
敵は無限に生じ得るし、強さや権威は馬鹿には通じないからだ。
人間を喰う吸血鬼の中でも最強の座に君臨するミナに、自分から突っかかっていく馬鹿が一定数居たように。
どれだけ強い軍隊が居ても、「このぐらいなら」とか舐めた思考で、或いはなにか譲れない正義感や思想の違いから、挑みかかる馬鹿は生じる。
だがノアとて、その実現可否なんかを論じたいわけではなかった。
「軍隊じゃなく“個”でもそうだよ。でも神様ってのはそうじゃない。なにか目的を持ってる……その時点で、完璧じゃない」
「ふむ……? まあ、言いたいことはなんとなく分かります」
曖昧な肯定が返され、独白は辛うじて会話の体を取り戻す。
他人の声は、微睡みを破る頬を張る手のように雑であり、効果的でもあった。
水色の双眸は小さく揺れ、一般的な礼儀として話し相手に向けられる。
「あたしの故郷が焼かれたとき、四人は生き残ったって言ったよね」
「……皆亡くなったとも聞きましたけど」
「うん。同じタイミング、書類も連番で入隊したから、結構長く一緒に居たんだ。帝国軍は少年兵向けの新兵教育が二年あって、後期の一年間は実戦課程、帝国内で活動してる実際の部隊に送られる。あたしたちはそこまで一緒だった」
ほう、とフィリップは適当な相槌を打った。
実戦前の新兵教育が「一年もある」のか、「一年しかない」のかは気になるところだったが、流石に話の腰を折るので措いておく。
「あたしたちの配属された部隊は、総人口2000人くらいの小規模国家を相手にしてた。配属から四回目の任務──ちょうど慣れてきて、気が抜けた頃だね。そいつらが別の国に送った密使の捕縛と尋問が、あたしたち教育兵に課された命令。あたしたちは街道沿いの森に潜伏して、密使が紛れ込んだ行商の車列を待ってた」
街道沿いの森から突然現れて行商人を奇襲なんて、まるで盗賊だ。というか実際、盗賊の仕業に見せかけるところまでが作戦の内なのだろう。
フィリップは当時の情景だけでなく、そんな裏事情まで細かに推察できた。
「その背中をカルトに襲われた」
ほう、と先ほどと同じ音で、しかし明らかに感情が乗った相槌が返される。
驚きもあり、興味もそそられた。帝国の正規兵──教育中の少年兵とはいえ、間違いなく帝国軍人だ。それに襲い掛かるということは、帝国に襲い掛かると同義。
カルトにしては骨のある連中だ。普通は見つからないよう、接触しないよう、息を殺すものだろうに。
自分たちを捕まえに来たとでも思ったのか、反権威的な思想を持った集団だったのか。
「襲撃の第一陣。とにかく車列を止めるだけの簡単な役割を振られた教育中のヒヨッコも、連中にしてみれば「帝国兵」でしかない。先手必勝、知覚外からの奇襲。ま、判断は悪くないよね」
フィリップは少しわくわくしながら続きを待った。
当時のノアがどのくらい強かったのか、帝国の兵士がどのくらい強いのかも気になるし、カルトの凄惨な死に様は伝聞でも多少は楽しめる。勿論、自分で殺せるのが一番ではあるが。
そんな期待は、すぐに萎んだ。
「何人か殺したけど、数で負けて捕まって、連中のキャンプに連れて行かれた」
話が想像より暗い方向に転がり、フィリップの眉根が寄っていく。
いや、まあ、憎悪には何らかの理由があるものだ。炎が強ければ強いほど、薪が多いのは道理だろう。
治安維持組織の一員として過ごすうち、自然とカルトや犯罪者を強く憎むようになったかもしれない。
しかし、そんな習慣程度の憎悪では、フィリップのそれに付いて来られるはずがないのだ。
何かあるとは思っていた。
その答えが、一番想像の容易いものだったというだけ。
「分隊は教育兵八人、教官二人。うち四人はあたしたち少年兵。カモに見えたんだろうし、教官たちと離れた時点でカモどころか親のいない雛鳥だからね」
もう終わったことだと言うように、語る口ぶりは軽い。
まあ実際、終わったことだし、昔のことだ。フィリップにはそれが分かる。
既に炎に焚べた薪に、特別な感情を抱くことはない。
「今度はあたし以外の全員が死んだ。いや、別の分隊が救助に来た時点では二人居たんだけど、一人はその時の怪我が原因で感染症にかかって病死、もう一人は自殺した」
ノアは淡々とした、原稿を読み上げるかのような口ぶりで、過去の惨劇を語る。
「神様は何もしてくれなかった。エイド教官が心臓を抉られている時も、カレブ教官が腸を綯われている時も、マーカスとオリバーが犯されている時も、クロエが子宮を引き摺り出されている時も、ハンナとあたしが嘘っぱちの救いを求めて殺し合ってる時も、改宗したライアンとサムがお互いの指を引き千切ろうとしてた時も、何も。そんなの、全知全能ならどうとでも出来たはずなのに」
