第31話 もう一度会えますように 糾
花が染め続けた戦場には沈々と灰色が落ち、ビーストはユウセイを取り込み続ける。
そこにもう花の色は無く、魂の影すら感じない。
藤原ゆう子は己が遺志とは無関係に、死神の捕食を強制され、死神達は赤子のように投げ出されている。
その異常な世界に表情は無い。
ただ、上から届かぬ存在がほくそ笑むだけだ。
人が死神を食らう場。
そこにはまるで、神が祭壇の上で供物を貪り食うような、べっとりとした悍ましさだけが瀰漫していた。
単色から移ろわぬ空間では、色は差を、輝きを失い、無色となる。
死神にとって無色とは即ち、敗北だった。
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「じゃじゃーん、見てみて!死神派遣会社チューリップ!」
部長が突然、カタカナが似合わない達筆な文字が縦に並んだ大きな半紙を掲げて部屋に入ってきた。
「それはどこの会社名ですか?」
いつも通り作業を止めて話を聞く。また支援したい会社が出来たのだろうか。
「僕の会社の名前だよ!」
ほう、ボクノ会社。知らない名前だ。
……ん?僕の会社と言ったのか?
まさか。
「……はい?部長、独立するんですか?」
「うん、今から申請書を書こうと思って!あ、本社の場所はチューリップ畑にある館を貰ったからそこにする予定だよ」
「聞いてないですよ……」
これまたとんでもないことを言い出した。
毎回、相談も前兆も無いから驚かされているが、今回の衝撃は過去一だ。
「そりゃ、今言ったからね。で、どうかな?この名前!」
こちらの心情なんてお構いなしに、自分の気になったことを質問してくる。
こうなると、もう考えるだけ無駄だ。
企業名はどれだけ依頼人に好印象を与えられるかが重要だ。その点、この名前は立地場所の宣伝にもなり、花の名前で明るいイメージを抱いてもらえるだろう。
「…そうですね、親しみやすくて良い名前だと思います。安直だとは思いますけど分かりやすくて、それもまた良さかと」
「むむ、さては僕がチューリップ畑の中にあるからこの名前にしたと思っているな?」
部長が目を細めて訝しむ。
「そうじゃないんですか?」
「まぁたしかにそれが一番の理由なんだけどね。ほら、死神のオーラって人それぞれ違うじゃん?」
「同じ色は無いですからね」
死神の色は千差万別、似た色はあっても同じ色は存在しない。
「そう、だから僕の会社もたくさんの死神が咲き誇って綺麗な色で彩られた、チューリップ畑みたいになって欲しいなって思ってね!」
「なるほど、素敵な願いですね」
この人らしい、純粋な願いだ。
「花はたくさんの雨風と寒さと夜を超えなくちゃいけない。同じように、僕の会社の子達も苦しい時間、辛い時間を超えなくちゃいけない時が必ず来る」
今、この人の瞳に映っている景色はきっと何より綺麗なんだろう。
「そして、そんな時間を超えて綺麗な花が咲くためには、豊かでしっかりした土壌が必要なんだ」
どんなに良い種でも環境が、土壌が違えば花は咲かない。
「若い死神達が芽吹けるように、折れても立ち上がれるように、萎れてもまた元気に上を向けるように。支えてあげる死神が必要なんだ」
そう優しく話す表情は、いたずらをする前のような期待と、何かを誘うような色気を含んだ、魅力的な色をしていた。
「だから僕には、僕が思い描くチューリップ畑には、君が必要なんだ」
何の躊躇いもなく、死神の最上位に位置するこの人は簡単に手を差し伸べる。
「キヨシ君、僕の会社に入ってくれないかい?」
どこまでも付いていきますと、既に誓っていた。
だから答えはお互いにわかり切っていた。
それでも、心から笑みがこぼれていた。
