2話目

「ありがとうございました!」

「いえいえ。お幸せに」

 そうやって笑顔で出ていく依頼人を見送って、俺は宙を見上げる。

 ただなんてことのない、大学の教室の天井が、そこに見えた。

「お、依頼終わりっすか先輩。お疲れ様でーす」

 依頼人の方と入れ違うようにこの部室に入ってくる人影。俺より一年年下の理学部生、花川はながわあらただった。

「あいお疲れー。じゃあもうこの後お前の当番で良いか?」

「俺の受付は5時からでーす。あと30分きっちり当番してください」

 新は部室の奥のパーテーションで区切られている区間に入っていく。

「おーいなんだよもーつれねぇなぁ。……あ、新。今日は夜暇か?」

 基本的にこの部活では、受付をする人以外はパーテーションの奥で他の作業をするのだ。

「え、暇っすけど。なんすか。奢ってくれるんすか?」

「お前昨日誕生日だったろ。何食いたい?」

「うぇ!? まじっすか!? うぉーやった!! 焼肉がいいです!」

 小躍りしている後輩を優しい目で見ていると、パーテーションの奥から怨みの籠った声が聞こえた。

「新だけずるいですよ。私も連れてってください」

 ひょこりと顔を出す。

 新と同学年の経済学部生、引鉄ひきがね磨呂まろ。名前から分かりにくいが女生徒で、頼りになる部活仲間だった。

「おっ、もちろんいーぞー。ただし磨呂。お前は未成年だから酒は駄目だ」

「あーいー」

 それだけ言って、磨呂は作業に戻る。なんとも現金な奴だ。

 いまだに騒がしく小躍りしている新を背に、俺は受け付けに戻る。時刻は午後四時五分。

 教室の扉には、銅等あから大学探偵部と書かれた張り紙が貼ってあるのが見える。

 そう、探偵部。

 この部活は、俺、真田一架が、設立したものだ。

 今ではもう連絡を取ることも敵わない高校時代の後輩、城本玄実という人間に、影響を受けて。

 他人の為に何かをすることが――生きがい。

 彼女はそう言って、実際に人の悩み相談を受けているところを俺に見せた。その時の彼女は、いつも俺に見せている表情と違いとても優しそうで。

 その当時の俺は、自分と向き合う事ばかりしていた。答えのない疑問に対して、ずっと自問自答をして、その結果を小説に落とし込むのかと言えばそうでもなく、考えに考えたものは結果として、新たな悩みの種になるだけだった。

 漠然と、世界から孤立しているような存在だった。

 世界にどうして自分が存在しているのか。それが不思議で仕方が無かった。

 だが、それはきっと。怖かったのだと思う。恐怖だったのだ。

 人と関わる事が。

 自分では制御することが出来ない、他人と関わる事が怖かった。

 だから俺はずっと、自分の殻に籠って、ずっと考え事をしていたのだろう。そうすれば、楽だから。そうすれば、全てを自分で決められるから。

 そうすれば、人に裏切られることなど無いから。

 ちらりと時計を見る。時刻は午後四時二十分を指していた。

「もう今日はお客さんは来ないかな」

 なんとなく接客モードを切って、昔のことをまた考える。そんな気持ちになるのは、窓から差し込んでくる夕焼けの光のせいかもしれない。

 彼女がお悩み相談をしている時に感じた、恐怖。城本の中には、俺が知らない城本がいるという恐怖。それはきっとそっくりそのまま、俺の中の外の世界への恐怖だったのかもしれない。

 そんなことを思ったから、俺は決意した。

 彼女を真似るように、大学に入ってから、この部活を立ち上げることを。

 部員は最初は三人だったが、今は一人が辞めて、後輩が二人入ってきて、計四人で活動している。

 設立してから本当に色々あった。人と関わる事の恐ろしさは、ぞんぶんに思い知った。

 でも、それでも。

 上手く依頼がこなせた時の達成感や、依頼者の笑顔、そして、この部活を一緒にやっている仲間、もちろん辞めた同級生も、俺にとってはとても大事な存在だ。

 そんなことを言えるようになった、色んな経験をした自分を、今は素直に褒めても良いと思う。

「おーい。いっちゃんいる?」

 部室の扉からひょこりと顔を覗かせたのは、噂をすればなんとやら。設立当初のメンバーである、教育学部二年生の実誑みたら籠目かごめという女性。彼女は俺のことをいっちゃんと呼ぶが、同じ部の部員である以上の関係は断じてない。断じてだ。

「おお、どうした籠目。お前今日当番じゃないだろ」

 奢る人数が三人に増えたんじゃないかという焦りは顔には出さない。こういったことは部活でよーく学んだ。

「いや、ちらっと部室の前見たらなんか、そわそわしている女の人がいたから連れてきちゃった。ほら、入っておいでー怖くないよー」

 こいつは誰に対してもペットに接するみたいに話すのだ。

 もしかして入りにくい空気を出してしまっていたかと、ちゃんと己を律して、精一杯の営業スマイルで入ってくる人影を迎える。

「ご依頼に来られた方……」

 ただ、その営業スマイルは一瞬で消えた。

「えっ……」

 俺達二人は、お互いの顔を見合わせて全く同じタイミングで固まった。

 そしてそれを籠目は、不思議そうな顔で見ている。

「あれいっちゃん、どうしたの。玄実ちゃん、こっちだよー」

 ハッキリと、玄実と聞こえた。どうやら緊張をほぐさせるために、外で一言二言話してから来たらしい。こいつのこの、人と打ち解ける力というのは異常なのだ。

「…………し、城本」

 名前を呼ぶ。

 その名前に、やはり向こうは驚いた表情を見せる。

「…………先輩」

 どうしてここに? とか、久しぶりだな、とか、この大学に来たのか、とか、私服はそんな感じなのか、とか、髪が短くなったな、とか。色々な色々な言葉が浮かんでは消え一向に言葉には出ない。

 そんな二人の空気を察したに違いない。

 それを傍で見ていた籠目は、俺にボソッと言った。

「元カノ?」

 これを言えるのがコイツの強さだ。

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