第681話

 「よし、分かった。もういい。もうお前は諦めろ」


 昼食も粗方吐き終えてすっきりした頃。

 泥人形は木の枝と共に、キツい言葉を突き付けた。


 魔力欠乏の影響で酩酊したような視界の揺らぎに襲われ、微妙にふらついているフィリップは、今ひとつ意味を理解していなかったが。


 「うん。うん……?」


 諦めろと言われて、はいわかりましたと頷けない──なんてことはないのがフィリップだ。

 元よりこの世の全てに諦めが付いている。


 とはいえいきなりの言葉に、「何の話?」と疑問を持たないほどではない。


 「お前は無理だ。ヴォイドキャリア解放後、まともに考えられる、まともに動ける状態にはならねえ」


 その点に関しては、全員の意見が一致するところだ。

 それでもせめて少しはマシになるように、魔剣の起動に慣れつつ、魔力総量や回復量を少しでも底上げするために、ここ数日の訓練があった。


 筋肉同様の超回復──筋肉より遥かに効率の悪い微々たる成長でも当てにしたいくらいの低スペックを、どうにか、ほんの僅かにでも強化するために。


 まあ、三週間続けようが三年間続けようが、あんまり大差ないくらいの成長率だと目されてはいたけれど。


 「だからもういい」


 と、泥人形は切り捨てる。


 プラン一つを捨てて、新たなプランに移行する。


 「その状態でまともに考えて、まともに動けるようになれ」

 「は⋯⋯?」


 それが出来ないから、出来るように──多少はマシになるように、いま訓練しているわけだが。


 というか、なれと言われてなれるなら苦労はない。

 ゲロを吐きながら魔力を絞り出し、結果またゲロを吐くような自傷じみた訓練の必要もだ。


 そんな反感込みの「は?」だったが、剣師龍に人間の悪感情など伝わらないし、伝わったところで、気遣いも反発も引き出せはしない。


 精々、人間よりも人間の剣技や鍛錬に詳しい大ベテランの意見に反駁する馬鹿に、真っ当な呆れを向けるくらいのものだ。

 「だからァ」と、面倒臭そうに。


 「まともじゃない状態で、まともな思考と動きを再現できるように、神経を作り変えろ」


 言うが早いか、泥人形の輪郭が揺らぐ。

 ヤバい、と思った時には、フィリップの視界は90度回転し、地面に叩き付けられる寸前だった。


 「っ……!」


 袈裟に当てられた木の枝に意識を向けさせながらの足技──大外刈り。

 なのだが、フィリップはそもそも、枝が致命的な場所に触れていることに気付けなかった。


 ルキアとステラの魔術に目を慣らし、ミナとエレナに揉まれ、先代の訓練まで受けたフィリップが、微塵も反応できない。


 それは速度によるものではない。

 純粋な速度のみでそれを為すと、細枝はフィリップの肩に激突する前に、自らの重量で折れる。凄まじいスピードが生む強烈な慣性によって。


 だが実際にそうはなっていない。

 そもそもフィリップの目には、泥人形の動き自体は見えていた。遠目に見ているルキアとステラにも、はっきりと。


 「ぐえっ」

 「。んでもう一発ヴォイドキャリアを撃つ。で、もう一時間打ち合う。身体を常に最悪の状態に保ち続けりゃあ、否応なく覚える」


 辛うじて受け身は取れたものの地面に潰れたフィリップを、泥人形は無慈悲に見下ろす。

 目はないし、表情もないけれど。


 「えぇー……」


 コンディションが万全でも一時間ぶっ通しの打ち合い、それも格上相手となると、だいぶ限界近くまで追い込まれる。

 それはミナ相手で知っている──というか、彼女とて人間には「疲労」というものが存在すると知った後は、こまめに休憩を挟んでくれたのだが。


 「…………分かった」

 「やる気満々で結構なことだ」


 長い沈黙の果て──嫌だなあ、でもやるしかないよなあ、と覚悟を決めるのに数秒を要したフィリップに、泥人形は大袈裟に肩を竦めた。


 まあ確かに、ヴォイドキャリアの能力解放を使いこなすということは、つまり、絶不調状態でも十全の剣技パフォーマンスを発揮できなければならないということ。


 実体のない剣を持ち、斬るべきものを定め、斬り方を定め、その通りに剣を振らなければならない。脱力感や目眩でへろへろの太刀筋では、ヴォイドキャリアは機能しないのだから。


