第3話 本音の鏡
おばあちゃんの後に続いて店内に入ると、さっき入った時とは雰囲気が違って見えた。
しんと静まり返った室内は、どこか寂しさを感じさせた。
入り口の前で立っていると、おばあちゃんはエプロンを脱いで店内の電気を消し、出入り口に白いレースのカーテンを閉めた。
「はい。お待たせ。」
ドアの鍵をカシャリ閉めると、おばあちゃんは優しく声をかけお店の奥へとゆっくり歩いて行った。
薄暗い店内を通り抜けると、厨房奥にある扉のノブをゆっくりと回した。
扉の中を覗きこむと、急な階段が目の前に現れた。私は、見たこともない段差と傾斜に驚いたが、おばあちゃんは、ものともせずに手すりを使って一段ずつ登っていった。
私も、後に続いて階段に手をつきながらゆっくり慎重に上がっていった。
薄暗い階段を登り切った先には、こじんまりとした畳の部屋があって、線香のようなどこか懐かしい香りがした。
小さなキッチンに、立派な木でできたローテーブルにテレビ、奥には仏壇があった。
どこか懐かしさがある部屋の中を眺めていると、おばあちゃんに座るよう促され、はっとして、恐縮しながらローテーブルのそばで正座した。
「冷たいお茶でいいかしら?」
おばあちゃんは冷蔵庫からポットを取り出し、竹の絵が描かれた湯呑みに注いで、涼し気なお皿に乗せて机に置いた。
「ありがとうございます。」
私は、喉が渇いていたので、湯呑をそっと両手で持ち上げて飲んだ。緊張であまり味はしなかったが、喉は潤った気はした。
おばあちゃんは、キッチンで私が購入した総菜を袋から出していた。
「お腹空いてるでしょ?おにぎり食べてみるかい?」
おばあちゃんは、ビニール袋から1つおにぎりを取り出し私に差し出した。ペコリとお辞儀をしておにぎりを受け取ると、ラップをゆっくりとはがし、一口口に含んだ。
緊張で味がしなかったが、水分を吸った海苔からは香りがふわっと鼻を抜けた。食べ進めていると、刻んだ昆布とじゃこが中から溢れだしてきた。
「これ、昆布味ですか?」
今まで見たことない組み合わせでびっくりしておばあちゃんに思わず質問した。
「ああ、昆布だったかい。そうだよ。うちのおにぎりは何が入っているかわからないから、食べてみてのお楽しみなんだよ。」
おばあちゃんは何かをたくらむような口調で話しながらキッチンで手際よく料理をしていた。
ランダムで味が変わるのなんてわくわくするな。と思いながらおにぎりを食べ進めていると、食べ終わるころにはもう一つおにぎりが差し出された。
「あ、ありがとうございます。」
これを食べると一緒に食べられる食事がなくなってしまうと思ったが、勧められてしまうと無下にできず、なるべくゆっくり咀嚼しながらおばあちゃんが食事をし始めるのを待つことにした。
しばらくすると、おばあちゃんはせっせと机の上におかずを乗せていった。その中には温めなおされて湯気が立ったおいしそうな肉じゃがも綺麗な深皿に盛り付けられていた。
おいしそうなおかず達を見ていると、どんどんお腹が空いてきてしまうのをおにぎりを齧ってごまかした。
「はいはい。ではいただきましょうか。」
やっとおばあちゃんがお盆を持って机に近づいてきた。私は食べかけのおにぎりを握りなおして机の上においた。
おばあちゃんはお盆を畳みの上に置き、乗せていた茶碗と汁椀、お箸を目の前に1つずつ並べていった。
「え、私もいただいていいんですか?」
まさか自分の分があるとは思っていなくて、驚いてしまった。目の前にはふわふわと湯気の立った白いご飯やお味噌汁が照明で輝いて見えた。
「もちろん。召し上がれ。」
おばあちゃんはほほ笑んだ後、両手を合わせて箸を進め始めた。私は、嬉しさと、申し訳なさが入り混じった気持ちの中、おばあちゃんの様子をうかがいながらゆっくりと肉じゃがをつまんだ。
『美味しい。』口の中でほろほろと崩れる甘いジャガイモに感動した。何度も肉じゃがは食べたことがあるが、今まで食べてきた中で一番おいしいと感じた。
つい口角が上がってしまったのを見られていないかおばあちゃんの顔を見てみると、気にする素振りもなくご飯を口に運んでいた。それに少し安心して、なるべく行儀よく食べるように注意しながら箸を進めた。
遠慮してあまり食べないでおこうと思っていたが、結局お腹いっぱいになるまで食べてしまった自分が腹立たしかった。
