焼き鳥のせい
うたう
焼き鳥のせい
焼き鳥のせいだ。
酔ってぼんやりとした頭で最初に思ったのは、それだった。
駅前の商店街で買った焼き鳥は、塩気が強かった。溢れ出す肉汁は濃く、炭の香ばしさも相まって、芋焼酎のロックによく合った。
嫌われてはいないのだと思う。
恋人にふられた和樹を慰めようと強引に部屋にあがりこんだのが最初だった。
同じ駅を利用していたし、和樹が近所に住んでいるだろうことは知っていたが、まさか徒歩十分ほどの距離しか離れていないとは思いもしなかった。
それ以来、金曜の夜はいつも和樹の部屋で飲んでいる。
テレビにYouTubeを映して、一緒に観ながら酒を飲む。黙々と仕事をこなす和樹が涙を流して爆笑することを職場の人間は知らない。
週の終わりのほっとできる夜の時間に割り込んでも、和樹に文句を言われたことはない。迷惑そうな顔をされたこともない。床に数冊散らばっていた雑誌が最近ではきれいに本棚に収まっている。それを歓迎の印と捉えるのは、思い上がりだろうか。
「早く新しい彼女をつくれよ」と心にもないことを言うと和樹はいつも面倒くさそうに「こないだフラれたばかりですよ」と返す。二人の合言葉のようになっているフレーズだが、『こないだ』の有効期限がそろそろ切れそうな気がして、先週くらいから少し言うのが怖くなっている。和樹が恋人と別れて二ヶ月が過ぎた。
嫌われてはいないのだろう。むしろ慕われているような気はしている。
――少し頼れる職場の先輩として。あるいは、姉のような存在として。
アイスペールに氷を満たして戻ってきた和樹に抱きついてしまったのは、焼き鳥の塩気が強かったせいだ。飲みすぎたと自覚したときにはもう和樹の胸に顔を埋めてしまっていた。和樹の汗と体臭が鼻腔をくすぐったが、不快には感じなかった。
「先輩?」
戸惑う和樹の声に顔をあげてしまったら、きっと口づけをせがんでしまうだろうと思った。和樹が手にしていたアイスペールから氷をひとつ掴んだのは、だからだ。和樹のシャツの胸元をひょいと摘んで、中に氷を放り込んだ。
手に残った氷のひんやりとした感覚と和樹の悲鳴が、現実に引き戻してくれた。
「悪い。酔っ払った」
そう言い残して、トイレに逃げこんだ。鼓動だけはまだ夢の中にいた。
「大丈夫ですか?」
胸の高鳴りが収まってから戻ってきても、和樹は何事もなかったかのようにいつもと変わらない接し方だった。それを良かったと思いつつも、チクリと痛みを感じた。
「さっきみたいないたずら、次やったら怒りますからね」
和樹はそう言って焼酎を口に含んだ。
和樹の言ういたずらが服の中に氷を入れたことなのか、抱きついたことも含めてなのかわからなかった。
確かめる勇気がなくて、「もうやらないから安心しろ」とぞんざいに返して、手をひらひらと振った。
「僕んちばっかじゃなくて、次は店で飲みましょうよ」
「やだ。人前じゃおっさんみたいな飲み方ができない」
「僕の前では飲んでるじゃないですか」
「うるさい」
好きになるとわかっていたら、もっと可愛らしく飲んでいた。そう思っても後のまつりだ。今さら取り繕えるわけもない。
いっそすべてを焼き鳥のせいにして想いを打ち明けてしまえば、楽になれるのかもしれない。でもそれは、金曜の夜の和樹とのこうした時間や職場での和樹との良好な関係、和樹とのなにもかもを捨ててしまうことを意味しているのかもしれない。
きっと恋愛とは、失う覚悟をすることなのだ。
まだその覚悟は持てそうになかった。
恋心を隠すように言い放つ。
「和樹、焼き鳥冷めたからチンしてよ」
焼き鳥のせい うたう @kamatakamatari
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