屈辱のデビューライブ
屋外第四ステージは、本多忠勝門の正面に設置されている。
本多忠勝門とはいわゆる凱旋門の類であり、東側の軍隊がどこから凱旋するかと問われれば、それは当然西側である。本多忠勝門は壁のすぐ側、真正面に建造された。
だからレイアウトとしては、ネオセキガハラの大壁、本多忠勝門、ステージの順に並んでいるということ。
「すいません、関係者以外の方はご遠慮いただきたいのですが」
屋外第四ステージに到着した僕は、当然のように警備の憲兵に制止された。
それもそのはずで、VIP用の観覧席にはなんとあの徳川ミッコ大統領が座っていた。三十代半ばの女性独裁者は、日本刀を思わせる鋭い双眸をステージに向けている。徳川宗家の裔として、神君家康公より受け継がれた純血タヌキミミすらも、鋼でできているかのようだ。
スーツ姿のタヌキミミたちは護衛だろう。部族社会の名残で、権力者は側近に同族を使いたがる。――それにしても護衛(SP)が三人だけとは、立場を考えれば少なく感じる。
まあ、問題は僕がエーコに近づけるかどうかだが……
「? あれは……」
憲兵はステージ脇の控え席を見て、すぐに道を譲った。
「失礼しました。関係者の方でしたか」
そっちではエーコが僕に向かって手を振っていた。
いや、関係者か無関係者かと問われれば、僕もエーコも間違いなく後者だが。
どうしてこうなった。嫌な予感しかしない。
「ごめんなさいエーチさん。スタッフとかいう方たちが『会場』に送ってくれるというので車に乗ったら、なぜかこんな場所まで。今からエーチさんを探しに出ていこうと思っていたところです」
「ギリギリだったってことだねぇ」
この上第四ステージからも離れられたら、今度こそエーコは捕まらなくなる。馬鹿に地図感覚というものは無いからだ。
「さあ、お次は皆さまお待ちかね、国選歌手・鳥居チガエによる開府記念日特別公演、『仮面舞踏会』です。盛大な拍手でお迎えください!」
「あー……」
『僕たち』の出番が始まり、客席から割れんばかりの拍手が聞こえてくる。
スタッフが早く出ろと急かしてきた。
どうするんだよ、これ。もう逃げた方がいいんじゃないか?
エーコの方を見ると、
「そわそわ」
なんかそわそわしてた。まさか、出たがっているのか?
「私たちはいつステージに出られるんでしょうか?」
「……」
僕はステージに目線を移した。万を超える観客がライブを待っている。
ああ、うん、あれもステージだろう。地下ライブハウスと比べるのもおこがましい代物だが。
さあどうする。――進むか、退くか。AA最初で最後の舞台で、僕は何をすればいい?
やれやれ、だ。
「僕らの出番だ。行こう、エーコさん」
「え? でも呼ばれたのは鳥居チガエさんとかいう方ですよ?」
すまん、鳥居チガエさん。野良猫にでも引っかかれたと思って、檜舞台は諦めてくれ。
僕はエーコの手を掴み、ステージまで引っ張った。
はじめ、軍用コートにバタフライマスク、それからクロネコミミのエーコがステージの中心に立った。それを見た観衆は、拍手や口笛で国民歌謡のスターを迎える。
同じような服装の僕が現れたとき、一割くらいが当惑し始めた。残りの九割は多分、演出とでも思っているのだろう。
「わ、わわわ……」
エーコはどもり、震えながら息を吸い込み――やがて完全に覚悟を決めたか、息と震えを止めた。
「私たちは、AAですっ!!」
マイクがハウリングを起こすような大声。同時に、僕とエーコはコートを脱ぎ去っていた。
そこに現れたのは、東側では馴染みのないカラフルで煌びやかな衣装。短いスカート丈とはだけた肩は、当局からすれば文字通り犯罪的ですらある。
僕らはアイドルだった。あまりにも。――僕らはAAだった。鳥居チガエではなく。
ああ、もうどうにでもなれだ。
エーコとの合流前、こっそり音響に仕掛けておいたテープから、『冬一番』のイントロが流れ始めた。
もうお気づきだろう、東側市民諸君。僕らは歌謡歌手なんかじゃない。
アイドルだ!
