八十八の祝いに願いをこめて。

羽鳥(眞城白歌)

無精髭、狐っ娘に願われる。


 食堂の窓から見える外はよく晴れていて、風にゆさゆさ揺れる樹々の枝葉が見える。

 朝食の片付けが一段落し、外へ一服しに行こうとしていたところにやって来たのは、剃髪頭スキンヘッド、つりあがった三白眼、黒い軍コートに和国の刀をいた偉丈夫だった。

 海向こうの国で百人隊長をしていたという彼、ガフティは今、ここ、世直しを志す革命軍が集うダグラ森砦の一員に加わっている。


「なんだ、隊長、珍しいな?」

「お、出るところだったかわりィ、後でもいいぜ」

「いや…………大丈夫だ」


 一瞬迷ったが、こちらへ向かってくる狐っ娘の姿が見えて、一服は後回しにする。

 妖狐の魔族ジェマであるヒナは、人間でいうところの十代半ばくらいな少女だ。生まれが和国という島国だったためか、大陸の共通語コモンに慣れていない。意思疎通コミュニケーションに少々難ありな彼女が目下一番懐いているのは俺で、大抵いつも厨房を訪ねてくる。

 ガフ隊長もヒナに気づいたようで、いかつい眉をひょいと上げ、口角を上げてニヤリと笑った。なかなか堂に入った悪者ヅラだが、これで案外子供好きの世話好きなのだから人ってのはわからないものだ。

 かくいう俺も、やさぐれ感漂う無精髭男である。本当に、どこを気に入って俺に懐いているのかわからないよな。


「よォ、ヒナちゃん。一緒に八十八やそは祝いやるかィ?」


 俺が思索にふけっている間に、隊長がヒナに声を掛けた。

 うん? 何だって?

 よく聞き取れなかった俺とは違い、ヒナはきょとんと目を丸くしたあとで、ぱっと微笑んだ。青銀色の狐尻尾がふわっと膨らみ、大きな狐耳もピンと張っている。

 何やら二人してわかり合っているふうで、取り残され感が半端ない。


「たいちょー、やそはじゅのお祝い、しってるの!」

「こいつの持ち主だった相棒ダチが、前に言ってたんだよなァ。数字が揃うミカドの誕生日は、繁栄と無病息災を祈っていつもより大きく祝うんだろ? 今年の今日が八十八やそは、次の巡りは十一年後で九十九つくもだっけか。奴の代わりに、俺が祝ってやろうと思ってよォ」


 隊長の持つ和刀は戦死した親友の形見なのだという。和国出身だったという彼の亡き友との交流で、ガフ隊長はそこそこ和国の習慣に詳しい。

 お陰で俺も、ヒナが懐かしむような菓子や料理の情報を教えてもらえるわけだが――。


「うれしい! みかど、ずっと遠いけど、ヒナのおいのりとどくかな……」

「今日はよく晴れてるからイケるだろよゥ、『の鏡と空の道はどこからだって見える』からなァ」

「うん、よかった」


 ヒナの綺麗な薄荷はっかの両目が今日に限っては俺じゃなく、ガフ隊長を見つめている。きらきら輝いて、親しみのいろがこもっていて、しかもミカドの誕生日ときた。そいつ確かヒナのしだか好きだか……。

 みっともないモヤモヤを心の中で持て余す俺を、二人が一斉に見た。甘えるような薄荷はっか色と、挑むようなあめ色。心の声が筒抜けになってたかとたじろぐ俺に、二人は。


「ッちゅーことで、黄金こがね色の菓子を作ってくんねェか、ダズ」

「あまい、ふわふわっ、きんいろの! おねがいダズ」


 たいそう抽象的な注文だ。黄金こがね色で、甘くて、ふわふわの菓子……できれば和国風の。少ないレパートリーの中から砦でも作れそうなものというと、何があるだろうか。

 断る選択肢が浮かばないのは、俺自身がヒナにすっかり絆されてるからかもしれない。





「で、結局、八十八やそは祝いって何なんだよ……」


 麦粉を測り、溶いた卵を湯煎ゆせんにかけながら砂糖を加え、メレンゲみたいにきめ細かく泡立てる。それに油を少々、蜂蜜も加えて、ほんの少し白ワインを入れた。細かな泡を潰さないよう麦粉を加えて混ぜてゆく。

 見知らぬ誰かの誕生日を一緒に祝ってやるほど、俺は博愛主義ではない。それでも、わかりあう二人に混ざりたいという衝動には抗えなかった。


 本当はヒナの口から聞きたいが、片言の彼女から理路整然とした説明が望めないのもわかってる。なので、疑問を向ける相手は隊長だ。

 ガフ隊長は「あー、えぇとなァ」など呟きながら剃髪頭スキンヘッドを撫で回し、外で摘んだらしいタンポポで花冠を編んでいるヒナに目をやった。


「和国には、政治実権を持たないミカドってのがいるんだと。魔族ジェマなんだが和国の固有部族で、キリン……だったけかなァ。虫も殺さぬ優しい気質タチで、滅多に皇宮コーグーから出てこないんだが、和国民はその姿を一目見れば無病息災、皇宮コーグーのほうに祈れば加護が受けられる、って本気で信じてるらしいぜ」

