MISSION4 バカと煙は高きに昇る
狙撃手M2
僕はマクシムに言う。
「それでも僕は、エーコを連れ戻す」
何もかもを敵に回してでも、と付け加えて。
「核ミサイルの発射も止める。こんな世の中だし、今まで散々汚れ仕事だってしてきたけど――だからこそ、殉じる相手は自分の信念がいい」
「同意見だ、エーチ。私も協力は惜しまない。私にとっては、最初からどちらの政府も敵だったからな。むしろ君という味方が増えて嬉しく思うよ」
仮にマクシムがズボンさえ穿いてくれれば僕も諸手を上げて喜ぶようなセリフだが、生憎こいつは丸出しなので、変態が一人パーティーに加入しただけという認識しか得られなかった。
「さて、それでは早速西側に向かおうか。この際、ネオセキガハラから壁を無理矢理越える他あるまいね」
それは僕も同意見だ。ネオセキガハラ市から壁を越えるのは、伊吹山以上に警備に見つかるリスクはあるが、緊急時では選択肢も限られる。
同意見だが、
「待て、マクシム!」
スケパン仮面がそうしていたように窓から飛び降りようとするマクシム。僕は彼の学生服を掴んで全力で引き戻した。
マクシムの眼前十センチほどの空間を、弾丸が通り過ぎる。生徒会室の壁に穴が開いた。
遅れてライフル弾の発砲音。
「狙撃か!」
窓際に身を低くしたマクシムが、冷や汗を垂らしながら言った。
「そうだよ――クソ! M2め、命じられたのは僕の始末か足止めか」
僕と同じMI3エージェント、M2。
奴はこの共生学園のどこかで息をひそめ、スコープのレティクルから僕らを狙っている。
「M2を倒さないと、そもそも学園から抜け出せない。そういうことだな、エーチ」
「腹立たしいことに」
「承知した」
マクシムはコクリと頷き――おもむろに学生服を脱ぎ始めた。下は元から何もつけていなかったので、当然全裸になる。
「何やってんだテメエ! 状況分ってるのか!?」
僕はキレた。当たり前である。コーラを飲んだらゲップが出るというくらい、土壇場で全裸になった仲間にキレることは当たり前だ。
「大事な勝負だ。本気の姿で臨まねば、M2とやらにも失礼だろう」
僕の怒気もどこ吹く風で、マクシムはスケスケレースパンツを仮面じみて被る。テンガロンハットが無いことを除けば、スケパン仮面そのものだ。
「お前のGIANT DRAGONの方が失礼だよ……。M2に会ったらゴメンナサイしろよ変態」
「この一切恥ずべき要素の無い姿で、どうして私が謝罪などしなければならない?」
「恥ずべき要素しかねえよ! 恥を知れよ!」
こんなどうしようもない問答をしている暇じゃない。
「今の狙撃で、敵の位置は分かった。向かいの校舎の屋上だ」
当然移動はするだろうが、姿無き狙撃手から不意に撃たれるよりは良い状況だ。
ある意味、さっき撃たれて正解だった。横の変態はともかく、この僕を二度も仕留め損なったこと、奴に後悔させてやる。
「校舎内を移動して仕留めるというわけか」
「ああ、僕の銃じゃ射程が全然足りない」
僕の銃は本来競技射撃用。25mとか50mの的を正確に射抜き続けるための銃だ。せめてそのくらいまで近づかないと、人一人無力化させることなんてできない。
「ウマミミ人の嗅覚はどんなものだ?」
「ブタ系やイヌ科ミミ人ほどではないが、火薬臭い人間一人見失いはしない」
「スケパンは外せよ」
鼻にあんなもの付けていたら、猟犬の真似事など不可能だ。
「ズラすくらいならやってやろう」
「少しは性癖を抑えろ変態」
喧々諤々とやり合いながら、僕とマクシムは目くばせをした。
一つ数えた瞬間、生徒会室の外に走り出す。
M2は撃ってこない。もう移動したか。
スケパン姿の全裸の、筋肉質な尻を見ながら、僕は人生の意味について深く考えた。今よりケモミミ美少女をペロペロしたくなったことは無い。
「この扉の向こうに、体臭と火薬の匂いが続いている。戦闘は任せるぞ、エーチ。――すまんが、私の戦闘力は君たちプロフェッショナルのレベルには達していない。所詮学生運動家というわけだ」
マクシムは僕の背後に回り、身に寸鉄どころか衣服も帯びず周囲を警戒する。
こいつが脚力以外秀でたものを持っていないということは重々承知だ。幾度となく戦ったという事実以上に、武器も持っていない全裸の変態がまともに戦えるわけねーだろ、というごく論理的判断である。
僕は懐かしの数学準備室に数発ブチ込んだ後、クリアリングを行った。
古い紙とインクの匂いはアルベルトの蔵書。そして、むせかえるような体臭とほのかな火薬の匂いは……
「空薬莢と……オムツ……!?」
体臭の正体は……ああ、紙オムツだ。
黄色いシミの付いた、使用済みオムツ。
なんだこれは――言うまでもない。
やられた!
