第670話

 今まで剣師龍がその身を横たえていた、いやに平らな山頂──或いは中腹で寸断されたの上をひた走る。


 岩盤となにかの鉱石が入り混じった地面は斑模様だが、断面は整えたばかりのベッドシーツのように美しい。

 ブレスで抉り飛ばしたのなら、きっとこうはならないだろう。


 安定した足場に感謝して走りつつ、遥か上空を飛ぶ巨躯を見上げる。

 巨躯──眼前では全容の把握すらできないほどだったが、今では掌に隠れるほどのサイズだ。それほどの遠さ、それほどの超高高度。


 太陽を背に逆光を浴びながら、妨げるもののない大空を悠々と舞う姿には、威厳や畏怖を催す……のだろう、たぶん、常人は。


 残念ながらフィリップにそんな殊勝さはなく、さりとて「墜としてやる」という反骨心や対抗心もないけれど。


 あの巨躯が眼前にあった時には、人体は巨大生物に対する生理的な反応として恐怖していたが、離れてしまえばそんなものだ。


 「……遠いわね」

 「あの高度だと、重力操作での飛行は危険よ! 直接攻撃はこちらに任せて!」


 剣師龍の頭部側と尾部側で分かれた一行は、フィリップとルキアとステラ、イライザとヘレナとノアのチームだ。


 既にかなりの距離が開いており、ルキアの呟きが聞こえたわけではないだろうが、返答のようなタイミングでヘレナが叫んだ。


 遠く、イライザが三対六枚の翼を広げて飛び立ち、浮遊したヘレナがその後を追うのが見えた。

 二人はどんどん上昇していくが、ふとイライザが止まり、ヘレナが追い付いて何事か交わしたような間を置いてから、再び上昇を開始する。


 「危険って言うと、やっぱり酸欠ですか?」

 「他にも高山病とか、色々ね。ステラ、私たちはどうするの? このまま空を見上げているだけ?」

 「それが許されるなら、是非ともそうしたいところだが──」


 ステラの言葉は、降り注いだ爆音によって遮られた。

 先ほどより幾分鋭くも、やはりどこか気のないような咆哮。威嚇ではないという印象はそのままだが、しかし、何の意味もないということないだろう。


 剣師龍の性質やスタンスを鑑みて、ぱっと思いついたのは──警告。


 頭上で、逆光を纏ったシルエットがくるりと回転する。

 横向きの旋回ではなく、縦に──地上に向けて、長い尾を振り下ろすように。


 あまりにも遠く、逆光のせいもあって判然としないが、長い尾の先は剣のような形になっていた。


 「っ?」


 ふ、と視界の端に違和感が過る。

 目を向けると、フィリップたちとノアのいる場所のちょうど真ん中あたりに、黒い線が刻まれていた。長さは100メートルくらいだろうか。


 ──いや違う。

 二メートルほどの幅があるそれは、平面的な線ではない。


 長く、深く、に生じたクレバス。

 剣のような尾の一閃で飛んだ斬撃が、音もなく、衝撃もなく、水でも通すかのように山へ──土へ、岩へ、鉱石へと通した斬撃線だ。


 ともすれば初めからあったものと、或いは自然に生じたものと錯覚してしまいそうなほど、静かに。分かりやすい視覚効果エフェクトの類もなく、ひっそりと。


 何かのトリックを疑うべき状況だ。

 これが人間相手なら、の話だが。


 全長1000メートルの巨大生物が、自分の爪より小さな人間相手に小細工を弄する必要はない。

 地面に舞い降りて、手の置きどころが悪ければ、それで終わり。人間の四匹程度、そうと気付くこともなく踏み潰すだろう。


 「……さて。どうしますか?」


 上空ではイライザとヘレナが奮闘している。いや、奮闘しようとしている、と言った方が正しいか。

 横殴りの竜巻や炎の柱が時折瞬いているが、。現れた瞬間に消えている。


 恐らく、剣師龍の強力な魔術耐性によって、魔術が成立した直後に破壊されているのだ。

 当たったところで存在格ガードで弾かれるとは思うが、そもそも当たってさえいない。


 何百メートルどころか、下手をすれば数千メートル単位で上空に居る相手を攻撃する手段を持たないフィリップとしては、椅子にでも座って行く末を眺めていたいところだ。

