第七夜 傾城の王女
料理人のカイルはお肉を切っていた。肉の匂いがする。クロノワール城の家令のジョセフが突然に現れた。厨房にて働くアゴスティーノに声をかけた。
「アゴスティーノ! また滝のような汗をかいてるのか?」
アゴスティーノは不安な表情をする。包丁で肉を切り落とす。
「ジョセフさん、僕はいつか愛する母君に会えますか?」
とアゴスティーノは話す。このアゴスティーノは優しい性格。長髪に栗毛に髭を生やした。あまり目立たない。
「……そうだな」
厨房を通るとヴァイクが通り過ぎた。あまりの殺気にアゴスティーノは固まる。
「おう! よう! ヴァイク! またまた家令の俺にも挨拶なしか?」
「はい? 本業してると俺はイライラします」
「クルーガーさん、料理中は超ルンルンなんですよね?」
「……モンタギューは俺のことを既に周知ではないですか? そんなくだらない世間話に花を咲かすよりも大事なことがあるのでは? 料理を作る方に専念したら如何ですか? 俺は今日、まだ陛下への残業がありますが」
「……ご、ごめんなさい」
厨房は戦々恐々とした空気に包まれる。
「クルーガーさんはかなり話しかけづらい?」
「そ。ヴァイクはいつも怒ってるんだよな」
「またね? クルーガー」
「あ? モンタギュー。俺のことを軽々しくクルーガーと呼ぶな。あんまり気安く話しかけるな。鬱陶しい」
ヴァイクはアゴスティーノをギロリと睨んだ。残業があるから燕尾服を乱暴にかけて出かけた。今度現れたのはレオンだった。レオンは上流階級の貴族生まれの育ちの良さかが滲み出る。
「お? レオン? またまた陛下の残業か?」
「ええ、バジョット様も疲れを出さないよう、お気をつけてくださいね。モンタギュー様。なにか私にご用事でもありましたか?今ならお話を覗うこともできます。如何ですか?」
「話したいことがあって。僕はいつも母君に会いたいなぁと思ったんです。僕は社会人のいま、母君に物凄く会いたい。でも家を出るときに喧嘩してしまったんです」
「大丈夫です。いつか強き優しきお母様に会えますよ? 喧嘩は時間が解決してくれます」
「感謝申し上げます!」
「レオンは凄く優しい奴だからな」
「良いんですよ。今宵は紅い月の夜です。お月見しましょうと陛下が仰っております。モンタギュー様もご覧になられますか?」
「はい!」
使用人は夜空を見上げた。レオンは夜の匂いがした。今宵の冬の空気は片鱗もなく、空気は真冬のように暗く冷たい。レオンはアルベルトから継承された懐中時計を見た。南風が吹き、レオンの前髪は、はらりと揺れた。今宵はアンダーバトラーのクルーガー以外の使用人は蒼い月を見ていた。蒼い月が雲間に隠れた。
「綺麗ね」
「そうだな。エリーヌ」
「レオンさん見えます?」
エドは尋ねる。するとレオンはこう話す。
「ええ、私も紅い月は見えていますよ」
◇◇◇
ローザはピンクのドレスを着ていた。
コンコンと寝室のドアをノックをされた。
「あけて良いわ」
ローザの寝室に入ってきたのはレオンだった。レオンは髪を上げていた。ローザに一礼をした。
部屋のドアを開けるとローザは長い絹のように美しい栗髪を片方に寄せている。サイドカットの頬にかかる髪は輪郭を包むように切られており、背中まで長く美しい栗髪は巻いたようだ。ローザは睫毛が濃く、目の大きい美女。花咲くような口紅を塗っている。ローザは華奢な身体で鎖骨が出たドレスだ。まるで花園の花びらとパールがドレス全体に散りばめられていた。にっこり微笑んだ。
ローザは「敵国の男を狂わす美貌を持つ。傾国の美女。姫君が息を吹きかければどんな凍てついた華も咲かせる事ができる力を持つ」と謳われる。美顔、美髪、美肌の見目麗しい王女様だ。
「ローザ様。今宵は宴です」
「レオン、わたしは行きたくはないわ」
「今日はローザ様のお好きなものが御座います。食堂へ向かいませんか?」
「……今日は行きたくなくて」
「そうですか。なら、その
「……レオン」
「ええ、ローザ様」
「……手紙?」
「遠方にいらっしゃるご友人から御手紙を頂きました。ローザ様も一読なされては如何でしょうか?」
「わかったわ」
「ええ」
「……マリオから?」
「ええ、エスポワール様からです」
「……マリオがわたしに? どうして?」
「今宵は舞踏会ですよ、ローザ様が読まれてください」
「レオン」
「はい」
「私のお腹変じゃない?」
「……いいえ。確かになにかふわふわと動いてますが」
「……レオンなら話せるわ。わたしはうさぎを庭園で拾ったの」
「ええ、そうですか」
「城の中では飼えないのよね……。名前も決めてない……」
「僕の名前はジャン!」
「……喋ったわ!」
ローザは目を丸くして驚いた。
ジャンはうさぎだが、知能が高く、人の言葉を解する事ができる。ジャンは白いジャケットを着て末恐ろしいような表情だ。
