姫様、逃走する

「あの……サラさん、本当に申し訳ありませんでした」


 エルザがおずおずと声をかけてきたのは、ピレネのカフェで朝食を取っている時だった。サラがサンドイッチを咀嚼そしゃくしながら顔を向ければ、エルザは恐縮しきった様子で縮こまっている。


「重かったでしょう? 起こしてくだされば……」

「大丈夫よ。さっきも言ったけれど、エルザの睡眠時間の方が大切だもの」


 ヴォルトが襲撃者を退しりぞけたのは、森を抜ける間際でのことだったらしい。


 サラ達は隊商がピレネに入ると、襲撃者から巻き上げた荷物と馬を隊商に引き取ってもらい、先を急ぐ隊商と別れた。隊商と諸々もろもろのやり取りをしたリーフェとヴォルトが言うには、戦利品はかなりいい値段で買い取ってもらえたらしい。馬が良かったとか、なんとか。


「ここひと月、追手を気にしながらの旅暮らしだったんでしょう? ゆっくり眠れる時もなかったんじゃない?」


 サラが訊ねるとエルザはおずおずと頷いた。しっかり寝て、朝食を腹に収めた今のエルザは、昨日出会った当初よりもかなり顔色が良くなったように思える。


 ──もしかしたら、リーフェがいないせいかもしれないけれど。


 今カフェのテラス席に座っているのは、サラとエルザ、キャサリンの三人だけだった。アクアエリア御一行様は目立つ服装を何とかすべく、朝早くからでも店を開けていそうな服屋を探している。ハイト達が戻ってきたら、今度は入れ違いでサラ達がその店に出向く予定だ。


 ──私はともかく、エルザの服は旅暮らしでいたんでいるから新調した方がいいだろうし、キャサリンのメイド服もハイト達とは別の意味で目立つのよね。


「あの、お礼を、言わせてください」


 ハイト達はどんな服装になって帰ってくるのだろう。ちょっと楽しみだ。


 そんなことを思った瞬間、エルザが改まって言葉を紡いだ。


「あの時、庇ってもらったこと。まだ、お礼、言えてませんでした」


 思わずサンドイッチを皿に戻して向き直れば、エルザが深々と頭を下げていた。癖のある赤毛がサラリとテーブルにこぼれ落ちる。


「助けてくださって、ありがとうございました」

「えっ!? いいのよ、実際に助けてくれたのはハイトだったんだし」

「いいえ。あの時サラさんが割り込んできてくれていなかったら、間に合っていません。私は今、無事ではいられませんでした」


 きっちり頭を下げてから顔を上げたエルザはまっすぐにサラを見つめた。腹をくくった者特有の、強い光が宿る瞳をしている。いい表情になったな、とサラはちょっと嬉しくなった。


「感謝をしている上で、質問させてください」

「なぁに?」

「あの時、どうしてサラさんは私を助けてくれたんですか?」


 エルザの質問にサラは目をしばたたかせた。


「リーフェさんは、利害関係が一致するから私を助けたと言っていました。でも……サラさんは、違いますよね?」


 エルザの質問が意図いとするところをサラが察していないと分かったのか、エルザは説明の言葉を足してくれた。


「どうしてなんだろう? って、思ったんです。どうして……その、こんな……」

「無謀なことをしたのか? ですかね?」


 途切れた言葉の先をキャサリンが引き継いだ。今まで気配を消して控えていたキャサリンがいきなり口を開いたことに驚きながらも、エルザはコクリと頷く。


「ちょっとキャサリン、無謀って……」

「無謀以外の何物でもなかったと思いますが」


 ──キャサリン、実はちょっと怒ってるでしょ?


