16話「焔の意味を」
振り返り視線を向けた先、駅前の大通りで突如火柱が吹き上がった。音に遅れて熱風が吹き荒れ肌を引っ掻いていく。続けて二つ.目の火柱が立ち上る。
炎は近くの乗用車を呑み込み、それを燃料として更なる焔を巻き散らした。道端に不自然に立ち並んでいた彫刻品の数々へと燃え移り、爆発と炎の連鎖で焦げた風が火の粉を乗せて吹き荒れる。
火柱はあっという間に数を増やし可燃物を求めて猛り狂う。再びの轟音と共に爆炎が舞う。まるで地面の下から吹き上げる溶岩を思わせるような特異な炎だった。
地面に引火物の類は見えなかった。路面にヒビの類もなく漏出した都市ガスに引火したようには見えない。
夢の世界は基本的に現実の物理法則に従う。火災であっても同じだ。出火の原因と可燃物が必要だ。
だが、これは現実の物理法則から逸脱している。
通常の火事の光景とは違う。物理法則を無視した事象の発生。
悪夢だ。
葉久慈氏の言葉が脳裏を過る。
偶然にしては、あまりに出来すぎている。少女の出現と悪夢の発生に関連性があるように見える。
少女の存在は気にかかるが、今は目の前の悪夢を止めるのが優先であった。大規模な火災の悪夢がどれだけの人に影響を及ぼすか想像もつかない。この光景を目撃した人々の精神的負荷は相当のものになる。悪夢の連鎖が発生する可能性が高い。
そう判断した瞬間、誰かに腕を掴まれた。呼吸を乱した葉久慈氏の姿があった。
どうしてここに、私の問いは熱風と爆音にかき消される。私は咄嗟に身を屈める。
「悪夢か」
葉久慈氏が状況を目の当たりにして呟く。
大規模な爆発とそれに起因した火災の発生。夢の中でも直視し難い光景だった。
飛び散った炎が人々に燃え移り始める。火の付いた衣服に錯乱し逃れようと地面を転がると付近の人を巻き込み、次なる引火に繋がった。燃え盛り更なる火災が連鎖的に発生していく。
突然近くにいた女性が悲鳴を上げて悶絶し金切り声を上げる。その足元で黒煙が発生していた。地面が溶岩のように溶けだしている。
私は咄嗟に持っていた携帯用飲料を顔へとぶちまけた。突然のことに驚き痙攣した彼女の姿は半透明になって消えていく。足元の溶岩と黒煙も共に消滅した。
彼女は悪夢の連鎖反応を起こしていた。火災は被害の想像を起こしやすい。始まりは一つの炎であっても、それを目撃した周囲の人々が更なる火災の夢を見てしまう。出火元だけでなく他の人が連想した夢を見るのを止めなくてはならない。
しかし、有効な手段は思いつかない。通行人全てを片っ端から覚醒させるのは不可能だ。
爆風を受けて吹き飛んだ人々が私の足元で呻きを上げていた。煙と熱気が立ちこめ、煙にまかれて倒れている人も多い。その身体を火種に新たな火柱が生まれていく。肉を焼き煙を上げ、強烈な脂の臭いが充満する。
燃え盛る炎が現実世界ではあり得ない挙動を描き、地面を這うようにして人々を追いかけていた。誰かが文字通り炎に追われる悪夢を見ているのだ。具現化された事象は観測によって、より強固に固定されていく。
私は麻木に対して通信を送る。
「爆発を引き起こした悪夢の持ち主がいる筈です」
「分かってる、もう捜してる! でも周囲一帯で悪夢の連鎖が起き始めてて数が多すぎる。絞り込めない」
「麻木、設置されている街灯の詳細な情報を探せますか。それと防災装置の管理者用のマニュアルも」
事象を具現化するには明確で精密な想像が、その為には詳細な情報が必要であった。
私は葉久慈氏の手を引き歩道に設置されている街灯の下まで走る。麻木から送られてきた情報を確認し、街灯の柱、黒く塗装されたその表面に既定の回数で触れる。柱の表面が浮きあがるようにして蓋が開いた。中に埋め込まれた制御盤を確認する。