 まあ、それは許さない、「力を見せてみろ」というのが、先の警告じみた攻撃に込められた意思なのだろうけれど。


 「二人が声も届かない距離まで飛んでいるからな。援護しようにも誤射が怖い。事前に伝えておいたはずだが……」


 ステラは不機嫌そうに上空の二人を見上げたが、すぐに視線を下げる。

 その先を追うと、こちらに走ってくるノアがいた。


 「ちょっと遠すぎませんか!? これじゃ援護どころじゃないですよ!」

 「大方、ウィレットが先走り、マルケル候がフォローについている……つもりで、その実、あれも魔王真体との模擬戦と考えて、視野が狭くなっているのだろうな」


 不機嫌さが抜けきっていないステラが呆れ混じりに分析する。


 その傍らで、ノアもまた同じような顔をしていた。

 不機嫌そうな──或いは、退屈そうな。


 「あーあ。ゴフェルがいれば、あたしも参戦できたのになあ」

 「ゴフェル? ノア聖下の騎竜ですか?」

 「そっ。まあ本番には連れて行けないから、今回も連れて来なかったんだけどさ」


 不満そうなノアに、フィリップは「へえ」と気のない相槌を打つ。


 騎竜には召喚契約が使えないのだろうか、という疑問が脳裏を過ったが、どうでもいいことだと、すぐに思考から消える。


 「私は援護できるけれど?」

 「誤射しないことと、意味のある攻撃が出来ることは別の問題だろう。まずは聖剣かヴォイドキャリアで一発……ヴォイドキャリアを飛ばしてみるのはどうだ?」


 ルキアの使う光属性の魔術は、電撃やレーザーのような形態を取るものが多い。

 つまり弾速が極めて速く、撃った後に上空のイライザたちが射線へ入ってしまうという事故が起きない。


 ただ、そもそも撃ったところで剣師龍相手に効くかどうか。いや、高確率で効かないだろう。

 あのサイズなら、顔面に直撃しない限り目晦ましにだってならないはずだ。


 しかしステラの案も、中々豪快というかなんというか。


 「僕が飛んでっていうのが──」


 今度はフィリップの言葉が、空から降り注ぐ咆哮によって遮られる。

 先ほどと同じくルキアたちが耳を押さえて身体を強張らせる隣で、フィリップだけが鬱陶しそうに空を見上げていた。


 「斬撃が来るぞ!」


 ステラの警告と同時に、フィリップたちの周囲に黒い半透明のドームが現れる。

 天体級の密度を誇る重力子の繭、空間隔離魔術『黒眩聖堂』だ。いくら常識外れの飛ぶ斬撃とはいえ、その正体が斥力である以上、山を切る程度の出力ではこれを破れない。


 遥か上空を飛ぶ剣師龍は、地上へ一方的に遠距離攻撃を仕掛けられる。

 しかし、フィリップたちを殺す気が無いというのは本当のようだ。


 今もまた新たに斬撃線が山の断面へと刻み込まれたが、フィリップたちのいる位置からは30メートルほど離れている。

 それに先ほど同様、攻撃前に警告のような咆哮があった。


 まるで──急き立てているかのようだ。


 「来い、ってことなんでしょうけど……」


 誰か、など言うまでもない。

 ヴォイドキャリアを持った駆け出しの小僧──剣師龍の興味を惹いたフィリップに決まっている。


 しかしフィリップに翼は無く、酸素の薄い極高高度でも安全に飛行できるのはヘレナだけで、彼女は既に飛び立った後だ。


 ルキアの重力操作でも飛行──は可能だが、高山病などのリスクがある。

 それに、そんな特殊な状態でまともに剣を振れる気はしない。


 どうするか。

 その思考に答えが出ないうちに、戦況が変わった。


 「……?」

 「……ねえ、なんか」


 空を仰いでいたルキアが眩しそうに、いや訝しげに目を細める。

 その隣で、ノアも怪訝そうに上を指差していた。


 「あれってさ、どう見てもよね?」


 空を舞う剣師龍のシルエットが、徐々に徐々に大きくなっていく。

 元が超高高度、そして規格外のサイズのせいもあって、速度や距離感は判然としない。


 しかし明らかに、それは地面に向けて降りてきて──或いはフィリップたちを目掛けて落ちてきていた。


 全長1キロの巨大生物が。

 推測値3000トンの巨大質量が。

 

 