「マクシム!」
「ぬッ!?」
瞬間移動じみたステップで扉から離れるマクシム。
僕は逆に、部屋の中に転がり込んだ。
撃たれたのは、マクシムだった。
「く……!」
隆々としたふくらはぎから血が飛び散り、スケパン仮面は跳躍の勢いのままスライディング。
傷は致命傷じゃない……が、マクシムがまずい。足を撃たれてしまっては、いくらウマミミ人でも走って逃げるなど不可能だ。
「初めまして、エージェントA1。おっと、変なことをしたら、すぐにこの……何コイツ? を撃つわよ」
「スケパン仮面だ。以後お見知りおきを」
足を撃たれながらもさらっと名乗ったスケパン仮面はさておき、M2らしき人物の声は女のそれだった。
まだ若い女だ。二十代半ばから後半くらいか?
僕は数学準備室のフチから鏡を出して、声の主を確認する。やはりというか、黒いレザースーツを着込んだ若いヒトミミの女だった。日本人のようだが、髪は派手な金髪に染めている。
手にはスコープ付きのライフルが握られていた。古臭いレバーアクションライフルだが、ボルトアクションよりも連射は利くし、銃身を外してトランクケースで持ち運ぶこともできる。
「私はM2。……組織を裏切るなんて大胆なことをしたわね、A1」
「核戦争が起こると分かって、まだ政治家の狗なんかやってる奴よりは理性的なつもりだよ」
「それがスパイというものだもの。スコープ越しに一人一人仕留めてきた標的が、数万数十万のケモミミ人に代わるだけだわ」
話にならない。
だが、これだけ命令というものに無思慮でなければ、MI3のエージェントなどやっていられないだろう。
と、それはさておき、
「優秀な狙撃手とは聞いていたが、オムツを囮に使うなんて初耳だよ。おかげでまんまと出し抜かれた」
なんでオムツなんだろう。
ケモミミ人の嗅覚を誤魔化すにしても、もっと別のものがあるだろうに。ケモミミ人を猟犬代わりにして倒したC4の成功体験があっただけに、僕はものの見事に引っかかってしまったわけだが。
「ふん、元エージェントでも、結局はボウヤね」
リップを引いた、戦闘者らしからぬ美貌が不意に表情を消す。
それは、地獄を見た者の顔だ。
M2のキャリアは、当然僕よりも長い。その分、彼女は何を見てきたというのか。
「任務では、狙撃対象がポイントに入るまで何日も待つことがあるのよ。……何日も何日も、全身毒虫に食われ、寝ることもできず、僅かな水だけを口に含み、糞尿を垂れ流し」
「……」
僕も特殊部隊同様の訓練は経たし、狙撃の訓練で数日の耐久を課せられはした。だが、彼女のそれは僕のそれとは桁が違う。
実戦を何度も何度も繰り返し。緊張状態の中で――
「そうして糞尿を垂れ流しているとね、癖になるのよ」
半ば狂気に呑まれてしまったというのか。僕は敵ながらM2を憐れみ始めていた。
「糞尿をそのまま垂れ流すのが。それ以来、私の排泄先は全部オムツというわけ」
「いや、それ単なるお前の趣味嗜好じゃないか」
前言撤回。同情して損した。
さも兵士の悲しみのように自分の性癖語りを終えたM2はすごく……
「変態だ……」