 イメージとしては、重さのない、途轍もなく巨大な剣を持っているようなものだ。

 物凄く遠くまで届き、全長一キロの巨大生物にも有効打を与えられるが、叩き潰す使い方は出来ない。きちんと刃を立てて、きちんと斬る必要がある。


 ルーツは上限はと色々と考え、何も分からないままだが──剣で何かを斬るのに、剣の来歴を知っておく必要はない。

 今回重要なのはフィジカル。それも単純な腕力や技量ではなく、耐久力──もっと言えば根性だ。


 ここに来て。

 事ここに至って──全長一キロの魔王真体を標的と定め、魔術師が火力の主体であることを前提に、無限射程の魔剣を手にしておいて──求められるのが根性とは。


 「いやでも一時間は死──うっ」


 言い終える前に、鳩尾に拳が突き刺さった。

 まだ立ち上がってもいないフィリップに、重力を乗せた“思いっきり”のやつが。


 遠目に見ていたルキアが『明けの明星』を準備し、ステラがその手をそっと降ろさせる。

 傍目には、訓練にしてもやり過ぎに見えるほど容赦のない追撃だった。


 「追い打ちは邪道とか言い出すなら、基礎剣技から教え込むことになるが?」

 「枝を突き刺さないでくれてありがとうって気持ちで一杯だよド劣等」


 喘ぐように息を吸い、懸命に取り込んだ酸素が無意味な罵倒に費やされる。

 一瞬遅れて浪費に気付いたフィリップは、舌打ちを堪えてヴォイドキャリアを振った。


 実体剣の重さを使って勢いをつけ、そのまま跳ね起きる。

 と、再びの組み討ちが襲ってきた。


 先刻と同じ袈裟切りの枝と、足の後ろに回された泥の脚。大外刈り──二連続とは舐められたものだ。まあ実力差的には正当な軽視だが。


 しかし流石に、二回連続で喰らうほどではない。


 同じ技だと認識した瞬間、フィリップは相手の腕と逆の肩を掴んで跳んだ。


 そのまま身体を捻り、腰に掛け、膝裏へ掛け、体重を真下へ落とす。体を墜とす──捨て身投げ。

 形は良い。型通り、エレナの教え通りに決まっている。相手が普通の人間なら、膝と腰を折り曲げる力と急な荷重でバランスを崩し、まず間違いなく地面を転がっていた。


 だが決まらない。

 泥人形を動かすのは筋肉と関節ではなく遠隔操作魔術だ。その出力は人間の筋力の比ではない。


 故に、完璧な形の投げは不発し、フィリップは中途半端にしがみつくような体勢になった。


 正直に言って、予想外だった。

 敵のスペックを知っているのだから予想できたことではあるが、そこまで考えが至らなかった。


 フィリップは投げが決まる確信まで持っていたし、大樹のような手応えに「あれ?」なんて思ったくらいだ。


 だが。


 手中にはヴォイドキャリアがある。

 どんな姿勢からでも、どんな力の入れ方でも、どこに当たっても、触れれば斬れる無刃の魔剣が。


 「腎臓貰った──!!」

 「お、悪くねえな」


 魔剣の一振りは、岩でも打ったような激しい手応えで弾かれる。

 ブラフを容易く読み切った泥人形の防御。だが、ただの枝が剣の腹を叩いて、腕を痺れさせるほどの衝撃を生むとは。しかも、枝には亀裂一つないときた。


 「いっ──!」


 痛い、なんて言っている場合ではない。

 フィリップはやや慌てながらも素早く足を解き、泥人形を蹴って飛び退くと、『拍奪』を全開に距離を取り──取ろうとして、バランスを崩して盛大に転んだ。


 「っ……!」


 魔力欠乏による脱力と眩暈。

 平時でも重い負荷ではあるが、バランス感覚の重要な拍奪の歩法には特に重い枷だ。


 予期した追撃は、どうにか受け身を取って立ち上がったフィリップの背後からやってきた。


 二分の一。

 上か後ろだろうと大まかな予測を立てていたものの、反応など、とても出来たものではないタイミング。


 背後の空間へヴォイドキャリアを振り抜くが手応えは無く、しかし、眼前には泥人形が居る。

 居る、というか、居た、というか。


 彼我の距離は瞬時にゼロになる。

 跳躍した泥人形の腕はフィリップの首に引っ掛かり、見かけ以上の重量を持つ身体は、ドロップキックのような姿勢で、既にフィリップの後ろへ跳んでいた。


 クローズライン──ラリアット。


 予想外の攻撃に対応できず、フィリップは衝撃のままに思いっきり倒れ込んだ。


 「ぐえっ……!」


 が、しかしそこはフィリップも、エレナに格闘戦を仕込まれた身である。

 直撃したし、受け身もなく背中から落ちたが、慣れてはいる。


 ヴォイドキャリアを振って牽制しながら立ち上がり、既に目の前で木の棒を振りかぶっていた泥人形の追撃を、どうにか飛び退いて躱した。


 だが先が無い。

 そもそもの速度も出力も人間を遥かに上回るパペット相手に「どうにか」の一手を間に合わせたところで、余裕の無さに付け入られ、詰められて、詰まされる。


 「一芸頼りは極めてからにしろ」


 泥人形の右腕が霞む。

 と、構えた剣と全身数か所に、エレナ並みに重いパンチが突き刺さった。


 剣は正眼から大きく流れ、両腕がびりびりと痺れる。

 撃たれた箇所には破裂したような鋭い痛みと熱感があるが、骨や内臓に通った感じはしない。


 ……いや違う。

 骨の浅い部分や内臓のある場所を、的確に避けて打ち込まれている。


 彼我の距離は三メートル程度。

 遠くはないが、パンチの距離でもない。飛ぶ斬撃──峰打ちバージョンの、だ。


 大きく姿勢が崩され死に体になったことを自覚しながら、フィリップはぼんやりと思った。


 しんどいし痛いし、やめよう──と。


 直後、二度目の大外刈りが綺麗に決まった。


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