 この一件に巻き込まれてからキャサリンの顔が護衛官モードから戻らない。そして護衛官モードのキャサリンは物怖ものおじしない分言葉の切れ味が上がる。


「あのっ……助けていただいたことには、本当に感謝しているんです。でも、とても不思議でもあったから……」


 サラとキャサリンのやり取りを聞いたエルザが慌てて二人の間に割って入る。そんなエルザが困ったように眉を寄せていることに気付いたサラは、キャサリンから視線を外すと少しだけ空を眺めた。


「まぁ、多少無茶をしたかもしれないけれど、一応勝算はあったのよ?」


 その間にもう一度己の心を見つめ直したサラは、エルザに視線を据え直すと答えを口にした。


「私ね、あの男が許せなかったの。同時に、傍観するだけだった自分自身にも、腹が立ったの」

「え?」

「私もね、持ってるのよ。亡くなったお母様の形見」


 サラはそっとドレスの上から胸元を押さえた。


 ドレスの布地に隠すように首にかけている首飾りをドレスの上からなぞれば、硬い感触が指先に伝わってくる。亡き母が存命の頃はいつも母の首にあった首飾りは、宝石的な価値も高いがサラにとっては母との思い出が詰まったかけがえのない品だ。


「だから、あの瞬間のエルザの気持ちは、他の人より分かるつもり。胸が潰されるような苦しさを感じたし、『どうして周りの人間は見ているだけで助けてあげないのよ!』っていきどおりもした。……でもそれって、私も一緒だったのよね」


 なぞる指を止めて、服の上から首飾りを握りしめる。


 母も時折、こんな風に首飾りを握りしめては何か物思いにふけっていた。そんな時に母が何を思っていたのかまでは、サラには分からない。


 ただサラは、分からないなりに母の意志を継ぎたいと思ってきた。


「私も、ただ見ているだけだった」


 ──サラ、忘れないで。最後に女の良さを決めるのは度胸よ。


 国内外で『フローライトの淡雪』とその儚げな美貌を讃えられた母だったが、サラが知っている母はどこまでも破天荒なじゃじゃ馬だった。


 丈夫な体に生まれついていれば、きっと美貌以上にその思い切りのいい性格に各国が刮目かつもくしたくらいには。『男として生まれていれば』とも『フローライトが女王の立つ国なら』とも、母の生まれを惜しむ声を何度聞いたか分からない。


 ──誰かが押しつけてくる不条理に唯々諾々と従うなんてナンセンス! いつだって、誰にだって、胸を張って、顔を上げて、言葉はハッキリと口にするのよ。それが……


「そんなの、私の矜持きょうじにもとるわ」


 ──それがフローライト王家に生まれた女の矜持なんだから!


 そう言って、母はいつだって笑っていた。最期の最後、ただでさえ弱い体を病で壊した後でだって。


「私は、あなたに押し付けられる不条理に納得できなかった。だからあの場に飛び込んだの。こう見えても私、強いんだから!」


 そんな強いカッコイイ女性になりたいと、サラは思っている。今でも母はサラの憧れで、お手本だ。


 周囲がサラにそんなことを求めていないことは知っている。むしろうとましく感じていることも。自分につけられた『フローライトのバロックパール』という二つ名が、そんな自分を揶揄やゆしたものだということも。


 ──でもそれが何だって言うのよ!


「私がエルザを助けたのは、そういう理由だから。……納得できない?」


 サラは傲慢に笑ってエルザを見据えた。そんなサラにエルザが目を丸くし、キャサリンが小さく微笑む。


「……うらやましい、です」


 不意にエルザがポツリと呟いた。


「うらやましい?」

「……どうしたら、そんなに強くいられるんですか?」


 目を丸くしていたエルザはクシャリと顔を歪めるとうつむいた。手の中にあるカップを握りしめたエルザは、その中に苦しみを吐き出すかのように言葉を絞り出す。


「私、逃げてばかりで……『王になる』っていうのも、死にたくないからっていう、消極的な理由で……。もう、引き返せないのに、今だって、まだ……」

「え? そんなの、当たり前じゃない?」

「え?」


 思わずポロリと内心をこぼしたら、エルザは弾かれたように顔を上げた。涙ぐんでいたのか、その勢いで目尻からポロリと雫がこぼれ落ちる。


「自分の身が危なくなったら逃げるのって、当然のことでしょ? 生き残るすべが王になるっていう道しかなかったから選んだ。それの何がいけないの?」


 サラはフローライト王族で唯一直系の血を引く人間だが、フローライトは建国当初からずっと女性に王位継承権が与えられていない国だ。サラに王位継承権はなく、国主候補としての教育も受けていない。


