第29話 〈白星を招く足〉ウィロウ・ホワイト

 ウィロウが拳銃を取り出すとクルシェは警戒した。


 だが、ウィロウは銃口を向けることなく、両手で頭部を守るように上げている。軽く爪先立ちになり、摺り足でクルシェに接近してきた。


 ウィロウが足を止めたのはそれが彼女の間合いだからなのだろう。手が届く距離ではなく、狙うとしたら蹴りのはずだ。


 クルシェは全身に警鐘を鳴らし、右手に短刀を握って身構えた。


 突如、ウィロウの右足が掻き消えた。クルシェが反射的に両腕で左即頭部を守ったが、衝撃はそれを貫通して彼女の脳にまで響く。


 よろめきつつも体勢を整えようとするクルシェの腹部へと第二撃。

 後方に弾かれたクルシェが円卓に激突し、その勢いを殺さずに卓上で回転しながら反対側に降り立つ。


「あいつ、強いぞ?」


 驚きのせいか間の抜けたソウイチの声が場に流れた。


 クルシェもソウイチに同感だった。ウィロウが蹴りを放つのは予想できたのに、速すぎて避ける動作すらできなかった。


「あんた、やるじゃないか。腹を蹴った感触が浅かった。わざと吹っ飛んだろ」


 ウィロウは先制したことで慢心せず、再び静かに歩み寄る。まだ様子見の段階のようだ。


 クルシェはウィロウの実力を上方修正すると、左掌から投擲用のものより大振りの短刀を取り出した。


 亡きフリードから受け継いだ〈死期視しきみ〉であった。


 クルシェは死期視を握った右手を胸の前に掲げ、切っ先を斜め上に向けて構える。自然な構えでクルシェに一番馴染んだ姿勢だ。


 ウィロウが踏み込みざまに右足を蹴り上げた。直接クルシェを狙わず刃を弾くつもりだ。今度はクルシェも反応し、刃を振るって迎撃。


 両者の間で火花が散る。ウィロウの靴底に仕込まれた鉄板と刃が打ち合ったのだ。足を下ろさず、宙に上げたままウィロウが連続して蹴りを繰り出した。


 四発まで防がれたウィロウは仕切り直そうと後退する。それに乗じてクルシェが追い打ちをかけようとしたが、ウィロウの銃撃がそれを阻んだ。


 双方が一息吐いたが、睨み合いの時間は短い。先にウィロウが動いた。


 ウィロウが横手にあった椅子を蹴り飛ばし、床を滑走する椅子がクルシェに迫る。クルシェが一歩踏み出した右足を軸にして跳躍。椅子を跳び越えた。


 その隙を突いてウィロウの右上段蹴りがクルシェを狙うも、着地と同時にしゃがみ込んだクルシェの頭上で唸りを上げただけだった。


 一撃を外して半分背中を見せているウィロウへ、クルシェが刃先を突き込もうと迫る。だが、ウィロウは体勢を崩したのではなく、回転しながら予備動作を終えていたのだ。


 跳ね上がったウィロウの左足裏がクルシェの左横顔を急襲。辛うじてクルシェは身を沈めてやり過ごすと、すれ違うようにウィロウの後方へ駆け抜けて距離をとった。


 クルシェは左手の指先だけで器用に左掌から短剣を一本取り出し、振り向きざま投擲する。

 ウィロウは余裕を持って銃で刃を払い落とし、クルシェが愁眉を刻んだ。刃を投げても足止めにもならない。


「ガキのくせに結構強いね。でも、あんた如きを旦那が高く買っているのが気に入らない。何がそんなにいいのだか」

「随分、ハチロウのことが気になるのね」

「私が見たなかで一番強い男だかんね。私は強い男が好きなのさ」

「少女を殺して喜んでいる男だと聞いたけど」

「旦那自身があれは冤罪だって仰ってるわ。だから……確かめてみたら? あの世にいる被害者の小娘にさ!」


 ウィロウが足を振り上げるが、その動きを見切り始めたクルシェが先んじて頭部を防御。クルシェの頭へ向かった足先が突如として軌道を変え、膝下から角度を変えた蹴りが腹にめり込んだ。

 見切ってなかった。


 クルシェが苦痛に身を折り、その額をウィロウの踵が小突いた。威力は無くてもクルシェを後ろによろめかせるには充分だ。


 ウィロウが会心の笑みを浮かべつつ時計回りに身体を回転させる。勢いの乗った右回し突き蹴りがクルシェを襲い、咄嗟に両腕を胸の前に掲げるも、その防壁を押し潰してクルシェを吹き飛ばした。


 背後の壁に背中を打ちつけたクルシェが苦悶に顔を歪める。ウィロウの左足が右肩を直撃し、クルシェがたたらを踏んだ。


「クルシェ、大丈夫か⁉」


 クルシェの危機と見たソウイチが駆け寄ろうとしたところに、ウィロウが銃口を向ける。恐怖で顔を引きつらせたソウイチが立ち止まるが、ウィロウは残忍な笑みを口元に浮かべたままだった。


「ついでにあんたも殺しておけってさ」

「俺の価値って……?」


 まだ止めを刺していないクルシェを警戒し、ソウイチは銃で済ますつもりらしい。


 全身を走り巡る苦痛を無視してクルシェが疾駆。ソウイチの元へと駆けつけると同時に押し倒すと、その後を追って銃弾が空間を食い破った。


 円卓を倒してその陰に二人は身を潜める。木製の円卓の表面を弾丸が穿つ音を聞きながら、クルシェが血の混じった唾液を吐き捨てた。


「クルシェ、血が……⁉」

「口のなかを切っただけよ」


 銃撃が止み、ウィロウが弾倉を入れ替える音が聞こえた。


「ちょっと手を貸して」

「よし、何だって任せろ! ……て、おい?」


 クルシェはソウイチを後ろ向きにして円卓から引きずり出した。ソウイチの背嚢に何発もの銃弾が撃ち込まれる。


「俺を盾にせんでくれ!」


 泣き叫ぶソウイチの横からクルシェが走り出た。予期していたようにウィロウが迎撃の姿勢をとり、今まで白星を積み重ねてきた右足を蹴り上げた。


 中段蹴りから超速の上段蹴りに移行した一撃をクルシェが掻い潜った。そこまでウィロウは織り込み済みで、角度を変えたウィロウの足先が踵落としとなってクルシェを猛襲。


 ウィロウの必殺の一撃を躱そうと、クルシェが首を逸らす。だが、避けきれずにクルシェの側頭部をウィロウの踵が直撃した。


「どうだい!」


 加虐の喜悦を含んだウィロウの声音が放たれるが、意識を失わずに耐え抜いたクルシェの眼光を浴びて息を呑む。


 クルシェの左手が閃き、投げ打たれた短剣が軸足となるウィロウの左足を貫く。目を見開いて体勢を乱したウィロウにクルシェが突進。二人がもつれて倒れ込んだ。


 絶鳴が響く。

 

 クルシェがウィロウの胸に刺した死期視を引き抜いて顔を上げると、その頬には返り血がひとひらの花を咲かせていた。

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