また変態だ。しかもC4と同じシモ系の変態だ。
もう嫌だ。ショタコン女装フェチの局長含めて、MI3には変態しかいないのか。
僕の方こそヤバめのPTSDに陥りそうだった。
「武器捨てて投降なさい、A1クン。局長が言っていたわ。今なら逮捕と経歴抹消、移動の制限、あとは公安の監視くらいで済ましてあげるって」
「……」
僕はM2の提案に沈黙を返す。
冗談じゃない。ケモミミ美少女を見捨てて、どうして生き永らえる価値などある。
僕はエーコを連れ戻す。彼女が“跳び越えた少女”でも関係ない。
だから――
「あんたを踏み越えて西側へ行く。僕も壁を跳び越える」
「!?」
僕は、M2の背後に立った。
彼女にしてみれば、数学準備室で声を出していた僕がいきなり出現したようなものだ。
カラクリはある。単純なものだ。
「それは……スパイ七つ道具の」
「ペン型通信機。ちょうど同じのが二つあってね」
“ネイキッド”ことマクシムから事前に預かっていた通信機。片方を数学準備室にフルボリュームで。片方で僕が移動しながら喋れば、御覧のとおり。
「ヒトミミ人なんてこんなものだ。ケモミミを持っていれば、こんなチャチなトリック誰でも気づいただろう」
「言ってくれるわね、A1クン」
「銃を捨てろM2。そこの変態と刺し違える気か?」
M2は――マクシムに向けていたライフルを捨てた。
思い切りのいいことだ。やはり元々足止めを命じられていたか。
「服も脱げ。狙撃手なら、サブウェポンの拳銃くらい持ってるだろ?」
「君、将来女を泣かせるわよ」
軽口を叩きながら、M2はマガジンポーチを外し、レザースーツを脱いでいく。
スーツの下はほとんど裸だった。メロンじみたチチハル(黒竜江省)と、引っ込むところだけは引っ込んだ女らしい裸体が露になる。
たった一つ、案の定穿いていたオムツのおかげで、この女が特殊性癖持ち以外に受けることは無いだろう。
レザースーツに忍ばせてあったポリカーボネート製の自動拳銃が、カチャっと音を立て落ちた。
「残念ながら、ヒトミミは対象外だ。お前のことも、残念な変態のお姉さんくらいにしか見れないよ」
「あらそう。君も大概難儀な性癖持ちね」
心外だな。僕は変態じゃない。ただちょっと、美少女のケモミミを他人よりペロペロしたい気持ちが強いだけなんだ。同類のように語るなという話である。
「そのまま動くなよ。大人しくしていれば命までは奪わない」
銃をM2に向けたまま、僕はペン型スタンガンを構えた。ヒトミミ人が食らえばどうやったって、丸二日はベッドから離れられなくなる。
「……ねえA1、いい女スパイの条件を知ってる?」
「無駄口を叩くなよ」
電流を食らい気を失うという土壇場で、M2はおかしなことを言い出した。
なんだこれは。気取った格言のつもりか?
「唇にルージュ、ベッドに香水、そしてオムツに――デリンジャーよッ!」
「そんな格言あるわけねえだろッ!」
西部劇のガンマンもかくやという早撃ちで、M2はオムツから抜いたデリンジャーを発砲。僕のペン型スタンガンは真っ二つになった。
続けて二発目を僕に撃ち込む――その前に!
