没落者

「ねぇ、わたし、貴方に殺されたいわ」


貴族として生を受けたはいいものの、取り巻く環境は何一つ良くなかった。

────否、たったひとつを除いて、が正解だろうか。



まず、家庭環境がこっ酷かった。


口を開けば金、金、金。金の話にしか目が無く、愛もない父親。

美しかった母親でさえも、父の暴力暴言に耐えきれず部屋に篭りきり、気づけば命を落とす羽目になっていた。


たがわぬ両親の元で生まれ育った、同じ血の通っている筈の兄様は、それはそれは憎たらしかった。お前は女だからと、ただの令嬢だからと。比べて自分は跡取りだからと。ひたすら講釈を垂れている様子は、今思い返せば滑稽である。父親とそっくりで、あまりにも同等な親子喧嘩だった。




わたしにとっての救いとは、夜の帳が下りる頃。夜這いとも言い切れないぐらいの、言うなれば逢瀬である。


ひっそりと館を抜け出して、下町の路地裏へ。

月に一度、第三週目の、木曜の夜。二十五時を廻れば、もう開いてる店など宿屋ぐらいで。

目を擦れば、ちらほらと光の見えなくもないような、街灯と稀に家の電気ぐらいで照らされている外。夜気を浴びて昼間より、幾分か涼しげな、待ち望んでいた外の景色なのだ。



ふと、地面──正確には塗装された道路──に座っていたわたしの前に、ひとつの影が現れた。名も知らぬ男は、少しだけ口角を上げてから、わたしに手を差し伸べる。

その手を取って立ち上がると、何も言わずに街中からけていく。


はいつもの挨拶なのに、お待たせ、とも遅くなった、とも聞いたことがない。男が喋れない、声が出ないというわけではないのは存じている。わたしが今まで目にしてきた人物よりも、無口で恥ずかしがりなだけ。



今回招かれた先は、雑多な建物の中の一室だった。薄暗いのは明かりが無いからでも、夜だからでもなく、纏った空気感を曝け出しているからであろうか。

この場にふたりきり、つまり、彼が枷を外すことのできる時間だった。


「ふは、これで、おれだけの、おひめさまやもんな」


色欲で彩られた瞳というものはあまりにも綺麗で、口を紡ぐ透明な糸をもが愛しくて、ずっとこのままで、しあわせで、いたかった。


互いが、両者が、人間のさがに躍らされているだけであった。



やがて終わりに近づけば、また来月会えるという無言の承諾を目当てに、次の日から普通に生きてゆくと決めた。




わたしは、汚職に塗れた貴族の娘。

あの人は、紛れもない暗殺者。


堕落することは依然として決まっていて、今はまだ、それが先延ばしにされているだけ。


どうせ処刑には変わりない。

それまでの余生を、快楽という自由に縛られて生きるしかないのだ。



いつしか日常は過ぎ去って、

非日常と化していく。


わたしの一族は滅ばされ、

彼の雇い主は殺された。


すなわち、思っていたよりも早く終わりが来たのだった。




質問を許されるならば、家族に囲まれて死ぬのは可能だろうか?

血筋としての家族は皆消えた。亡命したか、なにかしらで死んだかは知らない。


出逢った頃より身重になって、彼に聞けば泣いて喜んだ。


「おれはさいご、まで、おまえのこいびとでおれた?」

『勿論よ。生涯のは貴方だけ』


わたしが取った行動は、彼の本業を生かすこと。ふたりも殺してからなんて、可哀想だったかしら。



貴族でなくなってからは最初の、

女としては最後の、


わたしの願いを果たしたいの。

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