4 幼馴染みの変化
「やっとお目覚めかい、ユキ」
オレに壁ドンしたままの失礼な男が、顔だけ振り返りながら幸佑に声をかけた。
(つーか、さっさとこの手を退けやがれ)
壁ドンされてないほうは壁があるから逃げられない。「じゃあ下しかねぇか」と考えたオレは、ひょいと腰をかがめて男の腕から抜け出した。
「あれ、逃げられちゃったか」
逃げられちゃったか、じゃねぇよ。胡散臭い顔で笑いかけんな。そう言いたかったが幸佑の手前、睨むだけに留める。
「何してんの」
「ユキが相手してくれないから、この子に声をかけてたんだよ。たまには毛色の違う子もいいかなと思って」
「その人はそういう相手じゃないよ」
「うん、聞いた。幼馴染みなんだってね。ユキにもそういう子がいたなんて驚いた。ほら、ユキって誰ともつるんだりしなさそうだから。それなのに部屋に来るような幼馴染みがいたなんて、ちょっと興味惹かれるなぁ」
失礼な男はうっすら笑っているが幸佑はまったく笑っていない。てっきりこの男もセフレの一人だと思っていたんだが違ったんだろうか。いや、セフレでなければ勝手に部屋に上がり込んだり、あまつさえ冷蔵庫からペットボトルを取り出して勝手に飲んだりはしないはずだ。
「昨日も言ったけど、俺もうあなたと寝ないから。さっさと帰ってくれないかな」
「そう、それ。ユキが完全にネコやめるって言い出すから、てっきりこの新しいネコちゃんのせいかと思ったんだよね」
「だから違うって言ってるでしょ」
「そうみたいだね。見るからに真面目そうだし、普通だし、そこらへんによくいるタイプだ」
そこらへんに転がっていそうなヤツで悪かったな。失礼な言い草にもう一度キッと睨めば、どうしてかニコッと微笑み返されてしまった。
「小さくて威勢がよくて、僕を見ても流されないところは普通とは違うけどね。そういうところも興味が引かれるなぁと思って」
「ね」とオレに笑いかけながら、男がまた腕を掴んだ。一瞬にして全身の毛がゾワッと総毛立つ。思わず「ひっ」と悲鳴のような声を漏らしてしまい慌てて口を閉じた。こんな失礼なヤツ相手に悲鳴なんて負けた気がして自分に腹が立つ。代わりにと男を睨みつけると「触るな」という低い声が聞こえてきた。
「手を離せ」
聞いたことがないくらい低い声にオレのほうが驚いた。振り向こうとしたものの、それより先にグイッと引っ張られて慌てて幸佑を見る。しかし顔を見る前にぽすんと腕に抱き込まれてますます驚いた。人前で何をやっているんだと慌てて顔を上げると、表情をなくした幸佑がじっと男のほうを見ている。
(……これは相当怒っているときの顔だ)
高校生のとき一度だけ見たことがあるが、周囲がシンと静まりかえるくらいの威力があった。それもそのはずで、幸佑は普段表情が柔らかく怒っていてもあまり表に出さない。そういうところがセフレたちに人気なんだろうが、それで読み誤って距離を取られるセフレもいたらしい。
小さい頃からそばにいた俺はなんとなく表情と感情を察することができるが、男のほうはどうだろうかとチラッと視線を向ける。
「この人は俺とは違うって言ってるよね。っていうか、さっさと帰んなよ。どうせかわいいネコたちがほかにもたくさんいるんでしょ? その子たちに相手してもらえばいいじゃん」
「まぁね。でもユキほど綺麗な子はいないからなぁ」
「残念だけど俺はもう寝ないから。それにあなたには二度と会いたくない」
「あらら、嫌われちゃったかな。もしかして僕がその子に手を出そうとしたから?」
「あなたみたいな人に、この人に近づいてほしくないだけ」
「ま、そういうことにしておこうか」
男がまたうっすらと笑った。腕を掴みながら抱きしめるようにしている幸佑の手に力が入る。
「それじゃ、僕は帰るとするかな」
「もう二度とここには来ないでね」
「最後の逢瀬が楽しめなかったのは残念だけど、しつこくしないのが僕の流儀だからね」
「そこは信用してる」
「あはは、ありがとう」
笑いながら男がオレのほうをチラッと見た。まるで見定めるような眼差しにドキッとし、同時にイラッとする。
「ところで最後までその子の名前、言わなかったね」
「教えてあげる必要なんてないでしょ」
肩を竦めた失礼な男は、軽く手を振ると部屋を出て行った。幸佑は「バイバイ」と言いながらも男を見送ることはなく、なぜかオレをソファに引っ張っていく。