たくさん用意してくれたおかずは綺麗さっぱり食べきり、おばあちゃんも驚いていたぐらいだった。
「美味しそうにたくさん食べてくれて嬉しかったよ。」
洗い物をするおばあさんの隣で食器を拭いていると唐突に言われ、胸がこそばゆくなった。
「すいません。たくさん食べてしまって。」
「それだけ口にあったいう事だね。」
恐縮しながら拭き終わったお皿を調理台の上に重ねて置いていくと、隣で「ありがとう」と声が聞こえて振り向くと、おばあちゃんは洗い物を終えてきれいになった食器を棚まで運んでいった。
「ほら、お客さんなんだからゆっくりしていって。」
ほかに何の手伝いもできるかもわからなかったので、とりあえず言われるがまま机のそばに座り、おばあちゃんの姿を目で追っていた。
食器を直し終わると、おばあちゃんはお盆を持って、よっこらせと椅子に腰かけた。
急須に入ったお茶を湯呑みに注ぎ、こちら側に湯呑みのお茶が差し出された。きれいな緑色で茶葉が浮いていた。おばあちゃんは、急須にお湯を足してマグカップに注ぐと、ゆっくりと傾けて一口飲んだ。
しばらく沈黙の時間が続いて、壁掛け時計の針の音がカチカチと室内に響いていた。
「ねえ。お名前はなんていうの?」
気まずくて伏し目がちになっていた所に突然質問がふってきたので、少しびっくりした。
「坂辺...です。」
遠慮がちに答えたため、声が小さくなってしまった。おばあちゃんが聞き取れなかったかもしれないと、顔色を窺うと、まっすぐなまなざしと目が合って、つい目を反らしてしまった。
「下のお名前も聞いてもいい?」
「…あ、えっと。みりあ…です。」
正直言うと、名前を名乗るのは嫌だったが、無理くり名前を絞り出した。 自分の名前を言うと、周りの大人たちからは、キラキラネームと言われ、あまりいい顔をされなかったし、時には名付けた親を馬鹿にされることもあった。名前のせいで悲しい思いをした経験の方が多かったから。
どうせ、名前を聞いたらみんなみたいに困った顔をするに違いない。そう予想しておばあちゃんの顔を見ると、そんな表情じゃなくて不思議になった。
「みりあちゃんね。どんな字を書くの?」
字がなんで気になるんだろう?と思ったが、言葉で美莉愛と書くことを伝えると、細い目がしわで埋もれて見えなくなった。
「そう。素敵な名前ね。美しくて、愛される、花。美莉愛ちゃんにぴったりな名前ね。」
初めて大人から名前を褒められて、漢字にそんな意味があるんだと思うと、少しだけ名前を好きになれた気がした。
「全然。素敵なんかじゃないです。」
このままだと変な顔が出そうになったので、お茶をすすって気持ちを落ち着かせた。
「そうかいねぇ?」
ともにお茶をすするとまた沈黙の時間がやってきた。いたたまれなくなって、こちらから質問を投げかけようと口を開いた。
「お名前聞いてもいいですか?」
おばあちゃんが不思議そうな顔をしているのを見て、質問を間違えてしまったかもしれないと焦ったが、「あいこと申します。」という言葉が聞こえてきた。
「あ...看板の名前。」
名前を聞いて瞬時に店の名前を思い出した。不思議そうな顔をしていた理由がわかって急に恥ずかしくなった。
「一緒の愛ちゃんだね。」
にちゃりといたずらに笑うおばあちゃんの顔を横目に、恥ずかしさで赤くなった顔を隠しながら、こくんと首を縦に振った。
「あら、もうこんな時間。」
おばあちゃんの声につられて時計を見ると、すでに21時半を回っていた。
「そろそろ帰らないとね。ごめんね長い時間引き留めたね。」
「あ、いえ。こちらこそ。」
おばあちゃんは、申し訳なさそうにゆっくりと腰を上げた。私も、恐縮しながらすくっと立ち上がり、急いで階段の方へ向かった。
先に下がっておいて。と声をかけられたので、2階の明かりを頼りに慎重に階段を降りて行った。
出入口前で待っていると、おばあちゃんがビニール袋を持って降りてきたのが見えた。なんだろう?と思ったが、気づかないふりをして、こちらに来るのを待っていた。
「はい、どうぞ。」
手に持っていたビニール袋を差し出されたので、受け取るとおばあちゃんは出入り口のカギを外し、扉を開けた。
外はすっかり涼しくなっていて、どこからか心地よく虫の声も聞こえていた。
おばあちゃんは自転車の方へ歩き出していったので、私も扉を閉めて後に続いた。