 王女として国政に関する最低限の教育は受けているし、自分から情報を得るようにもしているが、それでもサラは王が王であるために何を必要とするのか分かっていない。


 生まれた時から王族として生きてきたサラだってこうなのだ。ボルカヴィラの片田舎で己の素性を知らずに生きてきたエルザに覚悟も何もあったものじゃない。今のエルザには『王』というものを漠然と想像することさえできていないのではないだろうか。


「難しく考えないで、エルザ。そうだ、働き口を求めにいく、くらいの気持ちで考えたら?」

「え……えぇっ!?」

「国主という仕事を任せることができる人材を『炎狼ヴィヴィアス』が探していた。エルザはその『炎狼』にスカウトされた求職者。今からその仕事場へ面接に行く。これくらいの気持ちでいたらどう?」

「どうって……!? だ、だって、王様ですよっ!?」

「王でも、食堂の給仕でも、働くってことに変わりはないと思うわ。自分が働いたことで、誰かを笑顔にする仕事。ね? 一緒よ」


 もっとも、サラは生まれついての王女なので、自分で働いたことがないのだが。


『いや、でもそういうことよね!?』とサラは涼しい顔をしたままキャサリンに視線で助けを求めた。だがキャサリンは何とも言えない曖昧な顔に綺麗な微笑みを貼り付けている。これはキャサリン的アルカイックスマイルだ。援護は期待できない。


まつりごとの細かいあれそれも、難しいことも、臣下が全部やってくれるだろうし。国主の一番の仕事は、どうやったら民が幸せに暮らしていけるか考えることと、国守くにもりの神の意思を民に伝えて神と民を繋ぐことだと思うの。民の暮らしの中で生きてきたエルザなら、きっと民の立場に立って考えることができると思うわ」

「随分……その、お詳しいんですね」

「えっ? あっ……そ、そんな感じなんじゃないかぁっていう想像よ!? あくまでねっ!?」


 ──これ以上話してたら絶対ボロが出る……っ!


 キャサリンの援護が期待できないならば、ハイト達に早く戻ってきてもらうしかない。とにかくこのエルザと一対一の状況から早く抜け出したい。いや、決してエルザとのお喋りが嫌だというわけではないのだが。


「サラッ! キャサリンッ! エルザッ!」


 必死に涼しい顔を取りつくろいながらも内心で滝のように流れる冷や汗が止まらない。


 ──ハイト……! お願い早く帰ってきて……!


 思わず心の中で助けを叫んだ瞬間、待ち望んでいた人の声が聞こえた。同時にふっと頭上に影がかかる。キャサリンがいち早くサラの背後に迫る人影に気付いて顔を上げ、次の瞬間顔色を失うと首元に手を掛けながら席を蹴って身構えた。


 ──キャサリン?


 ハイト達が帰ってきたにしてはキャサリンの反応がおかしい。それに声はかなり遠くから聞こえてきたはずなのに、こんな風に影がかかるなんて不自然ではないか。投げかけられた声は妙に緊迫感を帯びていたのに、こんな風に静かに背後に迫ってくるのも何だか違和感がある。


「ハイト?」


 サラは呼びかけながら背後を振り返った。だがすぐ近くにいると思ったハイトの姿ははるか遠くに見える。


 しかもなぜか背後に大量の追っ手を引き連れて。


「ちょっと待って! さすがにそれは予想外っ!!」

「すまないちょっと揉めトラブった!!」

「それって『ちょっと』っていうレベルなのっ!?」


 集団の先頭を走っているのは間違いなくアクアエリア御一行様だった。ギョッと目をみはりながら席を立てば、ハイト達の後ろに迫る集団が制服に身を包んだ警邏兵だということが分かる。