「コウちゃん座って。何もされなかった?」
オレを座らせるなり隣に座った幸佑がそんなことを言い出した。
「何もって、なんだよ」
「あの人見境ないから、コウちゃんに何かしたんじゃないかと思って」
あの男が男もそういう対象にしていることはさっきの会話でわかった。だからってオレがそういう対象になるはずがない。「そこらへんによくいるタイプだ」という男の言葉を思い出しムッとする。
(頬に口が当たったことは事故だと思って忘れることにしよう)
あんな失礼なヤツに記憶容量を使う必要はない。そう思い「何もされてねぇよ」とだけ答えた。
「ほんとに?」
「人生初の壁ドンはされたけどな」
「ほんとに何もされてない?」
「されてねぇって。……つーか、よかったのかよ?」
「何が?」
「いや、いまのってその、おまえの……」
「セフレだね。って言っても会うのは三度目だけど」
三回しか会ってないヤツを簡単に部屋に入れるのはどうなんだ。そう思ったが、説教できる雰囲気じゃないので黙っておく。
「それもたったいま解消したから気にしなくていいよ。さっき言ったとおり、もう二度と会わない。あの人も二度とここには来ないから」
「まぁ、そういうことは当人同士の問題だし……」
オレが答えている間に、幸佑がスマホを取り出して何やら操作し始めた。
「いま連絡先も消したから」
「は? つーか、そんなんでいいのか? ええとほら、一応付き合ってたっていうか、そういう関係の人だったんだろ?」
「付き合うって、ただのセフレだよ? それは向こうもわかってるし、いつも大体こんな感じだから」
本人がそれでいいならいいんだろうが……。セフレって案外あっさりしているんだなとなんとも言えない気持ちになる。
「驚かせてごめんね」
「別にオレはなんとも思ってねぇよ。……まぁ、ちょっとは驚いたけど」
驚いたというよりあの男の言いぐさにはムカッとしたが、それは言わなくていい気がしてやめた。
「相手が男だったから?」
「いや、オレなんかに声かけるとか変わった人だなと思って」
「あの人、気に入ればノンケにも声かけるからね。そもそも俺も見た目が気に入ったからって声かけられただけだし、向こうも本気じゃないから」
幸佑の言葉にますます驚いた。高校時代、幸佑の周りにいたセフレはもっと積極的でべったりな人ばかりだった印象がある。それに一度だけ女の子が泣いているところを見たこともあった。
(あのときの女子、本気だったんじゃないかな)
その後そういうシーンに出くわしたことはないが、いまのセフレはさっきの男みたいにドライな人ばかりなんだろうか。
(恋人じゃないならそうなのかもしれねぇけど……でも、それってちょっと寂しくないか?)
かといって、あの女の子みたいな人ばかりじゃ大変な気もする。「どっちにしてもセフレってやっぱよくねぇよな」と思っていると、珍しく幸佑が真剣な顔をして何か考え込んでいた。
「どうかしたか?」
幸佑がチラッと俺を見る。「なんだ?」と聞いたが返事はなく、それなのにじっとオレを見つめてくる。
「なんだよ。言いたいことあるなら言えよ」
「ううん、なんでもない。コウちゃん、ほんとごめんね」
「それはもういいって。それより昼飯まだだろ? これから作るけど食うか?」
「うん、食べたい」
「じゃ、顔洗ってこい」
「うん」
それからオレは予定どおり簡単豆乳スープそうめんを作り、デザートにハーゲンダッツを一緒に食べた。滅多に食べない高級アイスの味に感心しているオレと違い、幸佑はやっぱり何か考えごとをしているように見える。
(いくらドライな関係だったとしても別れたばっかだもんな)
やっぱり思うところがあったんだろう。幸佑を気にしながらも、夕飯は何にするかなと冷蔵庫の中身を思い浮かべつつアイスを食べた。
こうしてセフレとの遭遇事件は
そういえば、あの日から部屋の様子が少しだけ変わった。置きっぱなしになっていた化粧品だとか女物の服や小物なんかがきれいさっぱりなくなったのだ。そういえば食器もいくつかなくなっている。
この前はハウスクリーニングの人たちが来ていて壁やらエアコンやらの大掃除をしていた。どうしたのかと幸佑に訊けば「タバコの臭いがまだ残ってるから」なんて言っていたが、その言葉に俺は首を傾げた。
(言うほど匂いはしてないよな?)
