汚い手紙

空野 雫

第1話 手紙

 彼女は、君は幸せにならなくちゃいけないと言った。

 その約束を守るためだけに、彼はこれからも生き続けるのだ。


 ―――――――


 そんな文章で終わる『小説』を初めて書いた。心の中にある言葉を、ひたすら書きなぐった。何といったらいいのだろうか? 

『小説』というには、汚すぎる。汚れ切った心で、黒ずんだ言葉で、ドロドロに溶け切った形にもなっていない文字の墓場。

 そんな墓場に集まった死者数約五万文字。自分からしたら、なんて文字の量を書いたんだと思ったが、『小説』ではこれは短い方らしい。

 では、私は何を書いていたのだろうか? 


 そうだ。私はひたすら“君”を書いたのだ。フィクションの“君”を書くことで、この世に君を生きて居させようとした。誰でもない“君”に向けて書いたこれは『小説』ではなくて『手紙』だ。

 自分が言いたいことを書き続けたこれは『手紙』という言葉がぴったりだ。


 そこまで答えを出した私は、もう何日も干していないぺしゃんこになった布団から起き上がる。


 ―――――――


 彼女はシンガーソングライターだった。小さな体に合わないとても大きなギターを彼女はいつも楽しそうにかき鳴らしていた。

 正直に話すと、彼女の曲の良さは全く分からなかった。本当はこうなりたかった。戦争なんてなくなってしまえ、全員愛し合え、夢はかなう、努力は裏切らない。現実が見えていない歌詞は、酷く、拙く、弱かった。まるで、自分の不安さをかき消そうとしているような歌詞ばかりだった。


 彼女は大きな病を抱えていた。一年の半分は病院で過ごし、外に出ることはおろか、病院の売店にいくことすらままならない日も少なくなかった。

 次第に、彼女が大好きなギターを弾ける日も少なくなっていた。


 ある日の事だった。見覚えのない番号から着信があった。


「○○さんが倒れました」


 間に合ってくれ。ただそれだけだった。

 病室に駆け込むと、彼女はベッドに座り、ギターを大事そうに膝に乗せ撫でていた。

 私に気が付くと、彼女は少しにやけながら言った。

「新曲、聞いてきなよ」

 いつも通り、私を小馬鹿にしたように自慢げに彼女は歌い始める。



 その歌にいつものような汚さは無かった。


 ―――――――


 彼女はあの日、分かっていたのだろう。

 もう、長くは生きられないことを。不安を告げることなどしない彼女は、たった一人で歌を歌ったんだ。


 彼女の歌が嫌いだ。彼女の歌が好きだという奴が嫌いだ。どんな気持ちで彼女が歌っていたかも知らないくせに、勝手に考察するな。

 歌も曲も彼女が歌ったこの世界さえも、嫌いだ。





 ―――――――

 

 私は身支度を整え、汚い『手紙』を持って彼女がいる海へと向かった。

 彼女に手紙を渡すように、丁寧に水面に浮かべ沈んでいく事を確認する。すべての『手紙』が沈んだ後に、私は最後に自分を沈めた。

 もうすぐ君に会える。私は今、はっきりと幸せだといえるのだ。

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