 ──あれ? でもこの状況、私のすぐ後ろにいたはずの人がいないんじゃ……


「服屋を探してたら不審者扱いされて、警邏に通報からの追っ手も合流って流れだっ!!」


 サラとキャサリンに遅れてエルザが立ち上がった時にはハイトがサラのかたわらを駆け抜けていた。すれ違いざまにサラの手を取ったハイトの勢いにつられて走り出せば、サラもあっという間にお尋ね者集団の一員と化す。慌てて後ろを振り返ればキャサリンが険しい表情で後ろに続き、さらにその後ろにはエルザを肩に抱え上げたヴォルトが従っていた。


「どうしてこんなことになってるのよっ!?」


 カフェでサラの背後に迫っていた人物が一体何者だったのか、なぜキャサリンがあんな反応を示したのか、そもそもなぜ影がかかるほど近くまで接近されていたことにキャサリンが気付けなかったのかと気になることはたくさんあったが、今はもうそれを気にしていられる場合じゃない。


「いやぁ、どうせ僕達、この黒髪を隠すためにカツラを被らなきゃいけない訳だし、どうせなら女装した方が目立たないんじゃない? って話になってさぁ」

「なってないっ!!」


 見た目にそぐわない余裕のある走りでハイトの横に並んだリーフェがほけほけと笑う。ツッコミを入れるハイトの息は軽く上がっているというのに、リーフェの口調はゆったりソファーに腰かけている時とまったく変わっていなかった。ひ弱なように見えて案外鍛えているのかもしれない。


「僕達でも入る規格サイズ装束ドレスを探してたら不審者扱いされちゃって。酷い話だと思わない?」

「思わねぇし、何でそんな発想になるのか説明してもらいたいんだがっ!?」

「リーフェ、女物のドレスに体が収まんのはお前くらいだろ。どー考えても俺は収まらん。特注しねぇと」

「問題はそこじゃねぇんだよヴォルトっ!! 何が悲しくてこんなむっさい男三人で揃って女装なんかしなきゃなんねぇんだよ選択肢他にたくさんあんのにっ!!」

「おいおい、むっさいってのは失礼だろうがよ。俺は女装してもイケメンだぜ? 絶世の美女に化けれるっつの」

「お前みたいなやたらガタイのいい女がいてたまるかっ!!」

「僕達三人で女装したら、案外ハイトが一番美人に化けると思うんだけどなぁ。ね、サラもそう思わない?」

「そういう話じゃねぇんだよっ!!」


 ──確かにハイトは絶世の美女に化けると思うわ。


 思わずサラは内心でそう答えていたが、残念ながら口に出して答えていられる余裕はなかった。『じゃじゃ馬姫』と定評があるサラだって、こんな風に全力疾走した経験は今までにない。全力で足を動かしているのだが、足がもつれて今にも転びそうだ。


「おいリーフェっ!! 余計な事ばっかり言ってないで何とかしろっ!!」


 サラの手を引いているハイトにはサラの限界が分かったのだろう。足を緩めることなくハイトはリーフェに向かって怒鳴る。


「何とかって言われてもねぇ……」


 リーフェの視線が周囲に向けられる。


 ピレネは街道沿いに発展した宿場町だ。街道の両側に店が建ち並んでいて、所々裏道へ繋がる細路地はあるものの基本的に街は一直線な造りをしている。人混みにまぎれようにもまだ混み合うには早い時間だし、こちらは人数も多い。下手に裏道に入っても地の利がないこちらが不利だ。単純なスピード勝負で追っ手を振り切るのが一番手っ取り早い。


「しまったなぁ……。馬、売らなきゃ良かった」


 同じ答えにリーフェも行き着いたのだろう。リーフェのぼやきが聞こえてくる。


「今から馬を手に入れようったって、ゆっくり立ち止まって交渉してる暇なんかねぇぞ!」

「うーん、そこらに都合良く馬がいたりしないかな……お?」


 いまいち危機感がない口調で呟いたリーフェが何かに気付いたのか言葉を止める。思わず気になって無理やり顔を上げると、リーフェの視線の先には大きな馬屋を併設した店があった。まるでタイミングを計ったかのように、外套を目深に被った人物が入口の横木を外して馬を引き出そうとしている。