「コマンド古武術奥義・コマンドキムラロック」
デリンジャーの弾丸は僕の頬をかすり、天井にブチ込まれた。
僕はM2の関節を極め、彼女を廊下に押し付ける。
「……っ! 惜しいわね、あと一歩だったんだけど。例えて言うならオムツ0.1枚分の差だったんだけど」
「分かりづらい例えを使うな。同じ趣味の変態以外には意味不明だよ」
僕のコマンド古武術は完全に極まっている。今度こそ身動きなど不可能だ。
「ぐ……」
完全敗北したM2は、苦し気に漏らす。――いや、漏らしたのは下の口じゃなく上の口からだ。勘違い無きよう念を押しておく。
「撃ちなさいA1クン。私を殺さないと後悔するわよ」
「殺した方が後悔するよ」
「ふふ、ウブな子ね。初めてでもない癖に」
挑発的なM2の笑いは、どこか乾いていた。まるで未使用のオムツのように。
確かにこいつの言う通り、任務の過程で相手の命を奪ったことなど幾度もある。……僕はそれを全部覚えていた。だからこそ、
「何十人殺すのと何万人殺すのが同じなわけないだろ。上がどれだけ人間を数字や耳で判断しても、
ケモミミ人は害悪だ。ヒトミミ人は残酷だ。
政治家や煽動家が、万単位億単位の人間をどれだけ単純な箱に入れたって、僕らにそんなものは関係ない。
自分の耳で聞いた声を、自分の手で永遠に閉ざすこと。僕はいつだってその意味を忘れない。
M2は、僕の腕の中で急に力を抜いた。
「……それが、君の信念?」
「そうだよ」
「へえ……」
数秒の沈黙。
僕はM2の首に手を回し、彼女の意識を落とそうとした。そのとき、
「ねえ、A1クン。私も仲間に入れてくれない?」
「はあ?」
M2は妙なことを口走った。
仲間になる?
それはつまり……
「お前もMI3を裏切るっていうのか?」
「そうよ。だからホラ、早く技を解いて。結構痛いわよ」
馬鹿じゃないだろうか。信用できるわけがない。
さっきまで凶悪なライフルで僕らの命を狙っていて、さらにその前にはエーコにも発砲した女だぞ。
「いいじゃないかエーチ。彼女の澄んだ瞳を見たまえ。私は信頼に値すると思うのだがね」
足を撃たれて無様に転がっていた全裸が、傷口にスケパンを巻きながら言った。というか予備のスケパンなんてどこから出したんだ。
変態の習性なんて気にするだけ無駄だな。とにかく、撃たれた本人がアレでは、まあ、
「分かった。ただし次は僕も一切躊躇しない」
「大丈夫よ。気に入った男には尽くすのがいい女。このオムツを賭けてもいいわ」
「いらねえよそんな汚物。行政の指示に従って適切に処理しろよ」
僕は毒づきながらM2を解放した。オムツ一枚だった彼女はいそいそとデカメロン(ボッカッチョ著)を押し込むようレザースーツを着て、ライフルを持つ。……僕に向かって発砲する気配はない。
さて、となると当面の課題は。
「仲間になったついでに言っておくけど、私以外にも西側の秘密部隊がこの学園に押しかけてきているわ。さすがに、MI3のナンバー付きじゃない、普通の特殊部隊ってとこだけどね。――壁を越えるならさっさと準備した方がいいと思うわよ?」
「普通の特殊部隊ね」
なんとも矛盾した表現だが、MI3を基準にすれば仕方ないか。
とはいえ、超々少数精鋭のMI3と違って数だけは期待できる。
校庭からは、低く唸るエンジンの音。
「M2よ、信頼の証にこのスケスケレースパンツを差し上げよう」
「ありがとうスケパン仮面。でも私は、オムツ以外の下着を付けない主義なの」
「顔に被るといい。呼吸が安定し、精神が落ち着く」
「そうね。そうするわ」
変態同志で交流を深めている場合じゃないぞ。
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