第45話 助けに来た男
「……」
クルシェは机に背をもたれて荒い息を吐いた。休んでいる暇は与えられない。床の血を辿ればクルシェの居場所は筒抜けなのだ。
クルシェが上体を起こすと右脇腹を起点に激痛が体内で炸裂する。明滅する視界のなかで九紫美が拳銃を突き出しているのが見え、クルシェは一本の短剣を投じた。
すでに考えうる手立ては尽くした。後は、自身の生命を賭け金にした博打に打って出るしかない。
クルシェは身体中を内部から刺激する痛覚を無視し、九紫美に狙いを定めさせないために走り出した。
「小娘。諦めが悪いわね」
傷を負いながらも体捌きに遅滞を感じさせないクルシェに対し、九紫美は感嘆と憎悪のない交ぜになった呟きを漏らした。
クルシェが二本の短剣を九紫美の頭部目掛けて投擲する。
刃が九紫美の肌を傷つけることはないと言っても、顔に向かって物体が飛んでくるのは気持ちのいいものではない。執拗に顔を狙うのは嫌がらせかと思いつつ、九紫美は短剣を撃ち落とした。
クルシェは矢継ぎ早に三本の刃を放っている。これも顔に向けられており、九紫美は苛立ちを目元に浮かべ、これも見事に射撃で払い除けた。
「悪あがきはいい加減になさい! あなたに勝機は無いとまだ理解できないの?」
九紫美は内心の憤激を弾丸として具象化する。連射される銃弾が疾風となって駆けるクルシェの周囲を破砕するも、クルシェの柔肌を穿つことはない。
突如、クルシェが反転して逆方向に突き進む。その速度に反応できなかった九紫美が顔を曲げてその行方を追ったとき、四つの刃先が九紫美の黒い瞳に映じた。
九紫美が巧みな銃撃で三本まで短剣を防いだが、残りの一本が九紫美の顔を貫いた。〈逆照らし〉の魔力によって無傷とはいえ、今の一撃は後れをとったことに変わりない。
九紫美が視線でクルシェを射抜いた途端、その双眸に宿る感情は憤りから困惑へと上書きされる。
クルシェの瞳には未だ戦意が衰えていないが、それよりも何かを観察するような目つきに九紫美は当惑したのだった。
何かを視られている? 一体、何を?
ここに至って九紫美は、クルシェが何かしらの意図を持って攻勢を仕掛けてきたのだと気がついた。しかし、クルシェが何を目論んでいるのか見当がつかない。
初めてクルシェに対して気後れを覚えた九紫美が息を呑んだ。
ひた、と九紫美を睨むクルシェの姿を見やり、彼女の意図が読めずに迷いを生んだ九紫美が怯んだように動きを止めた。
クルシェが痛みを忘れたように加速する。九紫美の瞳に映る、まっすぐに突き進んでくるクルシェの姿が徐々に大きくなった。
突如として銃声とともにクルシェの右肩口から血が
九紫美が目を向ける先、三階に続く階段の踊り場に人影があった。
「クオン」
その名前を呼ばれた男は、クルシェの逃げ込んだ場所を照準しながら片手を挙げて応じた。
九紫美はクオンに歩み寄ると、彼を守るように背中を見せてから問いかける。
「どうしてここへ来たの?」
さすがに自分一人しかいない場にクオンが現れたせいか、九紫美の声音は普段よりも厳しい。九紫美からは見えないと分かっていながら、クオンは笑みを作った。
「いや、済まない。でも、あの小娘に教えてやる必要があるんだ。九紫美だけを戦わせて、俺だけ隠れているつもりはないということを」
九紫美は自分と一緒に戦うためにクオンが来てくれたことに喜びを感じたが、等分にクルシェへの憎悪も深まった。
さっきの電話でクオンを挑発していたのね! ……これが狙いだったんだわ!
九紫美はクルシェの意図したことを看取していたが、それでもクルシェの思惑通りの言葉を発さねばならなかった。
「クオン、私の後ろにいてちょうだい」
「分かった」
九紫美はクオンを背後に庇って立ちはだかった。これで九紫美はクオンを守ることに意識を割かなくてはならなくなった。九紫美が自由に動くことを阻害するのが目論見だったのだ。
クオンをこの場に引っ張り出したクルシェへと胸中で呪詛を吐いたが、一方でクルシェの誤算もあったに違いないことに気付いた。
「クオンの銃の腕前を知らなかったようね。自分でけしかけておいて、後悔しているのではなくて?」
脇腹に加えて先ほどの一撃を浴びれば、クルシェも身体を動かすだけでやっとのはずだ。それにハチロウを相手に無傷ということはあり得ない。
クルシェもすでに虫の息に相違ないだろう。
「さあ、出てきなさい。それとも息絶えるまで隠れている気?」
九紫美の言葉に乗ったのか、クルシェが戸棚の陰から飛び出した。だが、その身ごなしは如実に衰えている。九紫美とクオンの銃撃に晒され、クルシェは成す術もなく再び隠れるしかなかった。
九紫美は、この戦いに近く決着が訪れることを確信した。
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