13話「絵を描くもの」
あの襲撃を成功させるには、喫茶店近くの光景を夢で見る必要がある。夢の世界で葉久慈氏の場所を確認して即時に、その場所の夢を意図的に見るのはあまりに難易度が高い。そもそも新宿区に辿り着くことすら出来ない可能性があるのだ。
「だから二丁拳銃の男は最初から葉久慈さんの出現しそうな場所を知っていたと考えるべきだと、あたしは思う」
男の素性に心当たりはなく葉久慈氏の情報が漏洩している可能性も低いと音津氏は言うと、別の疑問を口にした。
「二丁拳銃の男とやらに現実で話を聞いてみたらいいのではないですか」
「通信履歴から身元を特定すれば可能ではあるでしょうが」
私は続けて言う。
「彼が葉久慈氏を狙っていたとは未だ断定できません。夢が無意識下で行われるものである以上、夢の世界での行動が作為的であったかも判断できません。不確定な推測で個人のプライバシーを侵害することになります」
「では、代表を狙った襲撃は何故起きたのですか」
「推測ではありますが。例えばその日観た映画やドラマやゲームなどによって拳銃という要素が記憶に強く結びつき、通り魔的な犯行という形で夢の世界の事象として顕現した可能性があります」
著名人に対する妄執的な逆恨みがあったとかね、と麻木が言葉を継いだ。
「未然に防止することは出来ないのですか」
私は残っていたレモンスカッシュを飲み干す。炭酸の刺激と酸味が喉を一気に伝うと強烈な刺激となる。身体の中から込み上げてくる衝動のような呼気を押さえ込み、私は言葉を選ぶ。
「たとえ明確な殺意であろうとも、それは無意識に見る夢でしかありません。その是非を裁けるとは思えません」
己の夢を誰も支配など出来はしない。そして、する必要性もないと私は考える。
人の無意識は制御できない領域であり続ける方が良いのだ。誰もが私のようになる必要はない。発生した事象を後手で防ぐしかない。
私の持論ではあるが納得はしてもらえた。
話を終えて音津氏が帰った後も麻木の機嫌は直らないままであった。私が勝手に音津氏を呼び出したことが、よほど気に障ったらしい。私が素直に謝罪をすると麻木は唇を尖らす。
「邪魔されたのが嫌なの」
「邪魔?」
「せっかくの外出だったのに」
「何か埋め合わせはします」
「それならねぇ、えっと」
麻木が不機嫌そうな表情をやめて、その指をこめかみに当てた。電子神経でネットに深く潜る時の麻木の手癖だ。有意義な情報を見つけたのか麻木は笑顔で私の手を取る。
「もう一か所、付き合って」
「何処ですか」
共有された目的地は千代田区近現代美術館とあった。
あらゆるものをデジタル化する潮流は芸術にも及び、既存の美術館の地位が脅かされる中、依然確かな存在感を放つ国内有数の施設だ。
私は初めて訪れたが、麻木は慣れた様子で先導する。敷地内の巨大な噴水に囲まれた美術館の外観は、捩じれた蜥蜴を模したものだという。電子神経が私に通達してきた解説を二度読み直したが私は理解出来なかった。蜥蜴の肛門を潜るのは夢の中でも経験したことがない。
建物内部、その空間自体が一種の作品となっているらしい。
電子神経が作品についての詳細な解説を通達してくるのに重ねて、麻木が感想と説明と感情と論理を混ぜて語りだす。抽象的かつ非言語的な表現が連なると理解は困難だった。
館内の廊下には私を先導するように足跡が踊る。串刺しの琴が二十八本の氷柱を携えて回る。天井から降ってきた米俵が電子神経を通じて視覚情報に虹色の幕を上書きする。
いずれも奇天烈で非論理的な事象に見えるが、その一つ一つの意味と意図を麻木は語っていく。理路整然と組み立てらえた説明を耳にしても理解に苦しむ内容だった。
館内を進んでいくと開けた場所に辿り着く。天井まで届く壁面に埋め込まれた巨大なディスプレイ画面、それを覆い隠すようにに敢えて分厚い布を張り、絵を描いている女性がいた。頭から塗料を被り全身を汚した姿は、古めかしい芸術家像を体現しているようであった。私達に気が付いた彼女は額の汗を拭って言う。
「今日初めての生身のお客さんだ」
「生身?」
私が問い返すと彼女は私達の後方を指差した。現代社会において広く普及した自立制御機器、通称「ターンテーブル」が館内を走っていった。私の身の丈程の高さの円柱状の胴体にオムニホイールを付けた外観が特徴だ。応対、警備、清掃、運搬、など多種多様な用途に応じて、腕にあたる部分を拡張できる。金属質の表面からは見えないが無数のカメラとセンサーが埋め込まれている。
ターンテーブルが館内の廊下を行ったり来たりと繰り返す姿に彼女は言う。
「ネットを経由して観に来ている人さ、没入型? 今はフルダイブって言うんだっけ」
程度の差はあるが夢の世界に潜るのと同じ技術だ。あの機械がこの場所で動き回りカメラ越しの光景を映像送信する。それを操っているのはネットの向こうの来訪者だ。電子神経によってこの場にいると錯覚するような没入体験を、あの機械を動かすことで体感しているのだ。
「電子神経を通じて体感できるなら、此処が物理的な場所である必要はないのではないでしょうか」
それこそ夢の世界のように仮想空間を用いる方法がある。
「君達は来たじゃない?」
私の疑問に彼女は笑った。
電子神経はまだ拡大中だ。生身の客相手の場所というならば分かる。しかし館内にはターンテーブルしかいない。
麻木が絵を見上げていた。描かれているのは巨大な龍の姿であった。高層ビルに絡みつつ天に吼える龍の姿空想上の生き物でありながら、その存在感と躍動感はさながら現実に存在しているかのようだ。
「展示したけど、後から見たら納得いかなくて今描き加えているところ」
「それって良いんですか?」
麻木が首を傾げるも芸術家の彼女は笑い飛ばす。
「私の絵だもの」
傍から見れば完成度の高い絵であるが、彼女は躊躇うことなく大胆に上から塗料をぶつけていた。
気が付けば大量のターンテーブルが私達を取り囲んでいた。カメラとセンサーを通じて彼女の作品を見ているのだ。
「人気者だ」
麻木が言う。彼女の作品がこの美術館内で一番人気であると数値化されていく。ネット上のコミュニティに伝播して共有された評価が、また別のコミュニティへと伝播されていく。
彼女の素性も判明した。若き天才という評価の言葉が目に付く。
ターンテーブルが集ってきたことで、彼女は手元の端末を確認していた。電子神経は使っていないらしい、指で操作する旧来の情報端末だ。
彼女はあっけからんと言った。
「人からの評価点数は一つの物差しでしかないさ。多くの人を集めることが大事だったり、大事でなかったりするから芸術は難しい」
彼女が何に拘っているのか分からず、描き加える前の作品は未完成なのかと私は疑問を呈する。
「それでも良いと思う。完成した時にさ、また来てよ」
彼女はそう言って笑った。
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