「今日はこんな古いお店なのに来てくれてありがとうね。久しぶりに誰かとご飯が食べれて嬉しかったわ。」
おばあちゃんは背中越しで表情は見えなかったが、きっと優しい顔をしているんだろうなと感じる声だった。
「それは、私もです。初めて会うのにご馳走になってしまって。ごめ…ありがとうございました。」
つい、謝りそうになったのを飲み込んで、してもらった感謝の気持ちを精一杯伝えようとした。おばあちゃんはそれを察してか「お粗末様でした。」とにちゃりと笑った。その表情を見て、こわばった気持ちが少しほぐれた。
「あの、これもらっていいんですか?」
自転車の前に到着すると、貰った袋をおばあちゃんに見せた。中身は何かわからなかったが、プラスチック製のタッパが2つ入っていた。
「ええ、もちろん。もしよかったらまた遊びに来てね。」
「そんな。迷惑かけちゃうので。」
まさか、そんな素敵なお誘いをされるとは思ってもみなかった。正直、甘えたい気持ちがあったが、ぐっとこらえて断った。
「そうかい。」
おばあちゃん何か考えるように目を泳がせた。そして、お店に貼っている手書きのポスターを見つけて指さした。
「それじゃあね。今ね、お店で調理を手伝ってくれる人募集しているの。賄い付きよ。」
「え。」
絶対嘘だと思った。だって指さしているポスターは”最近書いた”とは言えないほどボロボロだったから。きっと私に同情して無理に言ってくれているだけなんだ。でも、それが本当だったら?そんないい話他にはない。ポスターとおばあちゃんに視線を泳がせながら、そんな葛藤を心の中で繰り広げていた。
おばあちゃんは相変わらず、私の様子を優しい目で見ている。
どっちの回答が正解何だろう。顔色を窺ってもおばあちゃんの本当に思っていることを知ることはできなかった。こんな時、人の心の中が見れる鏡があればどんなにいいだろうと、どれほど懇願しただろうか。
「すごく嬉しいです。でも、私の学校アルバイト禁止だから。したくてもできないんです...。」
思いついた返答は我ながらよくできたと思った。やっぱり、迷惑をかける可能性があるなら避けるのが一番。そう思って、おばあちゃんを傷つけないように言葉を選びながら断った。これでおばあちゃんに迷惑をかけなくて済む。そう思ったのだが、思ってもみない返答が帰ってきて耳を疑った。
「そう。じゃあ、お手伝いさんとして来て、一緒にご飯食べるのなら大丈夫ね。」
「え?ほ、本当に…いいんですか。」
言われたことが一瞬理解できなくて固まってしまった。おばあちゃんは首を縦にゆっくり振っている。
「良いに決まっているじゃない。こんな素敵な子他にはいないわ。だから、また来てね。」
おばあちゃんは優しく私の手を握ってほほ笑んだ。しわしわの小さな手はじんわりと温かくて、安心感があった。
そうか、おばあちゃんは同情じゃなくて、ただ純粋に一緒にご飯が食べたいだけなんだ。私が後ろめたさを感じないようにアルバイトを提案してくれたんだ。そう気づくと鼻の先がツンと痛くなったのを堪えながら、弱弱しく返事した。
もらったおかずをこぼさないよう腕に引っ掛けて自転車にまたがった。
「ありがとうございました。また、来ます。」
照れくささを隠していたからきっと変な顔をしているだろうなと思う。でも、どんなに声が震えてても、顔が変でもこの人なら受け入れてくれる。そんな安心感が芽生えていた。
「ええ、嬉しいわ。待ってます。美莉愛ちゃん。」
名前を呼ばれて、くすぐったい気持ちになった。私も心の中で愛子さん。と呼ぶと、自然に笑顔がでてきた。
愛子さんは、微笑み返して胸の前で小さく手を振った。
「気を付けていってらっしゃい。」
その言い回しは、どこか心地良くて、つい「ふふ」と笑ってしまった。
会釈して小さく手を振り返すと、勢いよくペダルを踏んだ。それに応えるように、右手に掛けたお土産がカサカサとなびいて喜んだ。その様子を眺めては、鼻歌を口ずさんだ。
空を見上げると、今日は三日月で、雲一つ無いキラキラ静かに輝く姿が綺麗だなと思った。
普段なら、自宅に帰るのは寂しくて嫌だと思うはずなのに、そんな事忘れるほど気持ちがじんわり温かった。
愛子さんの余韻を胸の中で感じながら、清々しい夏の一夜を抜けていった。
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