25話「超越者」
女の顔に見覚えがあることに私は気が付いた。
殺傷事件で指名手配されていた容疑者だ。国会審議で挙げられていた事件だ。
この悪夢を止めても、現実の彼女は止められない。指名手配されている相手の夢を醒まさせるだけでは何も解決できない。それで良いのだろうか。
死体が重なった中からまだ息のある生存者の苦し気な声が漏れ聞こえる。それを満足げに眺めながら女は言う。
「誰かの幸せを壊さないと私の幸せはやってこない」
「そんな思い込み、悪い夢でしかない」
手の動きだけでは読み切れない不可視の刃の軌道。回避しきれず切っ先が私の学生服の裾を裂く。
見えなくとも物質は存在している。あの死体の山に刺さっていたのは彼女が使っていた武器の一つではないのか。では、なぜ持ち変える必要があったのか。
私は思考する。
血塗れの武器では切れ味が落ちる。いや、それ以外に理由がある。
その造形が見えてしまうのだ。
私は目当ての物を探した。死体の山の側に転がっていたスプレー缶塗料を拾い上げて投げ飛ばす。顔目掛けて飛んできたそれを、彼女は無視できない。その手で缶を勢いよく叩き切った。
裂けた缶から中身が飛び散った。空中に塗料が飛散する。
白の塗料が血塗れの彼女を上から塗りつぶす。握っていた不可視の刃にも塗料は纏わりつく。粘度の高い液体が刀身を縁取る。不可視の刃の正体を景色から浮かび上がらせる。
彼女が両手に持っていたのは二本の両刃の剣だった。塗料が切っ先から垂れていく、その全貌が見える。間合いと軌道が読めるならば対処出来る。
彼女が頭から被った塗料に悪態を吐いた。そして、その手にした得物が優位性を喪失したことに気が付いたようだった。
私は既に間合いまで踏み込んでいる。迎撃の為に振り下ろされた剣の軌道を見て、私は刀を合わせて受け流す。刀を構え直し今一歩を踏み込む。
「あなたの夢は危険すぎる」
「私の夢に他の誰かが口を出すな!」
憎悪のこもった彼女の雄叫びに私は手を一瞬止めた。視界の端で白い煌めきが動くのが見えたが反応が遅れる。
横凪ぎに振り払われた剣の攻撃を受け止めるも、力負けして刀の切っ先が迷うように宙を舞う。そして空中に赤い飛沫が舞った。
自分の血だと遅れて気が付く。左腕に先程よりも深い切り傷が出来ていた。肌を焼かれたような痛みが電子神経を介して脳に走る。抑え込めない程の痛覚が流れ込んでくる。足がもつれその場に崩れ込む。
震える右手で刀を握り直す。
呼吸が速くなっているのが分かる。傷口から血と共に思考すらも流れ出していくような錯覚に陥る。痛覚という只の生理的反応に私の思考は自らの支配下から逸脱しかけている。視界が一瞬朦朧とする。
気付けば、彼女は私の前で剣を振り上げていた。
振り下ろされた剣に向けて刀を構えるも、激しくぶつかり合った刀は私の手から弾き飛ばされた。身を護る為の刃が呆気なく手の中から抜け落ちる。そして女の殺意が形となって目前に迫った。
その瞬間。
私の視界で影が翻る。
あの少女が私の目の前にいた。私が声を上げるよりも早く少女は手を翳す。
激しい水飛沫が上がった。何も持っていない少女の手から大量の水が溢れ出る。零れる水は突如踊り狂うように渦を巻き収束し勢いよく噴射される。さながら放水車を思わせる強烈な奔流が女の身体を一気に吹き飛ばした。巻き込まれた周囲の死体が木の葉のように吹き飛んでいく。あの洪水ほどではないが不可思議で異様な光景であった。
強烈な水圧で吹き飛ばされた女の身体がビルに打ち付けられると、そのまま少女の放水は追い打ちをかける。ビル一面の硝子にヒビが入るほどの強力な水圧で彼女の身体はひしゃげる。そのまま硝子を破ってビルの内装を破壊していた。
私は傷口を強く抑え止血を試みる。心臓の拍動が鼓膜を叩き傷口は熱く、腕の感覚は微弱になる。そんな私の姿を少女は興味深そうに見つめていた。痛みを抑え込みながら私は口を開く。
「彼女はまだ言葉が通じた。無意識の反応を利用して彼女の居場所を聞き出せば、犯罪捜査の進展に繋がる可能性もあった」
私の呟きに少女は首を傾げた。
「夢を守るのに、関係ないもん」
「夢を守る?」
「それより。夢は見れるようになった? おねえさん」
その質問に私は困惑する。
夢なら今この瞬間も見ている。私はその言葉を呑み込む。
それとも。
私が本当の意味で夢を見ることが出来ないと、少女は知っているのか。問いの真意を確かめようとしたその瞬間。
閃光が走り抜けた。少女の身体を貫いて。
ビルの間で反響した轟音が遠方から遅れて聞こえてくる。少女の身体が勢いよく宙を舞い、地面に転がった。少女を弾き飛ばした原因が銃弾だと遅れて理解する。
狙撃だ。
麻木から通信が入る。
「古澄ちゃん、目標を制圧して」
麻木が少女を撃ったのだ。麻木の夢として引き金を引いたのだ。
私は銃声の方向へと振り返る。射撃位置の情報が麻木から送信されてくる。此処から約七○○メートル離れた場所に位置するビル。差し色として赤く塗装されたアルミカーテンウォールと剥き出しのフレームが印象的なそのオフィスビルの一角に麻木は陣取っているという。
麻木の持っていた大荷物は狙撃銃一式だったのだと私は気が付いた。この狙撃に関して麻木から事前に説明はなかった。少女を狙撃した思惑が分からず、私は問い返す。
「何故撃ったのですか」
「大丈夫、急所は外してる」
麻木の狙撃の狙いはあくまで少女の無力化。夢の中で強烈な痛みと恐怖を与えることで機能停止を目的とした攻撃であり、夢から醒まさせる為のものではない。許容量を超える刺激や痛みは避けた。死の概念も与えていない。少女に気取られない距離を維持しつつ、それを達成出来る最低限の威力に抑えたと。
麻木の説明をよそに、少女はゆっくりと死体の山の中から立ち上がった。
「どうして攻撃するの?」
傷一つ、苦痛の素振り一つなく、少女は私に問う。怒りや嘆きではなく心の底からの疑問のように聞こえた。
その姿に敵意や殺意は見られない。
私は目を疑う。
その身体には銃創はおろか傷一つなく、血が流れだしている様子もない。袖口に糸の解れすらない。少女は何事もなかったかのように立っていた。
撃たれた事実を理解していないかのように。
傷ついた事象を否定してみせたかのように。
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