第660話

 「懐中時計だけは無事だった、ではなく、懐中時計だけは直させたのか。どうせなら龍貶しも直させろ。新造するようなリソースはない」


 事のあらましを語り終えたフィリップに、ステラは呆れたように言った。

 呆れたようにというか、実際にちょっと呆れてはいるのだが、その宛先はフィリップではなく相変わらず面倒臭いナイ神父だった。


 どうせなら云々も、フィリップがナイ神父を完全に掌握しているわけではないことを分かっての、ほんの冗談だった。


 そこまではフィリップにも分かったが、最後は初耳だった。


 「そうなんですか?」


 確かに古龍と成龍の素材をふんだんに使った、量産など端から考えてもいないワンオフ品ではあったけれど。


 しかしそれでも、元は家屋のように大きな古龍だ。

 素材の備蓄──と言えるほどの量はないにしても、予備分くらいはありそうなものなのに。


 不思議そうに尋ねたフィリップに、ステラは困ったような苦笑を浮かべた。


 「正確には同じものをもう一本作るだけなら可能だが、メンテナンス分の素材が無くなる。それに、レオンハルトは以前より上質なものを作ると言って聞かなくてな」

 「あはは……。まあ、どうせお礼参りはするので、ブチ殺した王龍の素材をそれに充てましょう。いいですよね?」


 いいですよね、という確認の対象は広い。

 王龍を殺すこと、その素材を持ち帰ること、それを私的に利用すること。その全てだ。


 それを確認すること自体、その全てが、最終決定をステラに委ねるくらいにはどうでもいいことの証明だった。


 あの王龍を殺すのは確定事項だが、今すぐに殺したいほどの憎悪はない。その生存が一秒でも続くことが許せないというほどの殺意はないのだ。

 時計や武器が壊れたのがその王龍のせいだという認識が、あくまで人伝に聞いたものでしかなく、実感として乏しいのが大きい。


 武器の修繕も、まあ出来ればやっておきたいところではあるが、必須事項ではない。

 日常生活に於いても、魔王征伐に際してもだ。


 聖痕者に囲まれての旅程に、フィリップが剣を振り回すような場面は訪れないだろう。

 敵は同行者たちが鎧袖一触に、視界に入った瞬間に屠る。剣士二人の出番はない。


 そして魔王戦に於けるフィリップの役割は、戦線崩壊時に盤面をひっくり返すこと。

 道中の安全をルキアたちに一任できる以上、武器を持つことは必ずしも必要ではない。


 ……いや、まあ、不測の事態を考慮すれば自衛手段を持つべきだ。だから必須ではないにしろ、必要性自体はあるけれど。


 王龍の素材の使い道に関しては、そんな「まあ、あった方がいいよね」程度の必要性しかないものより、王国の──ステラの利になる用途があるなら譲るというだけだ。


 割とどうでもいい。

 王龍に攻撃されたことも、丸腰であることも、希少な素材の扱い方も、全て。

 

 そんなフィリップの思考や価値観は、ステラもよく理解していた。


 「……そう言うだろうとは思っていたがな」


 仕方ない奴だと言いたげに笑うステラだが、黙認してくれる口ぶりではない。

 駄目なのかな、とフィリップはカップを置いて顔色を窺う。


 「今回の件、事態を重く見ているのは我々だけでは──王国だけではない」


 わざわざ言い直したのは、フィリップが事態を重く見ていないから……ではない。

 ステラとフィリップ以外の、もっと多くの人間を示すためだ。


 「国内は勿論のこと、帝国も二件目がになることを恐れ、一刻も早く魔王征伐に挑むよう私たちに要請した。私たち──聖痕者に、教会を通じてな」

 「はは……。今行ったって、人類に勝ち目はないですよ」


 魔王は七つの頭を持つ王龍。つまり想定される火力はアレの七倍、ないし七連射だ。

 まあ、だから何、と思わなくもないけれど──外神の視座は、それを何ら脅威と見做していないけれど。


 なんせ魔王だの魔王龍サタンだのは“智慧”に無い。先の王龍も同じく。


 とはいえ、人間一匹殺すには十分すぎる火力だ。

 殺傷範囲から退避するのもまず不可能。生半な防御では数秒で蒸発──アンテノーラの全力のバフによって上位吸血鬼すら上回る肉体強度を得てもなお、千切れ飛んだ頭部が炭のボールになるほど。


