第15話 〈月猟会〉と〈白鴉屋〉

〈別離にさよなら亭〉で一杯引っかけたハチロウが特に酔った様子もなく、〈月猟会〉若頭クオンの事務所に戻ったのは日が沈みかかってからだった。


 クオンの居室に入ると、すでに数名の人影がハチロウを待ち構えていた。


「ご苦労だったな、旦那」

 

 クオンが執務机から労いの言葉を投げると、ハチロウは頷いた。


「その分、タダ酒を楽しませてもらった。役得かな」

「遅いと思いましたよ、旦那。早く帰ってもらわないと困るすよね。こっちも忙しいんだからさ」


 そう大声を上げたのは、扉横の壁際に並んでいるうちの一人だった。金髪の小柄な女で、素朴な容貌の割りには口元が不敵に笑っている。


〈蜂の巣〉エンパ。ハチロウとは異なり、彼女は正式な〈月猟会〉の構成員である。ただ、どちらかというとクオンよりは現会長のラザッタの息がかかった人物だ。

 クオンの支援という名目でラザッタから貸されているが、クオンの情報を飼い主に流していることは明白である。


 人手不足のクオンからすればいないよりはマシな女だが、有益なのはエンパに付き従っている二人の女性だ。


 今もエンパの後ろに控えており、機関銃を乱射するだけが能のエンパ本人より二人の方が有能ですらある。

 その二人を利用するためにエンパの受け入れを許容しているようなものだ。


「若頭には先に電話で報告を入れている」


 ハチロウのにべもない口調からも、エンパの評価が高くないのは察せられた。


「旦那のおかげで先方の身元が分かった。助かったよ」


 クオンは客分のハチロウに改めて謝意を伝える。


〈花散らしのハチロウ〉。

 何人もの若い女性が花散るように命を失った〈花散らし事件〉の濡れ衣を着せられ、その事件をもじった二つ名で呼ばれる彼は大陸各所で令名を誇る。

 クオンが配下のなかでは最大限の礼を以て遇する主力の一人であった。


「調査した結果をみんなに聞かせよう。……九紫美くしび、出てきてくれ」


 クオンが虚空に呼びかけると、壁の表面に黒いものが浮かび出た。

 それはすぐに人間の形だと判別出来るようになり、壁から離れて室内にその全貌を現す。


 壁をすり抜けたとしか思えない方法で出現したのは、細身の女性であった。


 黒の長髪が腰までその背中を包んでいるが、頭部の右側の一部分だけが深紅に染まっているのが特異だった。

 双眸は無明を宿した黒瞳で、容易に感情を窺わせない底知れなさに沈んでいる。


 衣服の色も黒を好んで着用し、その肌の白さと好対照をなして顔や手などの露出している部分が浮き立っているようにも見える。

 目尻が鋭く、その表情の冷たさが相貌にきつさよりも無機質さを感じさせた。


 九紫美、と呼ばれた女性は自然にクオンの横に移動した。


「君も聞いていただろう。巡裁がウチを嗅ぎ回っているらしい。ハチロウの旦那にも目的は話さなかったようだが」

「急激に勢力を伸長した〈月猟会〉に、強力な魔女がいると考えたとしても不思議ではないわ」


 九紫美はクオンの横顔を見ながら応じた。


「奴等の狙いは魔女だと分かっているからな。また後で考えよう。それで、もう一組の素性についてだ」


 クオンは一度言葉を切って、一呼吸おいてから続ける。


「まず、金髪の少女だ。名前はクルシェ。有名な仲介人である〈白鴉屋〉のスカイエからの依頼を専属で請けているようだ。若いが、殺し屋らしい」

「今度の敵は、その小娘ということね。でも、少し安く見られたのではなくて」

「まあ、ウチを過小評価しているわけではないだろう。クルシェも活動期間はここ半年だけで、それなりの実績を上げている」


 クオンが調査結果の報告書に目をやりながら言った。それに返答したのは、このなかで実際にクルシェと面通ししたハチロウだ。


「あのお嬢ちゃんのことを侮ってはならないでしょうな。恐らく、俺と影嬢かげじょうしか相手にできまいと存ずる」


『影嬢』というのはハチロウが九紫美を呼ぶときに使う言葉である。ハチロウなりの敬意の払い方なのだろう。