「喜んで」
―――――――――――――――――――――――――――
「こんなことで萎れていたら寒夜すら越せぬぞ、若苗ども」
一際低く、通る声がシラクサ総合病院に響いた。
「駆けよ、阿形吽形」
白白として鈍色の銀楯が無色の祭壇に輝きを差す。
忠実に二つの銀の塊が直線を描く。
それはまるでアキトの俊撃のように。
直線の終点はユウセイを掴んでいたビーストの両腕に衝突し、重たい両腕を加速度的に吹き飛ばした。
「ひぃぃああああああああ」
突然襲ってきた高速の銀塊に、ビーストは混乱して叫び声を上げる。
何事かと正面を見据えたビーストが、新たな死神の顕現に気付いたときにはもはや遅すぎた。
その眼前に熊と見間違うほどの巨体が肉薄していた。
「波ッ!」
打ち抜かれた右の掌から、空中に幾重もの土色の波紋が広がる。
その揺らがぬ波紋は萎れた花々に息吹を吹き込む。
ドッドッドドドゴッ―
ビーストの鼻先に一瞬で放たれた掌打は、空間を押しつぶし、ビーストの上半身全体へと出力される。
それはリュウキのオーバーヒートを想起させる重い一撃。
「ぃぃぃぃぃ」
ビーストの咆哮すらかき消す衝撃が受付全体に木魂する。
建物全体が振動し、鈍く罅き、震わせる。
一握の空白を置き、ビーストの巨体が後方へと大きく吹き飛んだ。
ビーストから一瞬にしてユウセイを取り戻し、アキトとリュウキの拘束を解き放つ。
―豊かな土壌の上で、花は何度だって立ち上がる。
死神派遣会社チューリップ副社長、熊谷キヨシがそこにいた。
「アキト!リュウキ!もう自分で立ち上れるな?」
「「がぁあああ!!!!」」
ガムシャラに立ち上がった二人のガラガラな掛け声はそっくりで、キヨシが稽古の時によく聞いているものだ。
この二人はいつも張り合っているせいか、窮地で同じような人格を見せる。
類は友を呼ぶのか、同族嫌悪なのか、何とは分からないが奇妙な関係だ。
あの二人はもう大丈夫だ。
そして、左手に抱えたユウセイを見る。
ビーストに取り込まれるのは阻止できたが、意識は途切れたままで、声は届いていない。
不意に、斜め上から白い閃光が二人を貫かんと放たれるが、自在な銀楯の一枚がその攻撃を弾く。そして閃光の発射地点をもう一枚の銀楯が薙ぎ払う。
「やはり、天使か」
自分が情報を把握することが遅かったせいで、不要な重荷を背負わせてしまったと強烈な自責を抱き、ユウセイを一際抱き寄せる。
―ドクン
「ユウセイ?」
近づけた身体から、ユウセイの心臓から微かに、それでも確かな鼓動を感じた。
その鼓動はドンドン強く、早くなっている。
身体が熱を帯びていた。
「そうか」
強烈な訴えを聞いて、キヨシは一人満足げに笑った。
「アキト!任せるぞ!」
「なにかしらって、投げるな!?」
ユウセイを自分の背後へと放り投げ、距離が近いアキトに受け取らせる。
リュウキは指示せずとも既にユウセイの元へと走り出している。
ボロボロの見た目に反して、後進たちの心はどこまでも気丈だ。その在り方は無茶苦茶な誰かの背中をしっかりと追っている。しっかり芽吹いている。
そのことに笑みを深めた。そして、すぐに表情を引き絞る。
芽を出したばかりの花たちがこれからも上を向き続けられるように、自分が今すべきことに向き直る。
奥に聳えるビーストは衝撃から立ち直り、不自然に背中から屹立した両腕を滾らせている。
あの四本腕は、理外の腕だ。
ビースト本来は持ちえない、白光のオーラで構成された天使による魂への介入。
許されざる魂の冒涜であり、触れてはならぬ禁忌の力。
それを封じるには死神では位が足りない。
理外には理外を。
自由になった両手を銀楯に翳し、その意識は神と邂逅す。
