第21話 リヒャルトの遁走術
リヒャルト達は数の上でも優位を失い、すでにその敗北は決まっている。
「影嬢、礼を言う。俺の楽しみはこれで終わりだ」
「まだ二人残っているけれど、よくて?」
「一番強いのがこれでは、な」
「そう」
九紫美の冷淡な返答がリヒャルトの肌を粟立たせる。何の感情も抱かずに彼女は引き金にかけた指に力を加えるだろう。
リヒャルトと中年男が素早く目を見交わす。
中年男が鞘を腰から外しざまハチロウに投げつけ、上着に隠された拳銃を引き抜いて九紫美を照準。瞬く間に銃口が三度火を噴いた。
亜音速で殺到する三本の朱線が九紫美を貫いたが彼女は微動だにせず、その後ろの壁に三つの穴が開いただけだった。
銃撃が通用せずに瞠目していた中年男に向け、九紫美が返礼の発砲。右胸を撃ち抜かれて苦悶の顔をした中年男が寝台の横に倒れる。
リヒャルトが九紫美の魔力の特性を看取し、座ったまま床を蹴って九紫美に背を預けるように倒れこんだ。
リヒャルトの身体が九紫美を擦り抜け、彼女の背後に降り立つ。
「しまっ……!」
九紫美が振り向きながら銃を構えるが、リヒャルトは一拍早く窓を突き破って屋外に躍り出ていた。
九紫美が窓枠から外を窺うと、エンパの怒号と銃声が闇に響いているが、彼女の腕では仕留めることはできないだろうと九紫美は見極めをつける。
「相済まなかった。俺が斬ればよかったのだが」
九紫美はその謝意を受け流すように首を横に振ってみせる。
リヒャルトが逃走する前に九紫美ごと斬ることもできたのだが、ハチロウは九紫美に遠慮してそれを実行できなかったのだ。
「さすがに〈巡回裁判所〉だけあるわ。私の魔力を逆用するなんて」
「闇のなかであの男を追うのは難しかろう。ここで始末しておきたかったな」
「明日、私が探しに行くわ。でも、〈月猟会〉のことを王国に報告されでもしたら……」
そのとき、クオンが部屋のなかに入ってきた。
「ごめんなさい。逃げられてしまったわ」
「君とハチロウがいて逃したのなら仕方がない。それに、そう心配しなくてもいいさ。リヒャルト個人はともかく、〈巡回裁判所〉が組織として仕返しに来ることは無いだろう」
「私から言いだしたことなのに……」
「気にするな。少なくともウチの実力は示したのだし、奴らが報復を考えるにしても、すぐに戦力を揃えることもできないよ。
その頃には、俺達がカナシアの支配者だ。もう簡単に手出しできるわけない」
そこまで言われて九紫美はやっと心の整理がついたのか、俯きながらもクオンの顔を見つめた。
クオンが近寄ると、九紫美の肩に手をかける。
「若頭、そろそろここから去るべきでは」
気を使って二人に背中を向けていたハチロウが、ついに耐え切れなくなったようでクオンを急き立てた。
クオンが我に返ったように周囲を見渡すと、窓の外からエンパが冷めた目で室内を眺めており、ハチロウは褐色の頭髪を気恥ずかしそうに掻いていた。
「ははは、みんなご苦労だったな。騒ぎにならないうちに撤収しよう」
そそくさとクオンが扉から出て行き、九紫美もそれを追って足早に去っていった。
残されたハチロウとエンパが何となく目を見合わせる。
「エンパ、あの男はどの方角に逃げた」
元からエンパがリヒャルトを仕留めることはできないと決めつけているハチロウの質問だが、エンパはそのことにも気づかず答える。
「森の方に逃げられました。遮蔽物が多いもんで銃を撃っても当たらなくって」
「もはや〈巡回裁判所〉は脅威ではないし、ゆっくりと追い詰めればよかろう」
「しっかし、九紫美の姐さんも詰めが甘いっつうか、あの状況で敵を逃がしますかね?」
「言うな。あの男がそれだけの機転を利かせる実力を持っていたということだ」
肩を竦めたエンパがクオン達を送るために車両へと向かった。
ハチロウもその場を離れ、後に残されたのは冷たくなった三体の死体だけだった。
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