 空間隔離魔術レベルの防護があれば耐えられそうだが、あれは展開後に移動や拡張が出来ない。

 つまり、聖剣で一撃入れるという魔王戦の大前提が、途轍もない難易度になる。


 ルキアたちの技量なら王龍の攻撃に防御を間に合わせることは出来るかもしれないが、イライザが王龍の攻撃を掻い潜って一発当てるビジョンがまるで見えない。


 「まずはイライザが強く──前提の一撃を確実に決められるくらいには強くならないと」

 「そうだな。だが、それに何年かかる?」


 取り敢えず一発当てられるようになろうね、なんて、そこだけ聞けば笑ってしまうくらい低い目標だ。


 しかし、相手はだ。

 3000メートル級の高峰を悠々と飛び越える飛行能力だけで、既に強敵という感じがひしひしとする。


 イライザも疑似熾翼で飛行は可能だが、そこまでの高空を、戦闘に耐える速度で飛べるかは不明だ。


 というか、アレに一発当てて無事に帰ってこられそうな剣士なんて、フィリップの知る限りミナしかいない。


 しかし、人間とは基礎能力から頑健さまであらゆる面で優れるミナでさえ、魔王龍と戦うならフィリップを抱いて逃げると言っていた。

 100年もの研鑽を重ねた化け物でさえ敵わないのなら、人間なんかが何百年訓練したところで届きはしないだろう。勝ち負けを論じる域でなく、一撃入れるだけでも。


 そんなことを考えて、フィリップは自分の思考に僅かな引っ掛かりを感じた。

 すぐにどこかへ飛んでいってしまったその正体は、ミナを「化け物」と称することに物言いたげだった、彼女の母親のことだ。


 王龍の攻撃に巻き込まれ、当然に蒸発したカイナ。

 死んだとはいえ、一応は遭遇したことをステラに言おうと思っていたのだが、完全に忘れている。


 「アルシェから一つの提案があった」

 「ノア聖下から?」


 なんだろう、とフィリップの興味が内心の僅かな引っ掛かりを離れる。

 

 ステラは咳払いを一つ。


 「心・技・体。三つ揃って初めて“強さ”と言えるが、今からフィジカルを鍛えたところで龍に適うはずもなく、メンタルを鍛えたところで根性論ではどうにもならない。であれば鍛えるべきは“技”一択で──帝国にはその用意がある、と」


 ステラが語ったノアの言葉に、フィリップは「ん?」と首を傾げた。


 言っていることは、まあ、間違っているとは言えない。

 ドラゴン相手にフィジカルで渡り合おうとする馬鹿……いや『超人』には二人ほど心当たりがあるが、イライザがあの二人の肉体強度を手に入れるのはまず無理だろう。


 訓練どうこう以前に、本職の男と十代の少女では土台が違いすぎる。


 戦闘でメンタルは大事だし、「勝てない」と思ってしまうと能力で勝っていても押されてしまうなんてことはよくある話だが、ドラゴン相手にいくらメンタルセットを整えたところで焼け石に水というか、蛙の面に水というか。


 しかし、それは技を磨いたところで同じだろう。

 同じく──血の滲むような努力と汗と涙と、あとなんか色々詰め込んで磨き上げた技術だろうと、気の持ちようくらい意味が無い。


 「え? なんだろう……当たったら無条件で即死するスーパー剣技とか?」

 「大抵の技は当たったら殺せるように組むと思うが……


 半笑いで口にした冗談に、まさかの肯定が返る。

 「え?」と、フィリップは半笑いのまま困惑を漏らした。


 「どの国も龍種の縄張りや現在地は把握するものだが、帝国にはいっとう有名な王龍が居る」


 どの都市でも、どれだけ閑散とした過疎集落でも、近郊に龍が居るのならそのことを把握している。

 その場所では「あの川は流れが速いから遊んではいけないよ」とか、「あの通りは馬車が通るから気を付けて渡りなさい」といった、日常といえるもの。


 しかし逆に、近郊の住人でもなければ把握のしようがない情報でもある。

 それを集約して把握している辺り、王国も帝国も災害への備えが国家単位できちんと出来ていることの証明だが、フィリップはそこに思いを馳せることなく、「なんだろう」とだけ単純に考えた。