 剣師龍にしてみれば、それは先の斬撃なんかとは全く違う、攻撃でもなければ威嚇でもない、何の意思表示にもならない単なる動作だろう。

 人間が歩くように、魚が泳ぐように、鳥が飛ぶように──飛んだ鳥が木に止まるように、何のことはない日常動作。


 だが。


 「下敷きどころか、着地の衝撃だけで内臓が破裂するレベルだと思うんだけど、どう?」

 「僕に聞かないでください」


 半分諦めが入っていそうなノアだが、衝撃は直接内臓で発生するわけではない。

 発生地点から空気や地面を介して伝播した衝撃波が人体を通り抜け、その過程で破壊が生じるだけだ。


 つまり、着地地点との間に断絶があれば、衝撃波は伝播せず、内臓も無事に済む。


 「ルキフェリア」

 「はいはい」


 気のない──緊張感のない返答と共に、フィリップたちは重力の軛から逃れる。


 その全周囲を半透明の球体が覆った直後、周囲は真っ暗になった。


 「……これ、もしかして埋まってますか?」

 「大丈夫。下敷きにはなってないよ。……まだ今のところ、だけど」


 ノアの言葉通り、『黒眩聖堂』は剣師龍の巨躯に踏み潰されたわけではなく、概ね胸の下辺り──巨躯が作り出す影の中にいるだけだ。


 あまりのサイズ故に、日の光が殆ど遮られているだけ。

 屋根の下というか、ちょっとした洞窟のなかに居るようなものだ。


 「……折角降りてきてくれたわけですし、ちょっとヴォイドキャリアでつついてみましょうか?」


 言って、フィリップは腰に佩いていた結晶の剣を抜く。


 「それでどうなるの? 首を切ったって、鱗1枚分の厚さも通せないでしょ」


 ノアは半分呆れ、半分興味といった風情で尋ねる。


 全長1000メートル、爪一つが邸宅サイズの怪物相手には、あまりにも心許ない武器。


 だが、彼我のサイズ差は、この場合あまり関係がない。


 「爪の先にほんの少しでも傷を付けられたら、少なくとも存在格の隔絶を解消出来る──これを、人間なんかには傷つけられない高みから、人間如きに傷つけられるモノへと引き摺り下ろせる」


 それが、王龍戦における大前提だ。

 しかし、そこまではノアにも事前に共有してあった。


 彼女が引っ掛かったのはそこではない。


 「マルケル先輩の魔術が一瞬で掻き消されるの、見たでしょ? サークリス先輩の空間隔離魔術でさえ、影響範囲に入る前に成立したからギリギリ保ってるような状態。特殊な防御がなくなったからって、この馬鹿げた魔力と魔術耐性が消えるわけじゃないなら、あんまり意味はないよ」

 「えっ……」


 嫌な記憶を思い出し、フィリップは苦々しく表情を歪める。


 あの時も帝国の山だったが、帝国の山にはそういう曰くでも付いているのだろうか。


 「『明けの明星』も、本来の威力は出ないでしょうね」

 「私もアルシェも、火力は半減か……三割と言ったところだろうな」


 ルキアもステラも平然としているが、語られた内容はかなり悪いものだ。

 少なくとも、ここまで『前提の一撃を当てればどうにかなる』と思っていたフィリップにとっては。


 「元が分かんないから何とも言えないんですが……爪くらいは切れますか?」

 「指くらいは落とせるだろうな」


 指──と言ったって、豪邸サイズの爪が生えている、これまた豪邸サイズの部位だ。

 人間基準で語るなら大破壊の部類だし、ドラゴンにとっても、指の欠損は些事ではないだろう。


 そのサイズの怪我なら、百とは言わないまでも、千ほど繰り返せば死に至るだろうから。


 だからまあ、当初の想定より幾らかスケールダウンはするが、魔術主体で戦うことには変わりない。


 切り札級の攻撃数発で片が付くなんてことはなく、泥臭い殺し合いにはなる。

 ブレスを撃たれる前に殺し切るなんて到底不可能だろうから、苦戦することも確定だ。


 しかし方針を丸ごと投げ捨て、全てを諦めて邪神砲をぶっ放すほどの破綻ではない。


 「……」


 一行が厳しい現実に重い息を吐いていると、隔離の向こうに動きがあった。

 剣師龍の巨躯が大きく──本人にしてみれば多少の身動ぎ程度に動き、日の光が再び現れる。


 その上から、太陽を背に光を浴びながら、イライザとヘレナが降りてきた。


 ルキアの魔術が解かれ、声が届く。


 「皆、無事ね!?」

 「ご無事で何よりです……!」


 一行が一か所に揃うと、すぐ近くの地面が波打ち、滲み出すようにして泥人形が再び現れた。


 そして再び日が翳る。

 見上げると、巨大な頭部が睥睨するかのように見下ろしていた。


 「──とまあ、これが今、お前たちがプロメテウスに挑んだ場合の展開だ。本番は魔術とブレスがひっきりなしに飛んでくると思えよ」


 口のない泥人形が言う。

 言われるまでもなく、今のが対魔王、対王龍戦において最も実現する可能性の高い展開であることは分かっていた。


 手出しできない高高度を飛ばれ、巻き込まれたら終わりのブレスを撃たれて、終わり。

 人類サイドに出来ることといえば、空間隔離魔術の内側に引きこもってブレスをやり過ごすことくらいだ。


 フィリップは溜息を吐き、そのまま呆れたように笑った。


 「……ヴォイドキャリアを正しく使えたら、このどうしようもなさが覆るって?」

 「あぁ。やる気は出たか?」


 やる気……というか、まあ、義務感なら出た。或いは焦燥感と言ってもいい。

 

 これはちょっと──本当に、本気で習得しないと駄目なやつだ、と。

 これまでの領域外魔術や、剣技や拍奪、召喚術とは違う。趣味とか卒業要件とかではなく、本当に“必要”なやつだ、と。


 そう、実感を伴って理解できた。

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