MISSION3 飼いイヌに手を噛まれる

迫る終焉

 一週間ほど時が過ぎた。開府記念式典を二日後に控えた夜。バレエ練習場。

 僕とエーコは、比翼の鳥がそうするように腕を広げ、曲がフェードアウトするのを待つ。

 一曲、通しでやり遂げた。

 最初の時と違うのは、パフォーマンスが僕とエーコのデュエットになったこと。ロリポップスは定期的に脱退やオーディションを繰り返すため、メンバー数が一定しないものの、二~三人ユニットが普通だ。センター一人だけでコピーするというのは、どうにも寂しいため、そうなった。

 そして、もう一つ最初と違うこと。エーコの実力がメキメキと指数関数的に上昇したこと。

「や、やりましたね! 今のは結構うまくできたと思うんですけど」

 熱っぽく、エーコが僕に話しかける。

「うん、ダンスだけなら本家も越えてるかも。すごい成長だよ」

 僕もエーコも、身体能力自体は非常に高い。練習方法さえきっちりすればこの通り。

「ありがとうございます、エーチさん!」

 エーコは今にも泣きださんばかりに感謝の意を示しながら、ピコピコとネコミミを口ほどにモノ言わせながら、僕の両手を取った。――もう僕今死んでもいいや。

「本番でこれだけやれれば大丈夫だろうね。二日後の、本番で……」

 その日、僕はエーコを西側に拉致する。睡眠薬を彼女に打った後で、伊吹山あたりから壁を越える。

 無理矢理壁を越えるのは危険を伴う方法だが、この際仕方がない。

 あと二日で、この日々も終わる。――元々偽りから始まった、張子みたいな日々だったんだ。どうなったところで、因果応報ってものだろう。

「それとエーチさん、一つ気になったことがあるんですけど」

 エーコは遠慮がちに、

「ユ、ユニット名とか、考えてませんか?」

「あー……」

 持ち曲もコピーしかないし、元々エーコ主体の活動だ。僕ありきのユニット名など、考えたことも無い。

「エーチさんさえよかったらですけど――『AA(ダブルエー)』なんてどうでしょう?」

 エーチとエーコでAA。安直だが、悪くはない。

「いいんじゃないかな。それじゃ、ステージの上ではそう名乗ろう。どうせ本名なんて使えないしね」

「はい! 明後日が楽しみですね、エーチさん!」

 そう言うと、エーコは屈託なく笑った。



「お祭りの前日に申し訳ないとは思うのだがね……」

 次の日の昼休み。例によってひどい昼食を終えたマクシムは、僕にキザなウマミミを向けた。

 面倒だが、どんな用事であれ生徒会特別補佐役としては従わざるを得ない。もったいつけるくらいだからどれだけの面倒ごとかと身構えた僕に、

「酒井アルベルト先生がいるだろう? 君のクラスの担任の。少しばかり彼の認可が必要な書類があってね。放課後までにハンコだけもらってきてほしい」

 自分でやれよと思わないでもないが、僕は黙ってマクシムからファイルを受け取る。

「私もエーコさんも別件で忙しい。開府記念式典で各部活がやる出し物の最終調整などあってね」

 雑用は任せる――と、そういうことか。まあ、大した用事じゃなさそうだし別にいいだろう。

「分かりました、会長。(エーコさんに変なことするなよ)」

 付き合いだけはマクシムの方が長いことも忘れ、言外に権勢を入れつつ僕は任務を受諾した。



 酒井アルベルト。

 ネオセキガハラ共生学園勤務、数学教諭。

 若い頃は学会の麒麟児と謳われ、一時合衆国籍を取得。向こうの大学で十年ほど教鞭をとっていた。――いや、坂東共和国の中ではなかなかの経歴だ。祖国の名門とはいえ、高校で数学などを教えるような人材じゃない。

「アルベルト先生、お話が……」

「生徒会の書類ですか。――立ち話もなんだし、少々資料室まで来ませんか?」

 女子高生(偽)を個室に誘うとは、歳の割には元気じゃないか。――などと一瞬考えたが、そんな雰囲気でも無いようだ。

 モルモットミミの壮年教諭と僕は、本や黒板用の大型文房具に囲まれた数学資料室なる部屋に入っていった。

 パイプ製の安物だが、椅子や机まで持ち込んである。アルベルトは自分の部屋のように腰かけ、缶コーヒーを空けた。

「エーチさんもどうですか?」

 僕は首を横に振り、アルベルトの申し出を辞退する。

 勧められたものは可能な限り飲まない、食わない。それはスパイの鉄則だ。

 コーヒーを断られたアルベルトは悲しむでもなく、むっとするでもなく、くたびれた無表情で「そうですか」と言った。

 僕は資料の束をアルベルトに渡し、

「転校したばかりで寡聞にして知らなかったのですが、アルベルト先生の経歴はすごいですね」

 本題に入った。

 彼と謎のタヌキミミとの会話を目撃した夜から、僕は少し調べものをしていた。“跳び越えた少女”からは一旦離れて、酒井アルベルト個人のことを。

「コンピューターを用いた計算理論の権威。研究者時代に考案した理論は、今でも兵器分野などに幅広く使われている。――例えば、ミサイルの姿勢制御技術とかに」

「権威なんて大した者じゃない。地味で目立たない研究がたまたま環境に適合しただけの、しがない元学者ですよ」

 おおむね、世間によるアルベルトの評価はそれで正しい。だからこそ、僕も彼の名を知らなかった。

「それに学者をしていたのも昔の話だ。私はすっかり枯れてしまいましたよ」

 アルベルトは僕の言葉に、自嘲で返した。

 彼の特別な点は、他にもある。

「薫陶を受けた生徒も錚々たる顔ぶれだ。今現在最前線で活躍している研究者はもちろん、この共和国の大統領徳川ミッコに――敵国、大和民国の帝まで」

「当時は親王でしたけどね。合衆国は中立だ。そういうこともあります」

 ほぼ同時期に、日本列島を東西に分かち敵対する二陣営の頂点が、彼の教えを受けていた。独裁者たる共和国大統領はともかく、京の帝には大した実権も無いのだが。

 アルベルトはハンコを押す手を止め、昔を懐かしむように言う。

「好きなことを好き放題にやっていたら、とうとう研究ができなくなってしまいました。この学園の教職も、ミッコ君のコネで入ったようなものです」

「ある研究にのめり込み、学会を追放……ですか」

「論文が雑誌に乗せられなくなっただけです。学会追放なんて、会費未納以外じゃそうそうされはしませんよ」

 似たようなものだ。実際問題、彼は研究職を辞しこんな場所まで流されてしまったのだから。

 しんみりした雰囲気の中、僕は資料室の書棚を見た。そこはアルベルトの私物と思しきSF小説で埋め尽くされていた。海底を冒険したり、変な薬で作られたキノコ人間が暴れたりする、大衆向けの本だ。知的な雰囲気のアルベルトには一見合わないようにも見える。

「……後悔を、してますか?」

 沈黙を刺すよう、僕は言った。

「好きなことを、好きなようにやっただけですから」

 アルベルトは否定も肯定もしなかった。その瞳には一瞬、隠した牙のような知性が光った。

「……」

 これは本来、僕の仕事じゃない。だから雑談に過ぎない。深く掘り下げる必要はない。

 明日僕はこの国を出る。エーコを拉致して、小早川エーチからエージェントA1に戻る。――それだけなのだから。

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