初日はたしかに匂いがしたが、その後タバコを吸うセフレは来ていないのか匂いを感じたことはない。それなのに大がかりな掃除の様子に「金持ちは掃除からして違うんだな」と感心した。そういった変化は悪いことじゃないだろうし別にかまわない。だけど、こっちの変化はどうなんだろうか。
「……何してんだよ」
「うーん、お迎え的な?」
「疑問形で答えるな」
今日は昼前に部屋に行くとメッセージを送った。幸佑から「お昼ご飯、一緒に食べたい」と言われたからだ。
いくつか母さんが用意してくれた総菜を保冷袋に入れて最寄駅に着くと、改札口のそばに見慣れたイケメンが立っている。少し離れたところには幸佑をチラチラ見ている女子高生たちや、なんならガッツリ見ている派手な格好をしたお姉さんまでいた。
(なんでいるんだよ)
幸佑が注目されるのには慣れている。だからといってオレまで注目されたいわけじゃない。できれば近づきたくないと若干顔を引きつらせていると、オレを見つけた幸佑がニコッと笑いながら近づいてきた。
(マジか……勘弁してくれ)
笑顔だけで悲鳴が上がる。オレは慌てて幸佑の腕を掴んで逃げ出すように駅を後にした。
「なんで来たんだよ」
やや早歩きしながらそう尋ねると「だからお迎えだってば」と言って幸佑がニコッと笑う。その笑顔に騙されるかと「おまえ、目立つ自覚ないわけないよな?」とひと睨みするが、返ってきたのはキラキラ眩しい笑顔だった。
「この前は夜道が危ないからとか言って駅まで一緒に来たよな。そのとき見送りも迎えもいらないって言ったよな?」
「マンションから駅までって外灯はあるけど薄暗いでしょ? そんなところ一人で歩くの危ないって」
「いまは昼間だろ。それなのになんで……って、おい」
話している間に持っていた保冷袋を奪われてしまった。あまりにもさりげない動きで拒否するタイミングもない。
(そういうところもイケメンってか)
これじゃあまるでオレがか弱い女の子みたいじゃないか。それとも何か? イケメンっていうのは相手が男でもそういうことをするのか? 思わず心の中で毒づいたが口にしたりはしない。
(もしかしてだけど、手伝いたいのかもしれねぇしな)
幸佑がやたらオレにかまうのはそういうことに違いない。小さい頃、モジモジしながら母さんの手伝いをしようとしていた幸佑を思い出し、そう考えた。「そういうところは変わんねぇなぁ」と思いはするものの、正直迎えに来るのは勘弁してほしい。
「いちいち迎えに来なくていいからな」
「どうして?」
「どうしてって……」
小学生のときはジロジロ見られるのも気にならなかった。なんなら「どうだ、かわいいだろう」と自慢したいと思っていたくらいだ。しかし中学に入って気持ちが変わった。誰も彼もが幸佑を見て、それから隣にいるオレを見て「なんでこんなヤツが?」という顔をする。さすがのオレもそんな目で見られたくはない。さすがにもうそんなことを思ったりしないが、思春期の苦い気持ちを思い出して顔をしかめた。
「もしかして迷惑?」
「え? あ、いや、そういうわけじゃねぇけど……」
せっかく手伝う気になっているらしい幸佑を拒否するのはよくない。曖昧に「なんでもねぇよ」と答えて隣を歩く。
(それに、こうやって外に出るのはいいことだろうし)
以前は徒歩五分のスーパーでさえ行かなかった幸佑が、いまはこうして積極的に外に出るようになった。それをオレが邪魔してどうする。目立ちたくない気持ちと幼馴染みへの思いに少しばかり悩み、最終的に後者を選んだ。「ま、そのうち見られるのも慣れるかもしれないし」なんて考えながらスーパーに入る。
「何買うの?」
「卵とパンと……あと豆乳も。あぁ、小さいやつでいいからな」
「わかった。ついでにお菓子とか飲み物とかも買おうよ」
「あんまり無駄遣いするんじゃねぇぞ」
「あはは。うん」
頷く幸佑は楽しそうだ。きっと買い物一つ珍しくて楽しいんだろう。そう思うと幸佑のやる気を削ぐようなことは言わないほうがいい気がする。「なんだか本当に兄貴になった気分だな」なんて思いながら精算し、二人で荷物をリュックに詰めた。「俺が持つよ」と言う幸佑に「一つくらい持たせろ」と言ってリュックを背負う。
「そうえばそのカバン、懐かしいね」
「うん? これか?」
「高校のときから使ってるでしょ」
「そうだけど……よく覚えてるな」
「だって高一のとき、そのカバン背負ったコウちゃんがかわいかったから」