ちくしょう。こんなのもうテロ行為と変わらないじゃないか。
「秋が過ぎて寒い北風が」
僕らは完璧なハモりで敵性音楽を謳い上げる。
軽やかにステップを踏み、息を合わせて腕を振った。
僕とエーコは一つだった。……それで客席まで一体となればいいわけだが、こんなアウェーもいいとこのステージではそうもいかない。
「……」
客席は静まり返っている。『アイドル』という概念を知らない者は、ケモミミに聞き慣れない音楽にただ困惑していた。知っている者は、眼前の違法行為にどう対処するべきか固まっていた。
こんなアイドルライブがあってたまるか。僕ならば練習通り完璧に演じきれるが、エーコはどうだ。
エーコは……僕と同じだ。同じだが、違う。
僕と同じように笑顔を振りまきながら、歌い踊り続けていた。
僕とは違う本物の笑顔で、こんな状況にもかかわらず。
馬鹿じゃないのか。
こうなることは分かり切っていた。それでも出場したのはなぜだ? 地下のライブに間に合わなくなってしまったからか? エーコをアイドルにしてやりたいと、気が逸っていたんじゃないか?
僕も大概、馬鹿野郎だ。
もうすぐ曲が終わる。サビのループをあと一度繰り返せば。
僕はステージから離れたエーコに麻酔薬を打ち、スパイクーペのトランクに監禁する。そして伊吹山で車を処分し、国境の壁を超える。
終わりだ。
いや……
待て……
待て待て待て。
「ヤバい!」
曲の終わりを目前に、僕はマイクを投げ捨てた。
匂いがしたのだ。甘い香りが。
きっと、ケモミミ人たちならば僕よりも正確に匂いを感じ取っていたはず。それでも何のアクションも起こさなかったのは、僕らAAの異常行動を呆気に取られて見ていたからか。
この甘い匂いは――
「プラスチック爆弾だ! みんなステージから離れろ!」
僕の言葉にまず反応したのは大統領とその護衛。爆弾の匂いは嗅ぎ取れなくても、一応はプロということか。
人民の規範たる大統領がいち早く逃げだしたことで、観客やスタッフは雪崩を打ってステージから離れた。
僕もエーコを抱えて脱出する。
次の瞬間、
「!」
轟音が三度ほど連続し、僕の肺腑をビリと震わした。
爆薬量が少なかったためか、あまり派手な爆発では――いや、
「ステージが、崩れる……!」
大規模とはいえ、ステージの本体は単管と板切れ。爆破によってテントを支える単管が根元から切断され、崩れ始めたのだ。
間違いなく、そこらのテロリストの仕業ではない。
僕の目は現場から離れる一人のジャッカルミミ男を捉えた。――僕には分かるぞ、この野郎。それ偽耳だろう。精巧だが、真性ケモミミフェチの僕を騙せるような代物じゃない。
「エーコさんは車のあたりまで避難しておいてくれ。僕には用事がある」
僕はその偽耳男を追うため、群集の中走り出した。
その手を、
「待ってください」
エーコが握った。
「まだ、曲は終わってないです。……エーチさんと別れたら私、どうすればいいんですか。まだまだ一人じゃアイドルらしくできないのに。――それに、もう車停めた場所も忘れちゃいました」
この期に及んで、この娘は本当に――馬鹿だ。
「分かった。僕から離れないでくれ……って言っても、足は君の方が速いか」
仕方ない。どうにでもなれだ。
そもそも僕の主たる任務は、徳川エーコ無しに成功しないのだから。
「エーコさんは僕が守る」
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