第614話

 「……これ、イライザの願望をベースに作られた幻影なんですよね? じゃあ僕がこれを斬っても無意味ですか?」


 剣を抜き、フィリップは不快感を隠さずに言う。

 質問の体ではあるものの、どんな答えでも今後の行動には関与しない。


 「さあ? 重要なのは勇者ちゃんが願いを否定できるかどうかだ。自分の手で破壊するっていうのは、あくまで心を騙すためのアプローチに過ぎないからね」


 そうだった、とフィリップは照れ交じりの苦笑を浮かべる。

 グリードトラップの突破条件はさっき確認した通りだ。重要なのは破壊そのものではなく、願望を捨てるか諦めること。


 そしてこの場合、破壊の有効性は一般的な例より幾らか劣る。

 死者との再会、或いは復活を望む相手に改めて死を見せつけたって、願望が強まるだけだろう。

 

 「自分の願うものを見せつけられて、「諦めなければよい夢を見続けられますよ」と言われて、「はいそうですか」と望みを捨てられるような人間はいない。一瞬、ダンジョンのギミックを騙す間だけ、心が勘違いをすればそれでいいんだ」

 「……つまり?」


 なにか示唆するような物言いに頭を回すこと一瞬。

 考えるのも面倒になって、フィリップは意を問うた。


 「あんたは勇者ちゃんをボコボコにしてもいいし、お兄ちゃんをズタズタにしてもいい。死者の復活なんか有り得ないと、勇者ちゃんが諦めるまで」

 「あぁ、そういう。それなら、初めからそのつもりですよ」


 既に抜き放たれた龍貶しドラゴルードは、狩るべき獲物を、刈るべき首を定めている。


 拍奪無し蛇腹剣の伸長無しのフィリップとイライザの白兵戦闘能力は、概ね互角。


 体格や基礎体力ではフィリップが勝る。

 対人剣技や捕縛逮捕術ではイライザが上で、より広範な剣技と戦闘技術を持つのはフィリップ。だが、どちらも圧倒的な優越ではない。


 殺し合いで負ける気はしないが、フィリップが「殺さないように、後遺症が残らない程度に」と考えながら戦って、イライザが本気で戦った場合は、少なくとも勝ちの確信は抱けない程度。


 だったら初めからウォードを──ウォードの姿だけを模した、気色の悪い幻覚を狙うまでだ。


 「どうして……どうして邪魔をするんですか、師匠。これは、、師匠にだって幸せなはずです!」


 は、と再び吐息が漏れる。

 愉快さを孕み、不快さを吐き出す嘲笑。

 

 ただの幻覚を「世界」と言い表す蒙昧、或いは慧眼。

 愚昧が極まった果ての真理。望まれた無知の安寧の中で、望まぬ啓蒙と同じ結論を語る。


 ──面白い話だ。


 「……うわ。どういう顔?」


 フィリップには笑っている自覚があったが、ノアから見るとにこりともしていなかった。


 「……え? どんな顔してますか、僕?」

 「うーん……。可愛い弟子っこちゃんが怯えるような顔?」

 「そんなに強面じゃないと思いますけど……まあいいや。イライザ、剣を下ろしなよ」


 荒らげもせず、凄みもせず、ノアと交わしていた言葉そのままの調子の一言。

 その宛先となった少女は、怒鳴り付けられたようにびくりと肩を震わせた。


 「っ!?」


 自らの手中から伸びる、飾り気のない剣。

 真っ直ぐで武骨な輝きを目で追い、その先に師の喉笛を認めた教え子は、怯えたように息を呑んだ。


 イライザは自分でも気づかないうちに聖剣を構えていた。

 気付いた瞬間に震え出した手足が、彼女の無自覚と衝撃を表している。


 「あ、も、申し訳──」

 「それはウォードじゃない。全然違う。君の兄は強かったし敏かった。君が僕に剣を向けてなお、困り笑いを浮かべるだけの生温い人間じゃあなかった」


 ウォードには『萎縮』とフリントロック・ピストルを見せている。

 どちらも詳しい性能までは教えていないが、人間を内側から脱水させ炭の塊に変える魔術を知っている。0.1秒以下で7メートル離れた人間の頭に風穴を開けられることを知っている。


 それに、身内が友人に剣を向けて、止めに入らない性格ではない。

 妹を守る意味でも、この場面に彼が居れば、フィリップが口を開く間もなくすっ飛んできて、イライザを制圧しているだろう。


 「先代もそうだ。国への忠誠心に篤い彼が、自分の弟子が王国の英雄に刃を向けて、黙って傍観しているわけがない」

 「そ、それは……」


 確かにそうだと、イライザも思う。


 もしも、イライザが訓練外でフィリップに剣を向けたら──しばらく走らされるだろう。


 

 

 ボコボコにされた挙句罰走。ご飯を食べてご飯が出るまで罰走。寝て起きてぶっ倒れるまで罰走。内臓が痙攣して液状化して、口からドロドロと流れ出るまで走らされるに違いない。