「…………は?」
「小柄なコウちゃんがそんなごついの背負ってるの、やっぱりかわいいね」
「…………はぁ?」
一度目は聞き間違いで済ませた。しかし二度も言われれば聞き間違いでないことはわかる。しかし「かわいい」の意味がわからない。顔をしかめながら幽霊でも見るような目で幸佑を見る。
「おまえ、頭でも打ったのか?」
「ひどいなぁ。思ったことを正直に言っただけなのに」
「意味がわからん」
「そのままだよ? かわいいなぁと思ったからかわいいって言っただけ」
「わかった、新手の嫌がらせだな? そうでなけりゃ暑さでどうにかなったか」
「あはは、そういうところもかわいい」
駄目だ、会話にならない。もちろん「かわいい」なんて言われてもうれしいはずがない。それどころか不気味で仕方がなかった。
(まさか、悩みすぎておかしくなったんじゃねぇだろうな)
セフレとの一件があってからというもの、幸佑はずっと何かを考えていた。何をそんなに悩んでいるのか心配になったものの、恋愛経験が乏しいオレにアドバイスできることはない。そんな幸佑も最近は考え込むことがなくなり、てっきり解決したものだと思っていたが違ったのかもしれない。
「なぁ、そんなに難しいこと悩んでたのか?」
「悩みって?」
「おまえがずっと何か考え込んでたの、知ってるぞ」
「あー……うん、まぁちょっと考えてはいたけど」
「普段使わない頭使ったからおかしくなったんだな」
「ちょっとコウちゃん、それめちゃくちゃ失礼だからね」
頬を膨らませる顔もイケメンはイケメンのままで、すれ違った女性たちが「きゃあ」と小さな歓声を上げている。それから逃げるように歩く速度を上げると、「そうやって早歩きするコウちゃんもかわいいよね」なんて言いながらついてくる。しかも幸佑のほうは至ってのんびりした足取りだ。
(その足の長さは卑怯だろ)
ただの言いがかりを胸の中で吐きながら前後に並んでマンションに向かった。
帰宅後、幸佑はいつもと変わらない様子で買い物袋の中身を冷蔵庫に仕舞っていた。かわいいと言ったのは聞き間違いだったのかと思うくらいいつもと変わらない。そんな幸佑をチラチラ見ながらそうめんを茹でる鍋を用意する。
「コウちゃんって、もうすぐ夏休み終わるんだよね?」
幸佑の言葉に、そういえば夏休みももうすぐ終わりだということに気がついた。
「そうだな。あと一週間……あぁ、授業始まるの十日後だから、それで夏休みは終わりだな」
ポケットからスマホを取り出し、アプリで予定を確認しながらそう答えた。授業の関係で今年の夏休みは二カ月近くあった。一年のときは特別講義なるものを取っていたから一カ月もなかったが、今年は飽きるほど長い。「そのぶんバイトできたからいいけど」と満足しながら鍋を見る。
「夏休み終わったら、もうここには来ないの?」
幸佑の声が心なしか寂しそうに聞こえた。チラッと隣を見たが幸佑の表情はいつもどおりだ。ただ、鍋を見ている目がなんとなく寂しそうに見える。そう感じたからかオレまで寂しくなってきた。ブクブクと泡立ち始めたお湯を見ながら「一応、夏休みの間って話だからな」と答える。
「それにいつまでもオレが来てたんじゃ、おまえだってやりたいことできないだろ?」
「やりたいこと?」
「あー、そのなんだ、ほら、人を呼んだりとかさ」
「もしかしてセフレのこと言ってる?」
「だって、ここんとこずっと誰とも会ってないよな? オレに遠慮してたんなら、もうしなくていいからな」
「セフレとは全部別れたよ」
なんでもないことのように告げられた言葉に、鍋にそうめんを入れようとしていた手が止まった。
「は?」
「だから、全員別れた」
思わず幸佑を見た。幸佑はというと、トッピング用の肉そぼろを入れた容器を見ながら「これもおいしそう」なんて笑っている。ちなみに昼は豆乳スープをアレンジした冷製豆乳坦々麺風そうめんの予定だ。それに載せるトッピングの肉そぼろは今朝母さんが作ったもので、つゆは市販のものを使う。
「だから呼ぶ人なんていないよ」
「あー……そうなんだ」
「うん。この部屋に来るのはコウちゃんだけ」
そう言いながら、今度は棚のどんぶりに手を伸ばしている。こうやってオレを手伝うようになったのは少し前からで……そういえば、あのセフレ事件の後からだったような気がする。
(ええと、あの男とは別れたって聞いたけど……全員と別れた?)