 ハチロウの言葉にエンパが毒づいた。


「けっ、あたしじゃ相手にならないとでも?」

「お前の後ろの二人ならやれるだろうがな」

「旦那。あんまりこのエンパを舐めてもらっちゃあ……」

「エンパ」


 九紫美の静かだが有無を言わせない声音に、エンパは言葉を喉の奥に飲み込んだ。


「旦那に口答えしないでちょうだい。彼は得難い存在だわ。幾らでも替えの利くあなたと違って」


 エンパは反感を隠そうともしなかったが、反駁するほどの度胸も無いようだった。二人の険悪な空気を多少なりとも浄化しようとクオンが口を開く。


「エンパ、悪く思わないでくれ。ハチロウは相場に比して格安でウチに来てもらっているからな。本当なら俺の下働きをする人間ではない」

「はあ……」


 クオンからそこまで言われてエンパは頷くしかない。

 エンパ自身、〈月猟会〉がここまで勢力を拡大できたのは九紫美とハチロウの実力があったからだと体感している。


「……話を戻そう。クルシェの活動期間は短いが、その実力は評価されていて〈黙約もくやくのクルシェ〉とも言われている」

「ほほう。その〈黙約〉とは?」

「狙われた人物は必ず命を落とす、それが暗黙のうちに約束されているという意味の二つ名らしい。軽視していい存在ではないのは分かるだろう」


 その部屋の一同は沈黙したままでも内心を共有したようだった。クオンの言葉を軽んずる気配は誰にもない。

 配下の様子を見たクオンは満足そうに首を縦にゆっくりと振った。


「次にクルシェと一緒にいたもう一人の女。あのソナマナンだということだ」


 九紫美とハチロウの反応は薄い。二人ともこの街の裏社会に精通しているとは言い難いからだ。ソナマナンについて顕著な驚きを示したのはエンパである。


「〈毒婦〉っすか! あの怪物が〈白鴉屋〉の手駒だったんで⁉」

「クルシェよりも、むしろソナマナンの方が脅威だろう」


 クオンが説明を続ける。


 ソナマナンは初めからこの街で活動していた訳ではなく、ここ二年ほど前にカナシアに流れてきた。

〈毒婦〉という二つ名を有するのは、魔女である彼女の魔力に由来している。


 ソナマナンの魔力は体液を強力な神経毒にするというものだ。ソナマナンの体液が付着した者はその毒に侵され、確実に落命すると言われている。


 毒という魔力を発現する媒介が体液であるため、その美貌も手伝って男性を標的とした仕事では、ソナマナンは無類の成功率を誇る。

 年間で男性を軽く四十人以上は殺害しているとされる彼女は、殺した数だけなら間違いなくこの街で五指に入るはずだ。


「厄介なのは、体液が猛毒なだけあって、ソナマナンを傷つけて一滴でも返り血が付着すれば自身も死んでしまう点だ。旦那は〈別離にさよなら亭〉で浅慮を避けて正解だった」

「はは、命拾いしましたな」


 ハチロウが恬淡として笑う。言葉を引き継いだのは九紫美だった。


「ソナマナンは私が引き受けてもいいわ。魔女にはそれなりの対処が必要よ」

「ありがとう。九紫美ならソナマナンの魔力も効かないだろうからな」


 クオンは最後の紙片に目を落とす。


「そして残った男が、ソウイチ・エアイ・カバシマ。〈白鴉屋〉の雑用だそうだ。クルシェとソナマナンの手伝いをしている」


 クオンが情報を上げても声を出す者はいない。

 別段取り上げることもない存在なのだ。


「えーと……、とりあえず、〈白鴉屋〉への見せしめとして殺しておいてもいいかな。以上」


 とりあえず殺されることが決定したソウイチの話題は十四秒で終了した。


「〈白鴉屋〉の手勢はこの三人だ。経験の浅さを加味してクルシェにソナマナンをつけたのだろうが、俺達からすれば取るに足りない相手のはずだ。いつでも始末できると考えていい。そうだろう?」


 クオンの問いかけに応じたのは配下の沈黙だった。それが肯定を意味していると知るクオンは双眸を細めて笑みを作る。

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