15話「宙を踊る為には」
背負った黒のリュックが普段よりも重たく感じた。中に短機関銃を押し込んでいるせいだ。私が持ち込んだ概念が物質として確かに背にあった。
夢の世界の新宿で、私は人々が行き交う様子を眺めていた。
彼らの目には世界はいつもと変わらない平穏な景色に映っている筈だ。だが、彼等が気付かないだけで今日も夢の世界は、夢らしい事象が紛れ込む。
立ち並ぶ高層ビルの壁には巨大な南瓜と遊具がめり込んで、多色の塗料と謎の言語で落書きされている。ビルの合間の設置された石積みの壁が窮屈そうにしている。
現実世界を精密に再現した光景に不具合の様に異物が混じる。
だが、それらはまだ現実の軛の内側にあった。悪夢に変容する気配はない。それでも私は周囲の様子を警戒せざるを得なかった。
二丁拳銃の男の存在は、葉久慈氏に対する襲撃の可能性を肯定するものであった。意図的に悪夢を発生させる何者かの存在を疑わざるを得ない。今も何処かから機会を伺っているかもしれない。
音声通信が入り脳内で麻木の声が響いた。
「古澄ちゃん、葉久慈さん達の入眠予定時間から一時間経った。そろそろ夢の世界に接続してくる頃だ」
人が深い眠りに落ちるのは入眠から約一時間半後。その前後で夢を見始め、仮想世界に接続する。
まずは葉久慈氏と音津氏と合流する必要がある。合流地点は伝えてある。その場所へ行くような夢を見る為に、記憶の方向性を操作する術も伝えてある。
しかし、意図した通りの夢を見れるとは限らない以上、私が迎えに行く必要があるかもしれない。
私の懸念に対して麻木は言う。
「葉久慈さんは昨日上手に夢を見れたみたいだけど、音津さんはどうかな」
「葉久慈氏も毎回上手くいくとは限りませんよ」
「そうかな? 夢の世界に潜り始めた頃のあたしは、もっと下手だった気がする。それに比べたら才能あるかも」
「才能……」
その時、目の前を横切った幼い少女の姿に私は興味を惹かれた。
白いワンピースを行儀よく着た少女。よく磨かれた黒のフォーマルシューズ。毛先まで綺麗に揃えた手入れの行き届いた長い髪。
その後ろ姿に私は見覚えがあった。
葉久慈氏が悪夢に巻き込まれる度に目撃するという、白いワンピースを着た少女。その話と共に見せられた記録画像。よく似ている。
それと同時に、私は奇妙な感覚を抱いた。記憶領域の空白の箇所が何故か疼くように反応する。何も存在しない筈の空白を思い出すという感覚。
少女の後ろ姿を目で追う。横断歩道の人混みの中、少女は踊るかのように華麗に歩みを進めていく。乗用車に乗り上げた巨大な熊のぬいぐるみを見つけるとその背中をすれ違いざまに撫で、道の真ん中に陣取ったピアノの鍵盤を楽しそうに叩いて去っていく。
その行動の奇妙な点に私は気が付いた。起きている異常な事態に動揺する気配もなく、むしろ楽しんでいるかのように見える。
人は夢の光景を無意識に受け入れるように出来ている。無秩序で不可思議な光景であってもだ。
だが、少女は夢の光景の正確に認識し、そのことを当たり前のように受け止めているように見える。錯乱している素振りはない、曖昧な意識と反応でもない。少女は他人の夢を観測してなお自然に受け入れている。
私の視線に気が付いたのか、少女は一瞬こちらを向いた。目が合う。幼いながらも目鼻のくっきりとした顔立ちが印象的だった。
少女は確かに私の姿を確認した後、突然逃げるように駆け出した。夢の中とは思えないほど、その足元は確かだ。
私は咄嗟にその後を追う。周辺の地図情報を確認し少女の予測経路を絞り込む。少女は小さな体格を活かして人混みの中を器用に避けて走っていく。これが現実だとしても難しい芸当だ。
突然、少女を追いかけ始めた私に麻木が驚いた声を上げる。
「古澄ちゃん、どうしたの? 葉久慈さんと合流する予定じゃないの? 何を追いかけてるの?」
私は視界をデータ化して浅木に共有する。
「葉久慈氏は悪夢の発現の際に、あの少女と思わしき存在を目撃しています」
「あの子が犯人ってこと?」
「その判断は尚早ですが、あの少女は正確に夢の世界を認識できています。おそらく明晰夢に近しい技術を有している筈」
「考えすぎじゃない? それに明晰夢じゃ悪夢は引き起こせない筈でしょ」
「彼女自身が悪夢を見る必要はありません、協力者という立場かもしれない」
「あの子が誰かに夢の状況を教えてるってこと?」
「そうです。夢を観測して伝える立場、ちょうど私と麻木のように」
「あんな小さい子がそんなこと出来るとは思えないけど」
「夢の世界の外見は必ずしも現実とは一致しません。本人の夢の内容によってはどんな姿にも成り得る」
白磁氏に最初に見せられた少女の姿、その時に抱いた違和感。私に生じた後遺症とでも言うべき特異性を危惧し、電子神経の導入には年齢制限がある。
「そもそも、小学生以下は電子神経導入手術は受けられません。見た目が子供でも現実では違う可能性の方が高いんです」
私の行く手を自動制御の清掃機が邪魔をした。ターンテーブルを清掃用に拡張させたものだ。本来であれば人の行く手を遮るような動きはしない設計だが、これもまた誰かの夢である以上現実とは違う挙動をする。
何故か道端に積み上げられた辞書を片付けようと苦心する清掃機を躱して私は少女の後を追いかける。多少手間取ったが、子供の足に追いつくのは難しくはなかった。夢の中で自由に動けるという条件は同じだ。
少女までの距離を縮め、背中に手が届きそうになった瞬間。
少女は地面を蹴った。
その足元で奇跡が生じた。
まるでそこに見えない階段でもあるかのように。誰もが視認出来ない中、少女だけは確信を抱いているかのように。何の迷いも躊躇いもなく少女は空を踏みしめた。
何もない空間を踏みつけ当たり前のように駆け上がっていく。
その軽やかな足取りはあまりにも自然であった。少女は私の方を一瞥し、更に上空へと向かう。その視線は、あたかも無邪気な自慢をしているかのようで。
少女は既に私の背丈の倍の高さまで空中を駆け上っていた。
その光景に私は愕然とした。
夢の世界でならば確かに起こり得る事象、現実世界の物理法則を無視した夢の光景。
だが、それを正確に認識すれば現実との矛盾に人は精神的な負荷を受ける。現実の軛を超えた夢は、自らが夢を見ていると気付く一助となるどころか、悪夢へと変わる引き金に成り得る。
しかし、少女は何事もなかったように空を駆け上がって見せた。当たり前のように振る舞い、当然の如く事象を認識していた。
むしろ意図的に引き起こしたように見えた。
私の明晰夢は現実の軛を超えることは出来ない。夢であると理解しているからこそ、非現実的な現象を意図的に引き起こせない。それは無意識に起こる記憶と空想の混濁によって生じるものだからだ。
ならば、この奇跡は白磁氏の懸念した悪夢による攻撃の存在の証明となり得るのではないか。
「麻木、事象を確認できますか。これは視覚的な錯覚の可能性も」
その瞬間、悲鳴が聞こえた。
遅れて轟音が鳴り響き、私は咄嗟に身構える。
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