セフレと別れるのは悪くないことだと思う。このままじゃいつか面倒ごとに巻き込まれていただろうし、いくらイケメンでもそんな男じゃ恋人なんてできないに違いない。セフレがいつ来ていつ帰るかわからないからいつも玄関の鍵は開けっ放しだった、という防犯上の問題も解決する。
(でも、それじゃあここに来るのはオレだけってことにならないか?)
そのオレも夏休みが終わればここに来るバイトが終了する。そうなれば幸佑は一人きりだ。
「ねぇ、そうめん茹でないの?」
「え? あ、あぁ、そうだな」
持っていた二人分のそうめんを湯に入れ、ぐるぐると菜箸で掻き混ぜる。
「コウちゃん、あのさ」
「え?」
気がつけば幸佑が隣に立っていた。何だと見上げるとニコッと微笑みかけられる。その顔が昔の幸佑を思い出させて、ますますこれからのことが心配になってきた。
「夏休み終わっても来てほしいって言ったら来てくれる?」
「……は?」
「だって、コウちゃん来なかったら俺一人ぼっちだし」
一人ぼっちという言葉に胸がズキンとした。高校のとき、幸佑にはほとんど友達らしい友達がいなかった。三年のときのことはわからないが、二年までの様子を考えると急に友達が増えたとも思えない。
(しかも親しい人はほとんどセフレっぽかったしな)
そのセフレ全員と別れたら一人ぼっちになって当然だ。
「だからコウちゃんには夏休みが終わってもここに来てほしい」
幸佑がじっとオレを見ている。すっかり見慣れた顔だというのに、なぜかドキッとした。見慣れていると思っていた顔が別人のように見える。
「ね、そうめん茹ですぎじゃない?」
「お……っと」
「やけどしたら大変だから、ちょっと退いててね」
そう言った幸佑が鍋を掴んでザルにザバッとそうめんと湯を放った。その横顔は見慣れた幸佑だ。それなのにさっきは別人みたいに見えた。
(あんな目は初めて見た)
小さい頃からずっと一緒にいたが、あんな目で見られたことは一度もない。それにあの表情は……。
(あのときの女子みたいだった)
幸佑の前で泣いていた女子に似ていると思った。いや、幸佑は泣いていないからそう思うのはおかしい。でも、なぜかそんなふうに見えてしまった。
「はい、水で洗ったよ? スープってこれ? これに入れればいいの?」
「そうめん入れらた、最後にこれ載っけて」
「わぁ、おいしそう。……はい、できた。持ってくね?」
「あぁ、うん」
幸佑が用意したのは涼しげなガラス製のどんぶりだった。気のせいでなければ、二人分の器を持つ幸佑の背中が楽しそうに見える。
(……こういうのも、幸佑はあんまり経験してないんだよな)
オレの家に来ていたときはにぎやかな食事だっただろうが、いまの幸佑は一人きりだ。そう思うとやるせない気持ちになった。二十歳にもなった男が一人飯を寂しいと思ったりしないのかもしれないが、それが幸佑だと思うと胸が痛む。だからか、一人ぼっちだと言った幸佑の表情が頭に浮かんだ。
(せっかくいい感じになってきのにな)
部屋の外に出るようになり、スーパーでは一人で買い物もできるようになった。最近では皿洗いや洗濯機を使うことも覚えた。ようやく一人暮らしできるようになった幸佑を、ここで見放していいのかという思いに駆られる。
そういえば、最近はオレより先に「おはよう」というメッセージが届くようになった。昼飯を食ったことも風呂に入ったことも報告してくるし、寝る前は「おやすみ」というスタンプも届く。
(そういうことやる相手も、オレしかいないのか)
胸がざわざわとした。このまま終わりにしていいんだろうか。
「コウちゃん、食べよ~?」
振り返った幸佑はいつもと変わらない。それに「あぁ、いま行く」と答えたオレは、とにかく考えるのは食べてからだと思い、幸佑の向かい側に座った。
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