 帝国民でないフィリップでも思い当たる名前は、一つしかないのだが。


 「剣師龍ヘラクレス。“剣術”という概念の創始者──ミナの話を聞いたアルシェの発案でな。ウィレットを剣師龍に師事させてはどうか、と」


 思い浮かんだとおりの名前に、ふむ、とフィリップは小さく唸って背凭れに体重を預けた。


 「……言いたいことが二つあります」

 「許す」


 大仰な──彼女の地位を考えれば何ら大袈裟ではないけれど──赦しを得て、フィリップも「ありがたき幸せー」とテーブルに伏せてみる。


 「で、えーと……それと、僕がお礼参りをすることに何の関係が? まさか、アレが剣師龍だったんですか?」


 だったらまあ、ちょっとくらい待ってもいいけれど。

 何が何でも未来永劫手を出すなと言われるわけではないのなら、数日や数週間、或いは数年程度の生存は許せる。


 まあ速やかに殺すだけの激情はないというだけで──感情的に殺す理由はそれほど強くないというだけで、龍貶しの新造に素材が必要だから、そのために殺さなくてはならない。

 だから待っても数か月になるが。


 「いや、お前を撃ったのは別の──王国の正式名称ではKF-SlaG-002、“グスタフ”という通称が付いている個体だ」

 「通称めちゃくちゃ人名ですね」

 「呼びやすいし覚えやすいからな」


 まあ確かに、記号的なものよりは遥かに。

 地方によってはハリケーンや時化に人の名前を付けるというし──何年度何号、とか、一々覚えていられないから──数多い災害の一つと考えれば、それほどおかしなことではないのかもしれない。


 「で、その“グスタフ”を殺しちゃいけないって話ですよね? なんでです?」


 大々的に「殺してきます!」と宣言して出立し、死体と一緒に凱旋するとかなら、まあ、それが大きな問題に繋がるのは分かる。


 王龍より一段格の落ちる──実際は一段どころではないが、一般にそう語られる──古龍を殺したときでさえ、それはもう大騒ぎだったのだから。


 魔術師を中心に感染し致死率も高い病気が国の中枢に蔓延しているという、下手をすれば国家滅亡の危機という状況。

 古龍の心臓と血があれば解決できるという状況で、最後の最後まで「殺して奪う」という単純明快な方法が議論されない程度には、古龍の戦力評価は高かった。


 実際、あれは偶々近くにエルフの首都があって、そこに偶々存在格の隔絶を無視して攻撃できる魔剣ヴォイドキャリアがあったから、偶々上手く行ったようなものだ。


 衛士団の援護ありき──というか、フィリップが衛士団を援護したような形だったし、止めを刺したのは衛士団長だが、それでもフィリップは“英雄”になった。

 

 古龍の前をチョロチョロ走って時間を稼ぎ、数分足止めしただけの、たった十二歳のガキが、王城の礎石に名前を刻まれるほどに評価された。

 まあ、あれは『眠り病の解決に必要な材料を手に入れた』『解決を先導した』という評価もあってのことだが。


 王龍殺しは、それを超える。

 衛士団の精鋭たちが揃っていて、ヴォイドキャリアがあっても、恐らく「褒賞」では済まない。


 古龍は“強敵”だったが、王龍は“災害”。

 それも生半なものではない、大災害だ。


 あれと同じ破壊痕を作れる人間は聖痕者だけだろう。

 それを“英雄”とはいえ魔術適性皆無のフィリップが殺したとなると、良くて生涯監視付き、最悪暗殺だ。


 それは嫌だし、そもそも名誉欲や自己顕示欲のないフィリップは、こそっと行って、必要分の素材だけを剥いで残りは焼却するつもりだった。


 まあそれでも「なんか王龍が一匹消えたぞ?」という衝撃と疑問は大陸中に広がるだろうが、そんなのは知ったことではない。


 「ちゃんと誰にもバレないように殺しますよ? まあ、運悪く現地を監視していた人とかが居たら、たぶん残念なことになりますけど」


 ポットを傾けて紅茶のお代わりを注ぎながら、フィリップはどうでも良さそうに言った。

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