「さすが宿場町。早馬用の馬、充実してるね」


 上機嫌で呟いたリーフェが素早く左腕を振り抜く。その瞬間ダンダンッと連続して火薬が爆ぜる音が響き、馬を引き出していた人物が大きくよろけて倒れた。


「なっ、何っ!?」

「まさか当ててないだろうな?」

「まさかぁ! かなり外れた地面狙ったって!」


 サラがリーフェに視線を向けた時、すでにリーフェの左腕は外套の下に隠れていた。何が起きたのかサラには分からないが、周囲に急に漂い始めた嗅ぎ慣れない臭いでリーフェがあの馬屋に対して何かを仕掛けたのだということだけは分かる。


 その証拠に、一部始終を後ろから見ていたらしいキャサリンが唖然あぜんとした顔で呟いた。


「そんなに大きな銃、どこに隠し持って……」

「上衣が東方風だと、こういう時に便利だよねぇ」


 ──銃!?


 ならばこの臭いは硝煙ということか。というよりも、普段はこんなにぽよぽよぱやぱや、雰囲気に小花を散らしていそうなリーフェが、キャサリンさえ驚かせる大きさの銃を今までキャサリンに気付かれることなく持ち歩いていたなんて。


「さて、サラは馬に乗れる?」


 リーフェの問いかけは馬の高いいななきにかき消された。銃声に驚いて興奮してしまったのか、横木が外された馬屋の中から一行の進行方向に向かって馬が何頭も飛び出してくる。


「う、馬っ!?」

女中メイドさんは多分乗れるよね? エルザは?」

「む、無理でひゅっ!」

「じゃあサラはハイトと同乗、エルザはヴォルトと同乗で、僕と女中メイドさんは一頭ずつね」


 思わずサラの足がすくむが、逆にハイトは足に力を込めた。


 その瞬間、サラの足元から地面の感触が消え、フワリと視点が高くなる。


「へぁっ!?」


 腰にかかった圧には後から気付いた。そんなことに気が行くよりも早くヒラリと視界に深い藍色が舞い、横座りになった左側半身が押し付けられるように熱に包まれる。次いでグラリと地面が揺れて、藍色が消えた視界は茶色の毛並みを伴う壁に塞がれた。高い馬の嘶きが再度サラの耳を叩く。


「揺れるから口は閉じてっ! しっかり掴まってろっ!!」


 すぐ耳元で響くハイトの声に我に返った瞬間、サラはハイトと同乗する形で、さおちになった馬の背の上にいた。


「へぁぁぁぁぁっ!?」


 サラの叫びが合図になったのか、馬は地面を踏みしめると怒涛の勢いで走りだす。


「ちょっ……お客さんっ!?」

「悪ぃな、急用なんだわ」

「お代はボルカヴィラ王室に付けといてよ」

「ちょっと!?」


 急に後ろへ流れた景色の中で、表に飛び出してきた馬屋の主とリーフェ達のやり取りが聞こえたような気がした。ただサラは馬から落ちないように馬に掴まるのに必死だったから、もしかしたら幻聴を聞いたのかもしれないが。


 ただ耳元で聞こえたハイトの声はさすがに現実のものだったと思う。


「このまま次の町まで突っ切る。しっかり掴まって!」

「嘘でしょぉぉぉっ!?」

「口は閉じるっ!!」


 ──こんな状況がしばらく続くっていうのっ!?


 振り落とされそうな振動と飛ぶように過ぎていく景色。おまけに後ろには追っ手つき。初めての乗馬を楽しんでいるような余裕はどこにもない。


 ──せめて舌を噛みませんようにっ! お尻が痛くなりませんようにっ!


 薄っすら涙ぐんだサラは、ハイトの助言に従うべく、奥歯をしっかり噛み締めたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る