第38話

山頂と下山


ザッザッザック


山小屋から数十分、薫は山頂目指し登っていた。

「ヒエ〜!」

つい先程9合目の立て札を通り過ぎた。

そこには『ここからが正念場!』との文言が認められており、薫は疲れながらも微笑ましくそれを見た物だった。

「こんな本格的になるなんて〜?…舐めてました〜!」

薫は今草木のほぼ無くなった急斜面を時に四つん這いで登坂中である。

岩場の上に細かな砂利を蒔いたような急斜面。

土留めをされた斜面もあったものの時折りこうして必死こいて登っていた。

山頂まではあと少しだと思われる。

と言うのも、少し前から白く濃い雲に覆われてしまって景色は余り見えないからだ。

当然山頂も周囲の景色もほぼ見えなくなっていた。

確認出来るのは登山道と、その周囲に申し訳程度に生えている激しく揺れる草花くらいだ。

雨を降らすほどの雲では無いようだが、風に乗って絶え間なくやって来る。

そう、風も強くなっていた。

薫は稜線上の登山道を風に晒されながら登っている。当然風を避けられそうな障害物も無い。

両側面は谷。今にも崩れ落ちそうな足元に四苦八苦しながら。

この利尻山の土質はボロボロと崩れやすくて脆く、置いた足元もズブズブと沈み込む所も少なく無かった。

サバゲーでいつも使っているジャングルブーツで来て正解であったと今は思う。

足元が岩場になってきた。

薫は立ち上がり辺りを見渡した。

今登って来た登山道の下りを考えるとゾッとする。ここから頂上までどの位掛かるか解らないが下りの時間を考えると急ぐ必要がありそうだ。

薫は更に狭くなった登山道を登りだした。


あいも変わらず真っ白な視界の中、大きめの岩を避けながら登った先に唐突に赤い人工物が現れた。

赤い垣根の上に黒い屋根、頂上の祠だ。

「いや〜!やっと到着〜!」

薫は叫びガッツポーズをするも、足元の岩にへたり込む。

大きく息をし取り出したペットボトルから水を飲む。

時間も気になるが、今は取り敢えず疲れを癒して登頂を喜びたい。

暫くすると息も調い、立ち上がると祠の正面に回り込む。

『利尻山』の看板に1721mの文字。お初の登山で高いのか低いのかもわからないが無事登り切れた。

感謝しつつ申し訳程度に手を合わせる。

祠には控えめな飾り付けに何故か謎の船のスクリューがあちこちに貼り付けられている。

安全祈願なのだろう。

辺りの景色はやはり見えない。

乾いた白い雲が山肌を高速で移動して来る。

時折雲の切れ間から垣間見える程度の情報では、山頂の奥にもう一つの頂と柱の様な大きな岩を辛うじて確認出来た程度。

ミルピスのお母さんが言う『普通の山と違った景色』は見る事は出来ないかもしれない。


グ、ググッー


「…!?」

腹が鳴ってしまった。

朝に食パンを食べたきり、ミルピス商店でカッ○えびせんを食べたのみ。消費カロリーに摂取量が足りていないのだろう。

落ち着いたからなのか急に空腹を感じた。本来なら山登りの前にしっかり食事を取るべきなのだ。

薫が持って来た食料は袋麺のみ。

幸いにも持って来た水は、後半に飲む余裕も無かった為にあれからほぼ減っていない。

ラーメンを作っても帰り飲む分は確保出来るだろう。何より乾麺のまま齧るのは憚られる。

時刻は15時。

時間に余裕が無い薫であったが、このまま何も摂取せずに下山するのも危ないかもしれないと考えた。

ハンガーノックだとかの知識は少しぐらいなら知っている。

力が出なくなり、手足が痺れたり、頭痛や倦怠感、時には意識障害を引き起こす事もあるらしい。自転車を嗜む兄の受け売りだが。

時間も大事だが食事の間だけでも好天を待っても良いかもしれない。

薫は遅い昼食を摂ることにした。

風の当たらない岩陰に腰を下ろすと、背負っていたウエストバッグからコッヘルとバーナーを取り出しお湯を沸かす。

祠の脇の方が良さそうだが、火を使うので遠慮する。

湯が沸騰する迄周囲を見回すも、靄と言うか雲の様子は相変わらずで直ぐにどうこうしそうに無い。

「えっ!?」

取り出した袋麺のパッケージがパンパンになっていた。

「…山の上だからかしら?」

今にも破裂しそうな袋麺をそっと開けコッヘルに投入する。