二枚の銀楯は腕の先、身体の斜め上で左右に待機し、その時を待つ。
「構えたるは開闢に、解きたるは劫末に。永久に穢れを通さぬ銀楯に我らが忠を宿し、在るべき道を示す。」
その調べは祈祷である。
神から賜った二枚の銀楯は、その御力を拝借するための依り代だ。
「此の道に、粗末は邪魔である―」
銀色は鮮烈にその色を深めていく。
外に銀色は干渉せず、ただその存在だけが拡張していく。
見えない銀色が空間、時間、概念に拡がり、全ての権限を上書きする。
二枚の銀楯はいつのまにか、姿を変えていた。
それは二柱の四足の守護神。
神がただ、銀色としてそこに降りていた。
「―喰らえ、獅子狛犬」
猛々しい二柱の神獣が振りかざした両手の先へとハザマを駆け抜ける。
許された時間など無く、銀獣は光速の弾丸として天使の愚かな両腕を穿つ。
神に触れた両腕は、その存在がかき消され、霧散する。
ビーストの魂を在るべき形へ、ハザマを在るべき場所へ。
振るわれた阿形吽形の御力は世界を正す。
「ひぃぃぃぃいいいいあああああ」
魂にねじ込まれた両腕から解放された彼女は、痛烈な叫び声を上げる。
聴く者の心に痛みをもたらす叫びは、悲鳴か、咆哮か。
その叫び声の中で、アキトとリュウキが抱きかかえた少年の名前を呼ぶ。
「「ゅぅ……!」」
彼女の叫び声の意味を知っている、ただ一人の優しい死神の名前を。
―――――――――――――――――――――――――――
僕は人の笑顔が好きだ。
笑った顔が、笑い声が、にこやかな雰囲気が、人にとっての幸せだと思う。
だから、みんなに笑っていて欲しい。
ずっと、ずっとみんなで笑い合える世界だったらいいなと心の底から思っている。
でも現実はそうじゃなかった。
僕は一日の中で笑っている時間より、考えたり悩んだり涙を流す時間の方が多かった。
みんな、苦しんでいた。
みんな、笑顔になりたくて苦しい時間を生きていた。
みんな、頑張っていた。
だから僕は目の前で苦しんでいる人がいたら手を差し伸べずにはいられない。
「一人じゃないよ、一緒にいるよ」
例えその人を笑顔にできなくても、手を伸ばす。
それが中途半端だとしても、間違っていたとしても、見て見ぬ振りは出来ない。
僕は全部が幸せになって欲しいから、今を幸せにしたいから、苦しんでいる人を見捨てることが出来ない。
例え助けること自体が間違っていたとしても、助けようとしてしまう。
僕にもっと能力があれば、僕にもっと賢さがあれば、僕にもっと身体があれば、僕にもっとお金があれば、僕にもっと力があれば、僕は全部を助けられるのに。
僕は足りないものばかりだから、苦しんでる人をどうしたら助けてあげられるのかなんて分からない。
でも、今は違う。
足りないものばかりだけど、どうすれば助けられるのかは分かっている。
死神は間違えない。
死ぬその瞬間まで頑張った人たちを、死神は見届ける。
どんなに苦しい人生も、自分で認められない人生も、後悔しか残らなかった人生も、生きている間はみんな頑張っていたんだ。
だから最後に人間の傍にいる死神は、生き抜いた人たちの思いを受け取らなくちゃいけない。
そして、「よく頑張ったね」と、僕はそう言える死神になりたい。
生きている人を幸せには出来ないけど、命が終わる瞬間に、その人が自分の人生を受け入れられるように。
死ぬその時に、一人にしないように。
死ぬことが怖くないように、死ぬことを間違いだと思わないように。
長くても短くても、苦しんだ人生が、頑張りが報われるように。
最期に、笑えるように。
それはきっと、幸せなことだと思うから。
僕が最期に
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