Ep.0-1 真夜中は雨の匂い

磯風

初めまして、猫です

 今日が、何度目の朝かなんて解らない。

 昨日まで腹が減ったり、眠かったり、痛かったりといろいろなことがあったが、今朝は全然なんともなくなっている。

 そして、明日も、明後日も、きっともう昨日までのようなことは、全くなくなるのだと理解している。


 あ、初めまして、猫です。

 名前?

 なんで猫が、人間なんかに名前を教えてやらなくちゃいかんのです?


 気持ちの良い朝っていう奴なんでしょうね。

 別に私にはどうでもいいことなんですけどね。

 ああ、なんか変な声が聞こえますねぇ……

 多分人間の声なんですけど、どうにもカンに触る声ですよ。


 あれ、こんな所に子供……いや、ここまで小さいと『赤ん坊』って言うんでしたっけ。

 と、すると親がいるはずなんですけど……見当たりませんね。

 やれやれ、この声はどうも好きになれません。

 それにしても、ここは人通りがないですね。

 私には良い場所ですが、この赤ん坊にはあまり良くないでしょう。


 よいしょ……っと。

 え?

 なんで二本足で立てるのかって?

 あなた、猫を馬鹿にしてますね?

 なんだって出来るんですよ、猫だから。


 赤ん坊くらいならこうやって……ひょいっと……ひょひょひょ…っ!

 ……人間って自分で動けないくせにこんなに重いなんて、迷惑な生き物ですね。

 仕方ない。

 ちょっと引き摺りますか。

 ああああーっ!

 何でまた大きな声になるんですっ!


 おっと、他の人間がこの赤ん坊に気付いたみたいですね。

 ふぅ、これで私の周りから不快な音がなくなりましたよ。



 昼はぽかぽかと日差しが心地良いですが、昨日ほど良い気持ちではありません。

 嫌なことがなくなっただけでなく、良い気分も感じにくくなっているのでしょうか。


 ……おかしいですね。

 さっき連れて行かれたはずの赤ん坊の声が、また聞こえてきましたよ。

 少し歩くと……ああ、またあんな所に置きっぱなしにされていますよ。


 でも、なんでしょう。

 さっきとは違いますね……

 泣き声も、そんなに嫌じゃなくなってます。

 ああ、この子も私と同じ『昨日とは別のもの』になったのですね。

 だけど、どうやらこの子は私とは違って、ここには居られないみたいです。


 あそこに見えているのは……さっき赤ん坊を連れて行った人間ですか。

 ……雨の匂いがしますね。

 濡れるのは困りますから、どこかへ避難しましょう。



 陽が落ちて、少し寒くなってきましたね。

 どうやら真夜中のようですね。

 とても静かでいい夜です。

 雨は……降っていないみたいですし。


 あれ?

 なんでしょう……ちょっとムズムズします……

 誰かに呼ばれているような。


「嘘……本当に猫が来たわ」


 なんですか、この人間。

 あたりを見回すと、どうやらさっきまでいた所と……違う場所みたいです。


「ねぇ……願いを聞いてくれるって本当?」


 きくわけないでしょう?

 何を……いや、手助けくらいなら……してあげてもいいですよ?

 は?

 いやいや、別に目の前に差し出された食べものに釣られたわけじゃあ、ありませんよ?


「赤ちゃんを捜してるの。あたしの赤ちゃんなの。一緒に捜して?」

「赤ん坊のことですかにゃ」


 ……にゃ?

 ちゃんと話しているはずなのに、なんで変な接尾語が付くんですか?


「しゃ、喋った! 猫又っ?」

「にゃんですか、それ。猫、ですにゃ」


 また変な音が……どうも人間の言葉だと、ちゃんと喋れないみたいですね。


「赤ん坊は……もう、捜せないですにゃ」

「え?」


「そこで何をしているんだ!」

「あ……! 返してよっ! あたしの赤ちゃん、連れて行ったのあんたでしょうっ?」


 おお、正解ですよ。

 そいつが赤ん坊を……あれ?

 あの赤ん坊の声が、また聞こえましたよ。


 えーと……こっちですか?

 あ、いました、いました。

 私は声を出してさっきの人間を呼ぼうと思ったら、なぜだか声が全く出なかったのです。

 そして、雨の匂いがしました。


「あっ、こんな所にいたのね! ああ、可哀想に、寒かったでしょう? もう平気よ。一緒に行きましょうね」


 あっちにいたと思ったのに……人間のくせに素早いですね、この人。


「見つかって……良かったですにゃ」

「ありがとう! 猫ちゃん」


 もう赤ん坊は泣いていませんでしたし、抱き上げて微笑んだ人間も……

『昨日と違うもの』になって、赤ん坊と一緒に行ってしまいました。


 後ろを振り返ると、昼間赤ん坊を連れて行った人間の姿はなくなっていました。

 ただ、雨の匂いだけを残して。


 暫く、その場に留まっていた私の前に、またあの人間が姿を現しました。

 やれやれ……この人間は……悪臭がします。

 雨の匂いより、嫌な匂いです。


 土を掘り返しています。

 あの赤ん坊がいた辺りですが……かなり深く掘って、もうひとつ、別のものを入れました。


 なんだか無性に腹立たしかったので、後ろから蹴り飛ばしてやったらあっけなく転んじゃいましたよ。

 私には蹴った感触が全然なかったので、不発かと思ったのですが。


 おやおや、人間もなかなか面白い格好が出来るのですね。

 首があらぬ方向に曲がっています。


 ……悪臭も、雨の匂いもなくなりました。


 その夜はなんだかとても疲れて、眠った時に変な夢をみました。

 誰かの声が聞こえ、こう言っていたのです。


「今回のことで、君にはもう少しそっちに居てもらわなくちゃならなくなった。まぁ気持ちは判るから、ちょっとオマケしておくね。判りやすくお金で換算するから、頑張って稼いでね」


 稼ぐ?

 何を?


 そして、毎夜、夜中になると雨の匂いがするのです。

 でも、呼ばれることは……滅多にありません。


 たまに呼ばれるとやっぱり『ネコマタ』とか言われるので、ムカついて堪りません。

 名前?

 教えるわけないでしょう?

 だから、こう言っています。


「初めまして、『猫の手屋』ですにゃ」


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Ep.0-1 真夜中は雨の匂い 磯風 @nekonana51

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