「ヘアビットのジャンさまですね。腕をお怪我されています。お話よりも」
「失神するまえに二言三言を言わせてください」
「実は……。レオンの旦那さま、このお城も狙われているんです。もうじきにパレスが来るのは時間の問題です」
「パレス?」
「自らを『宮殿』と名乗る極悪人です。姿を変幻自在に変えられ、魔法を使い、血を吸って生き延びているんです。レオンの旦那さまのお父様の
「……パレス」
レオンは勘づいた。
「だんだん、このクロノワール城も危なくなっています」
「……パレスに味方する使用人が、このお城にはいます。僕はフランソワ陛下に令を受けて、その裏切り者の調査を勧めていたんです。ですが、調査中に敵に追われてしまって、ローザさまに匿ってもらったんです。普通、僕らは可愛い見た目だから敵に勘付かれにくいんですが……。その裏切り者に勘付かれて包丁で斬られそうになって……」
「……ジャン。貴方はよく頑張りました。それより、お怪我のほうは? 二言三言など休んでから」
「僕はこれから気絶します、事が起こる前に話しておきたいんです」
「それがレオンの旦那さまの血液なんです」
「私の血液?」
「レオンの旦那さまはアルベルトさまというお父様がいらっしゃいましたよね?」
───アルベルト。
父のことか。レオンは顎に手をやった。
「奴らは……ローザのお姫様さまの……エスポワールさまを……」
ジャンは怪我で失神した。レオンはジャンを運んだ。アルベルトが外套を纏う男に殺されたときも赤い月の夜であった。
地下牢からヴァイクは戻った。クロノワール城の地下牢は暗く、蝙蝠が飛んでいる。
「……エルヴァン。戻った」
「クルーガーさま。無事に戻られたのですね」
ヴァイクはランタンを持ち、レオンの端正な顔を照らす。
「……どうやら、この城には背信者がいるようだ。……エルヴァン。あんたも気をつけろ。城の舞踏会の護衛は近衛隊のカルロスに任せた」
「クルーガー様」
「あんたみたいな優男がお姫様の婚約者として出るんだな。まぁ……せいぜい。殺されそうにならないように気をつけろ」
「クルーガー様、承知しました」
「ドラゴニカ帝国の刺客がこの城には居る。あんたに教えてやろうか。……レオン」
「陛下様の金庫にあった黄金の指輪が盗難に遭った……俺の話しが嘘だと思うか?」
「クルーガー様、またそのような御冗談を」
「……俺は冗談を言っているつもりはない。俺はあんたと仲直りがしたかっただけだ」
「レオン……今日は嵐の夜だ。舞踏会に出席する方々と使用人になにかあったらおまえは守り匿うことが出来るのか?」
「俺は地下牢の見廻りだ。あんたの要件はなんだ?」
「……別に。私は特に用事はありませんよ」
「剣を取りにきたんです」
「剣……?」
「父上、こうなる事は分かっていたのかもしれません」
「あ? 独り言か?」
「……ええ」
レオンの顔は松明の炎に照らされる。
「私は勝機を見た」
紅く血を濡らした
(……陛下の剣を使う時がいま来た)
近衛隊の警護が見張る中、長であるカルロスがレオンに声を掛けてきた。カルロスはレオンの許に駆けつける。きれいに整えられた栗毛。陶器のような肌。丸くつぶらな瞳は思慮の奥深くまで覗かれているようだ。
「エルヴァンさま」
「ええ、明日は城の警護は固くしてあります、このお城には忘恩の徒がいらっしゃいます。……陛下はその忘恩の徒についてあまり触れられませんが、エルヴァンさまもお気をつけてくださいませ」
「……もしや明日の舞踏会は? 背信者を炙り出すため?」
「……ええ、そのようですね。南の生温い風がより、不気味さを醸し出していますね」
「……何事もなく舞踏会が済むといいのですが」
カルロスはなんでもフランソワ陛下の弟、アンリ夫妻が暗殺でこの世を去ってから、身分を隠して近衛隊に入隊した。彼は───カルロス・アヴァンチュール。両親が暗殺されてから母親の姓を名乗っている。彼は絵画から生まれたような美青年だ。清潔感のある栗毛には勇猛果敢さが窺える。この事はフランソワ王から口止めされているため、迂闊にはレオンの口からも言えないが。
「エルヴァンさまのお父上はお墓に眠られておりますか?」
「ええ」
「……! いま、まさにエルヴァンさまの眠れる魂が覚醒するときですね。そのときをよくお大事にしてください」
「……ともに僕も亡き父の無念を晴らす、自分の眠れる者を呼び覚ますのは、僕自身もよくわかっております」
「……エルヴァンさまもご自分の暴れる
「ええ、私も自身の内なる獣についてはよく解っています。自分も成すべきことを成し、捨てるものはいざとなると次第に捨てます」
「エルヴァンさま、少々言葉が過ぎましたね。では、僕はここで失礼させていただきます」
カルロスは去っていった。紅い
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