 足が折れても、手当して鎮痛剤を入れて罰走。たとえ心臓が止まろうと、蘇生されて罰走だ。


 願望。

 その言葉が、いやな現実味を帯びた。


 亡き父と兄に、もう一度会えたらと思わなかったわけがない。家族共通の師である先代衛士団長の下で、また一緒に訓練したいと。幼い頃の日常を取り戻したいと、何度思ったか。

 それはイライザにとって最大の、幾度となく願った望みだ。


 ……それはそれとして。 

 勇者に選ばれてからの訓練はキツ過ぎる、優しくして欲しいと何度思ったか。


 だからこその幻影。

 願望を映した、優しい世界の幻だった。

 

 「そっか、こんなんでも王国じゃ救国の英雄様だもんね。刃を向けたとなれば、余裕で処刑か」

 「先代の性格からすると、「殺してでも性根を叩き直す」って感じですかね。どう思う、イライザ?」


 王国ならそれも問題になりそうな「こんなん」呼ばわりに然して引っかかることもなく、剣を下ろして項垂れたイライザに笑いかける。


 「……申し訳ありませんでした」

 「うん。じゃあ、斬ろうか。斬れるね?」


 相変わらずの平坦な声。

 しかし、フィリップにしては珍しく、行動の可否を尋ねている。


 そのことに気付いたとき、イライザの背筋に冷たい汗が流れた。


 それはきっと、どうでもいいからだ。

 必要なことなら、フィリップは「やれるか」とは聞かない。出来なくても原因を探り方法を変え、どうにか「やれる」ように指導するからだ。


 だがこれは違う。

 イライザが自力でグリードトラップを突破することを、フィリップは必要なことと見做していない。


 イライザが「出来ません」と言えば、フィリップは「仕方ないな」と笑って諦めるだろう。

 笑って、諦めて、呆れ笑いを浮かべたまま、溜息交じりにイライザをボコボコにして解決する。イライザが舐めた願望を抱かないように、願望を抱けば痛みが襲うと身体に染みつかせるように。


 悪意でなく、嗜虐心でもなく、必要性によって。面倒臭そうに。


 「……はい!」


 イライザは覚悟を決め、再び聖剣を構える。

 今度はその先を過たず、亡き兄の低劣な模造品に向けて。


 「──ふッ!」


 下段構えから一直線に喉笛へ。

 聖剣の切っ先が喉を裂き脳幹に達する時には、既に兄の姿は無く、師の訓練小屋があった荒野の景色も消え失せていた。


 「──、はぁ……」


 イライザは大きく息を吸い、吐き出す。

 触覚すら再現した幻覚だったが、人間を刺した手応えは無かった。最後まで恐れていた兄を殺す感触は、全く感じなかった。


 それは良かったし、一安心だが、一息ついている場合ではない。


 「……ご迷惑をお掛けしました!」


 聖剣を消し、深々と頭を下げるイライザ。

 兄がどうとか師匠がどうとかではなく、フィリップに剣を向けたという事実が重くのしかかる。尊敬する“救国の英雄”に。


 訓練でも僅かに抵抗があるのを、「折角の機会だから、絶対無駄にしないぞ」という思いで捻じ伏せているのだ。

 それをあんな、無意識の反抗で。


 穴があったら入りたいというか、むしろ穴を掘って埋める罰則でも喜んで受ける気持ちだ。


 「いいよ。君のメンタル育成を任された身だからね。ボコボコにしてでも連れ戻すつもりだったけど、言葉だけで目覚められたね。偉い、偉い」


 フィリップはイライザに近付き、下げられた頭をわしゃわしゃと撫でる。

 犬にするような手つきだが、父や兄にもそうして可愛がられてきたイライザには、それが心地よかった。


 微笑ましいものを見る目をしていたノアだったが、ふと思い出したように「あぁ」と口元を揶揄に歪める。


 「この強度であたしらの分もあるってことだから、あんまり大口叩かない方がいいよ。自分に刺さることになるから」

 「え、全員分あるんですか? 先に言ってくださいよ」


 今のところ、周囲は幻覚に塗り替えられる前の森の景色だ。

 だったら今のうちにダッシュで森を出たいところだが──“次”がいつ始まるか分からない以上、迂闊な移動は危険だ。


 無いとは思うが、再現される願望の景色が森林内だった場合、なにも気付かないままノアが語ったような末路を辿ることになる。

 「目に枝が刺さったまま笑い」という、アレだ。


 幻覚が完成するまでに独特なノイズがあったが、二度目三度目もそうとは限らないのだし、迂闊なことはしない方がいいだろう。


 だったら慌てて移動するより、ある程度の空間があり、多少は間合いを把握できている場所に留まって、全員がギミックを突破してから悠々と出ていく方がいい。


 ノアはそう判断したのだろう。

 本職冒険者ではないにしても、それでも経験豊富な兵士の判断だ。フィリップとしても異論はない。ないが──。


 「貴女が呑まれても戦力的にボコボコにとか出来ないですからね。正気を失ったらブチ殺されると思って臨んで下さい」

 「嘘でしょあたしが脅される側?」


 フィリップは至って真剣だったが、ノアはむしろ心底愉快そうに笑った。


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