「ほぉ、……さっぱりわかんねえながら一応は把握はあくした。で、キリン様の八十八歳の誕生日ってことだな?」


 四角い型にケーキ用シートを敷き、生地を流し入れて、トントンと軽く落としつつ表面を平らにする。ザラメとかいう特殊な砂糖は手に入らなかったので、省略した。

 予熱したオーブンに入れ、顔を出した火蜥蜴サラマンドラに焼き方を頼めば、機嫌よく尻尾を一振り。今日は天気がいいからか三匹でご登場だ。普段より甘味が強めな菓子なので、黒く焦がさないよう念を押してオーブンの扉を閉める。


「やそはじゅは、こがねの色でおいわいするですよ」


 編み上がった花冠を重ねつつ、ヒナが口を挟んできた。そこに隊長が補足する。


「和国の文字では八十八が黄金こがね色を意味するらしいぜ。さすがに、俺も詳しくは知ンねェが」

「だからヒナはタンポポ編んでんのか。何にしても、ヒナや和国民にとって大事な祝い……なんだな?」

「うんっ」


 断片的にしか知らないが、ヒナは保護者とはぐれ、無理やり大陸に連れてこられたのを逃げ出してきたらしい。それでも故国の祝い事を忘れずに実行しようとしているのは、こいつなりの愛国心……愛郷心なんだろう。

 素直にまっすぐに育ってきたらしい彼女が愛せる国なら、きっと良い王と政府が治安しているのだろうと思った。


 相手が綺麗なお兄さん、てのが少し面白くないな。女子はやっぱり、キラキラ金色のイケメンに憧れるんだろう。いや、八十八歳って爺さんじゃないのか?

 魔族ジェマっていうのは長寿種族なので、人間族フェルヴァーみたいな歳の取り方はしないかもしれない。

 複雑な思いはあるが、個人感情は二の次だ。隊長の亡き友のため、そしてヒナの笑顔のため、料理人の矜持きょうじをかけて最高の一品を用意してやらないとな。


 花冠を作り終えたヒナが、今度は紙を折って何か作っている。首が長くて四つ足の、……もしかして、キリンって奴だろうか。

 王様らしく偉い相手なのに本性トゥルース姿を作るのかよ、と突っ込みたくなったが、美人なお兄さんの似顔絵なんて描かれた日には俺の心が折れそうだから、余計な口を挟むのはやめた。

 いいタイミングで火蜥蜴サラマンドラたちの歌が流れてくる。立ってミトンをつけ、オーブンを開ければ、焼き上がった四角いケーキを火蜥蜴サラマンドラ三匹で囲んでいた。何のエンブレムだよ。


「ほらよけろ、縮み防止に落とすぞ」


 ぱっと囲みを解いて散った火蜥蜴サラマンドラたちの間からケーキを取り、台の上でトンと落とす。冷ますために型から出して皿に乗せれば、ヒナが尻尾を膨らませて飛び込んできた。


「すごぉい! かすてら!」

「おい、だから熱いもの持ってる時は腰にしがみつくんじゃねえよ」

「だいじょうぶ!」


 少しずつ語彙ごいが増えてはいるが、誤用も増えてやがる。大丈夫ってそれ、俺側の台詞だろう。もちろんプロの料理人は、ちびっ子が突撃してきたくらいで品物を取り落としはしないけどな。

 表面に貼り付いたままのシートを剥がし、皿の上で長方形サイズに切り分ける。表面は滑らかな焦茶だが、中身は綺麗な黄金こがね色だ。ふわっと香る匂いもしっとりしている。ちょっとワインを効かせすぎたかもしれない。


「これ、普通に皿に分けていいのか?」

「わけて。おいのりしてから、いただきますの!」


 求めに応じ、ちょっとお洒落な菓子皿に三切れずつ分けた。ヒナと隊長と俺と、ミカドのぶんだ。ヒナが俺から離れて、編んだ花冠と紙人形を持って食堂側へ向かう。その後を俺が二つ、隊長が二つ皿を持って追いかけた。

 和国は砦から見て、影竜南東の方角にあるんだという。食堂内の影方南東側のテーブルに、ヒナは花冠を並べ、真ん中に紙人形を立たせた。そして、俺から受け取ったカステラを前に置く。

 子供のままごとのように見えるが、本人は至って真剣だ。


「なあ、和国の奴らって皆あんな感じなのか?」


 そっとガフ隊長に尋ねれば、彼は腕を組んで目を閉じ、何かを懐かしむようにウンウンと頷いた。


「そーそ、俺の相棒ダチもよく、下ッ手な似顔絵描いて窓に貼り付けて、拝んでたなァ」

「そうか……よほど大切なんだなぁ」


 設置を終えたヒナが数歩下がって姿勢を正す。ガフ隊長は腰から刀を外し、テーブルの手前側にそっと乗せた。そうするとまるで、彼の友が二人の間に立っているように、錯覚してしまう。

 二人はまっすぐ立ち、祈るように手を合わせて声を合わせ言った。


子供チビたちが、幸せに笑える巡りになりますようにィ」

「ダズがながいきして、たくさん笑えますように!」


 危うく、大事な儀式をしてる横で声を出すところだった。隊長とヒナは顔を見合わせて笑っているけど、俺としては笑い事じゃないぞ。十一年に一度っぽい大事な願い事をそんなことに使っていいのか!?

 でも、振り向いて俺を見たきらきら輝く薄荷はっか色を見てしまえば、俺の内側は何かでいっぱいにあふれてしまって。


「……ありがとな」


 たった一言が精一杯だった。

 そのあと三人で食べたカステラは、自分で作っておきながらむせるほどに甘い味だったけれど。くさくさしていた心がじんわり満たされてゆくように思えたのだった。




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八十八の祝いに願いをこめて。 羽鳥(眞城白歌) @Hatori

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