十年前の消防法の改正と加速した都市再開発計画をきっかけに、主要な大通りの街灯は何れも火災用消火設備を内蔵している。普段は自動制御によって火災を検知すると連動し機能するが、管理者用の緊急作動機能も有している。
操作マニュアルが私の視覚情報に上書きされて半透明に重なる。視界に浮かぶ手順に導かれるまま制御盤を操作し私は消火装置を強制起動させた。
通りに並ぶ全ての街灯が一斉に呼応する。柱上部に存在する噴出孔から透明な消火液が散布された。周囲一帯は消火液の霧に包まれていく。霧は私達の眼前まで迫っていた炎の気勢を削いで火の粉へと変えていく。
防災装置が起動したという事象も他者の観測と認識によって強固に確立されていく。事象を終息させる為に、別の事象をぶつけることでこの夢をまずは食い止める。
周囲一帯は濃霧で染まり、火柱は炎に、炎は火に変わりつつある。火災は収まったが燻ぶり焦げた人型が幾つも道に転がっていた。彼等はどれだけの苦痛を体感しただろうか。
消火液でずぶ濡れになった学生服の裾を絞る。濡れた布がまとわりつく不快な感触や重たくなった布の冷たさまでも現実のように再現されていた。
惨状を前に私は考える。これが葉久慈氏を狙った攻撃だという可能性はあるのだろうか。私の横に立った葉久慈氏は頭から水を被っており前髪から滴る水滴を払っているところだった。
そのずぶ濡れの姿を示しながら心なしか不機嫌な様子で葉久慈氏は肩を竦める。
「とりあえずは無事だ」
「やはり夢の中から早急に離脱させるべきでした」
「構わない。この悪夢が私を狙っているものである可能性は捨てきれない、であれば見届ける必要がある」
大規模な火災によって焦げた街並みと燻ぶった死体が並ぶ悲惨な光景。それを前にしても葉久慈氏に動揺している素振りは見えない。
夢の中で人の認識は正常には働かない。現実では起こりえない奇妙な光景に違和を覚えながらもその正体を捉えられなかったり、そもそも奇妙であると気付けないこともある。文字通り夢見心地の状態で、人がその認識や思考をどの程度保てるかには個人差がある。
故に、この凄惨な光景を目の前にしても全ての人間が一様に同じ反応をするわけではない。恐怖、混乱は無論、状況を理解できず呆然としたまま炎に焼かれる者もいる。火災という事象そのものに気が付かず道端で踊り続ける者もいる。
だが葉久慈氏の動揺の無さ、この光景を確かに認識し平然としていられるのは、彼女の強固な精神を垣間見た気がした。
鎮まった火災の光景を前に私はあの少女の姿を探す。
もし本当に、これが葉久慈氏を狙った攻撃であり、悪夢の発現とあの少女に関連性があるのなら。
「古澄ちゃんの目の前に反応がある!」
麻木の緊迫した声が脳内で響いた。私は咄嗟に身構える。
葉久慈氏が何かを見つけたようでその表情を歪ませる。その視線を向ける先に見えた焔の塊に私は目を疑う。
その存在は燃え盛る人型としか形容しようがなかった。
身体中を包み込む炎は、その身体を燃料として燃えているように見える。全身を焼かれていても一切の動揺や苦痛や混乱を見せぬ堂々とした歩み。黒く焦げた衣服は徐々に剥がれ落ちていき、その肌が露わになっても燃え尽きる気配はない。自らの身を燃やし、けれど炎を鎧であるかのように纏い、私達の方へ向けてゆっくりと歩いてきていた。燃える足跡は、一拍置いて巨大な火柱へと変わる。
炎の下に見えた顔に見覚えがあった。
音津氏であった。その身を焼く悪夢と共に周囲一帯を火の海へと変えていた。
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