「標高が高いと沸点が低いとか聞いたことあるね。長く煮た方が良いのかな?」

まだ硬い麺を箸で突つきながら呟く。

「まぁ、煮込みラーメンって事で!」

そう言うと薫は付属の調味料を麺の上にぶち撒け蓋をする。


いつもより時間をかけて調理したいつもの袋麺がいつもより格段に美味しく感じる。

何の具も乗っていない、むしろいつもより不味いはずのラーメンが殊更に美味い。

空腹は最高の調味料とはよく言ったものだ。

自分で思っていた以上に空腹だったらしい。

スープまで綺麗に平らげると一息つく。

本来ならば食後のコーヒーと洒落込みたい所だが、インスタントのコーヒーは持っていても水と時間が心許無い。

コーヒーは潔く諦め、後片付けをし下山の準備を始める。

頂上に居る間、結局好天せず景色は見られなかったがそれも運、次回に楽しみを残すと言う事で。

白い雲の中、登山道に向かう。

「…うん?」

はて?道は何処だっただろう?

少しスペースのある頂上部分。悪い視界もあって方向が解らない。

自分はどっちを向いていて、どの方向から登って来たのやら。

「ええっ!何方だろう?……!」

一瞬パニックになるも赤い祠を見て思い出した。

確か、登って来た時この祠の裏側が見えていた。そちらに鴛泊側への登山道があるはずだ。

祠を確認しつつ検討をつけその方向へ向かう。

「確か、この面が最初に見えたのよね。間違い無いと思うけど。」

解りづらいがこの角度であったと確信し、慎重に下山を開始した。

時刻は15時半を回っていた。


視界も足場も悪い下り坂とあって、四苦八苦しながら山小屋付近まで下って来る事が出来た。

この辺りは雲も晴れ青い空が広がっている。

振り返れば、頂上部に南の方からやって来る雲が次から次へと覆い被さり、少し登った先から全く見ることが出来ない。

益々雲が濃くなって来た様だ。

山の天気なのもあるだろうが、この島の天気は変わりやすい。場所場所で全く違う天候で油断できない。


山小屋の前を早足で通り過ぎ、綺麗に見渡せる海と長官山を見ながら尾根を下る。

何とか明るいうちに下山したい。

自然と足も早くなる。

但し、足元と大樹移動には注意だ。

しっかりと踏ん張って体重を中立に。後ろに掛け過ぎれば足が前へと滑り出してしまう。

これもサバゲーで学んだ豆知識。

草木の増えてきた尾根を黙々と歩き続ける。

クネクネと凹凸を見せる緑の尾根と、所々白い雲を載せた青い海と箱庭の様な礼文島、その向こうに真っ直ぐに伸びる水平線とそこから白から青へと変わって色づく空。

とても美しく贅沢で幻想的だ。

ここから見える景色だけでもこんなに美しいのだ。頂上から見えるであろう360°のパノラマを想像するとまた登りたくもなってくる。

暫し足を止め景色に魅入る薫だったのだが、尾根から伸びる影が大きく長く伸びている事に気付き息を飲んだ。

「時間も無いし急がなくちゃ!」

ここから下はそんなに足場も悪く無い。

薫は足を早めた。


長官山に辿り着いた薫だったが、その頃には西の斜面に夕陽が当たり周囲の木々も何もかもが真っ赤に色付いていた。

「…綺麗…。」

そう呟く薫にも夕陽が当たり全身が真っ赤だ。

気ばかり焦っていた薫だったが、足を止め見入ってしまう程に色鮮やかで美しい風景。

考え無しに山登りを始め、失敗し、急ぎ下山中にも関わらず思わず得した気分になってしまった。

確かに、こんなアクシデントがなければこんな絵画の様な素敵な風景は見られなかっただろう。

振り返り利尻山を望めば、いつの間にか雲も晴れ赤く染まる山頂が露わになっていた。

「今更?…でも…まぁ良っか!」

行きとは違って赤と黒のコントラストに変わって現れた利尻山にちょっと馬鹿にされた様に思ったが、意地悪で景色を見せなかったのを謝っている様にそう感じてそう呟いた。

思わぬ土産を貰ったと思って受け取っておこう。

そんな事を考えながら下に向かって歩き始めた。

薫に西から夕闇が迫っていた。


そして南からも薫を苦しめる“あるもの”が迫っていることに薫はまだ知らない。

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