彼女の中で最悪の記憶。
しかし、感情は既に復讐と憎悪の炎の糧となった。胸中に燻ぶるのは、燃え残りの情報だけだった。
鮮烈な赤色。吐瀉物と糞尿と内臓の臭い。歓声、悲鳴、苦悶、嬌声、罵倒、耳を劈く雑音たち。
感覚記憶のなにもかもが、今となっては虚ろな文字列に過ぎない。
「あたしはあの一件以来、カルトだの犯罪者だのをブチ殺すことを生き甲斐にしてきた。まあ軍隊生活で、そんな腐った性根は叩き直されちゃったけど、それでも憎悪は残ってる。憎悪が、あたしを最強にした」
始まりは、田舎生まれにしては珍しく魔術適性が高いだけの、トンビから生まれたタカの娘。
次は戦災孤児を集めた下っ端の少年兵。
退役勧告──人道的配慮、或いはPTSDで使い物にならなくなるだろう傷痍兵の処分。その「優しい」提案を蹴っ飛ばした、勇敢なる、面倒なガキ。
それから少しして、不屈の精神を持った軍人の規範になった。
憎悪任せの苛烈で徹底した、しかし軍隊の強固な規律下において完璧に制御された、ハードな任務の遂行。
任務外での「善意と信仰による」異端者の糾弾と処刑。職務意識と使命感に溢れた、誰もが見習うべき兵士になった。
その次は学生、そして弟子になった。
士官学校を含む高等軍事教育。
才能と努力と、強烈なモチベーションを見込まれて、当時の水属性聖痕者への師事が許された。
そして恩返しを果たし──故郷も旧友も亡くした可哀そうなノア・アルシェは、世界最強の魔術師になった。
「それが狙いだった。魔王に抗するための戦力が欲しかった。理由は考えつくよ。でも、それは“目的”だ」
「……」
フィリップは何も返さない。
黙って頷き、ただ先を促した。
「神が全知全能なら、魔王を消してしまえばいいんだよ。それじゃ人間が育たないとか言うんでしょ? 分かるよ、言われたことあるもん」
無反応を批判を呑み込んだものと解釈したのか、反論に対する反論が始まる。
驚くべきことに、彼女は以前、誰かに似たような話をしたらしい。
田舎小僧だろうと一国の英雄だろうと「冒涜者」の謗りを受けるというのに、豪胆なことだ。或いは聖痕のおかげだろうか。
「でもそれ、人間を育てることを目的にしてるじゃん。“目的”を持ってるじゃん。何かをするために何かをする、つまり直接的に「なにか」を実現できないってことじゃん」
「じゃん?」と同意を求められ、フィリップは肩を竦めて応じる。
目的を直接達成できないものは、その時点で全能ではない。
例えば敵を排除したい場合、「殺す」という解決策を取るのは、真に全能なら遠回りだ。本当に全能なら、敵など居なかったことにすればいい。
そうすれば、敵が居ない以上「敵を居なかったことにする」という行動も発生せず、全能者は何かを目的とした行動をせずに済む。
古い思想家や哲学者たちが語り尽くしたテーマ。
今の一神教が「冒涜」の二文字で跳ね退けたり、黙殺したり、考えないようにしている疑問だ。
全能の逆説。
なにか目的を持つ時点で全能ではない。世界を作る必要があった時点で全能ではない。人間を愛する時点で全能ではない。
そもそも「全能」とは?
では全能者は、自らを全能で無くすことは出来るのか? 自らを如何なる意味に於いても存在しないものに出来るのか? 自らを含め誰にも持ち上げられない重さの岩を作り出すことは出来るのか?
「全知全能完全無欠なら、人間なんか作らない。世界なんか作らない。たとえ退屈しのぎの手慰みだったとしても、それなら退屈任せ感情任せで動く、“完全”とは程遠いクソッタレだ」
女軍人は冷静な口ぶりで、しかし嫌悪感を隠しきれずに吐き捨てる。
その語った内容に、フィリップは頭を抱えたい気分だった。
──惜しい。
そこまで分かっていて、どうしてあと一歩が踏み出せない。
あとほんの一行先を読めば、ほんの一歩先を照らせば分かるというのに。
進むべき方角は正しい。読むべき場所は正しい。あともう少しだ。
もう少しで──漸く一歩目だ。
「あんたも、あたしと同じでしょ? 詳しくは聞かないし、聞きたくもないけどさ」
「カルトに捕まった時以来……では、ありますね。確かに」
内心のもどかしさを呑み込んで、フィリップは取り繕った笑みを浮かべた。
背中を押してやる必要は無いし、手を引いて導いてやる必要もない。
こちら側に踏み出す必要なんか、これっぽちも無いのだから。
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