ところで、「源氏将軍観の高揚」に対して、「鎌倉時代の後期に起こったのは源頼朝に対する関心の高まり」であって「源氏将軍観の高揚」ではないという批判があります。

　「源氏将軍観の高揚」が「源氏ならばだれでもいいから源氏が将軍になるべき」という意味ならば、源頼朝の血筋以外にも源氏はたくさんいますから、「源氏将軍観への高揚」と「源頼朝への関心の高まり」は違うことになります。

　しかし「源氏将軍観の高揚」が「鎌倉将軍家としての源氏将軍家」への関心を意味するのならば、実質はあまり変わらないことになると思う。

　「鎌倉将軍として成功した源氏将軍」は頼朝しかいません。二代めの頼家は「失格」を宣言されてやがて殺され、三代めの実朝は暗殺されて源氏将軍家が断絶しているのですから。

　惟康（これやす）王を源惟康にしたときに、その「源氏」を、「後嵯峨天皇の子孫として新たに興された源氏の家柄」と認識したか（させたかったか）、「女系ではるかであっても義朝の血を引いているのだから鎌倉将軍家になんとかつながる源氏の家柄」と認識したか（させたかったか）。

　どっちだ、ということになるんですが。

　これはよくわからないですけど。

　少なくとも「源惟康」になった惟康王には、頼朝のように目立つ場面はなかったので、「頼朝のような将軍を目指した」と考えるのはどうなのかなぁ？

　なぜこの「鎌倉時代後期の源氏将軍観の高まり」問題が関心を集めるかというと。

　足利尊氏がなぜ征夷大将軍になったのか、という問題があるからです。

　私たちは後の時代から見ていますから、「鎌倉将軍は源氏、室町将軍は足利氏、江戸将軍は徳川氏」という括（くく）りで見てしまいます。

　頼朝はもちろん、足利氏は確実に源氏です。徳川氏（松平氏）は、本来は賀茂（かも）氏だったともいわれ、出自にはよくわからないところがありますが、家康のときには新田氏の子孫ということになっていました。

　松平氏はもともと「新田流の源氏」にこだわりがあったようです。新田氏には世良田（せらた）氏、得川（えがわ）氏という分家がありました。このうち、得川を「徳川」として継承したのが家康ですが、その祖父の代にいちど世良田氏の子孫であるとして世良田を名のっています。

　遠江（とおとうみ）のあたりは、鎌倉時代から足利氏が権益を持っている地域があり、松平氏の時代にも足利氏の名族今川氏の勢力が強かったので、新田系を名のろうとしたのはそれに対抗する意味もあったのでしょう。

　足利氏にしても、新田氏の分家にしても、清和源氏のうちの河内（かわち）源氏、そのなかでも源義家（よしいえ）の子孫です。

　つまり、将軍になれるのは義家流の源氏というのが家康以後の常識です。

　「いやいや。鎌倉将軍は摂家（せっけ）将軍もいたし、親王将軍もいたよ？」

と言っても

「それは源氏の鎌倉将軍家が断絶したからやむを得なかったのだ」

というような説明をしてしまう。

　ところが。

　足利尊氏が「自分は征夷大将軍になるべきだ！」と言い出した時点では、源氏将軍は3代だけ、しかも100年以上前に断絶しています。

　さらに、「成功した源氏将軍」は頼朝だけです。

　親王将軍は4代、しかも直前まで親王将軍でした。

　ここで「親王将軍はぜんぶ失敗例だから、やっぱり頼朝に戻らなければ」ということならば、「頼朝に戻れ」的な考えも説得力を持ちますが。

　はたして、親王将軍は「失敗例」だったのでしょうか？

　親王将軍は、最後の守邦（もりくに）親王を除いて、子どものころに将軍になり、成長すると京都に送還されています。

　しかし、それを「失敗例」と言えるかどうか？

　宗尊（むねたか）親王・惟康親王は北条氏の「リーダーシップ」との関係が最終的に破綻したので、もしかすると「失敗例」になるかも知れませんが、持明院統の久明（ひさあきら）親王は将軍解任・京都帰還後も幕府とは関係が良好でした。守邦親王は「幕府内で失敗した」のではなく幕府自体がなくなってしまったわけですし、少なくとも、直前の持明院統親王将軍に関しては「失敗例」とは言えないところがあります。

　尊氏が征夷大将軍の職を求めたときには、親王が将軍になるのが常識で、源氏将軍ははるか昔の話、しかも、長続きしなかった「失敗例」だった。

　それなのに、どうして尊氏は将軍になろうとしたのか？

　親王でもないのに？

　それを、「尊氏が源氏だった」という理由から説明しようとすると、「鎌倉後期には源氏こそが将軍にふさわしいという源氏将軍観が高揚していたんだ」という事実があればとても都合がいい。

　足利尊氏の家系は清和源氏ですし、清和源氏のなかでも源義朝（よしとも）‐頼朝と同じ河内（かわち）源氏に属します。

　だから、足利氏は、断絶した鎌倉の源氏将軍家に替わる源氏将軍家としての資格があるんだ、という意識から将軍になろうとした、と、かつては説明されていました。

　しかし、足利氏の家系は、頼朝‐義朝‐為義（ためよし）‐義親（よしちか）‐義家（よしいえ）（もし為義が義親の弟ならば「頼朝‐義朝‐為義‐義家」となります）とさかのぼった義家の代で頼朝の家系と分かれています（義家が「最後の共通祖先」となります）。

　河内源氏の家系には違いないけど、やっぱりちょっと遠すぎはしませんか？

　しかも、たとえば甲斐（かい）武田氏（後に武田信玄につながる家系）などは義家の弟（源義光（よしみつ））の家系ですから、足利氏のほうが武田氏よりも頼朝の家系に近いと言っても、まあ「誤差の範囲」でしょう。「誤差の範囲」でないとしても絶対的に足利氏が有利だと言える立場ではありません。

　足利氏以外の河内源氏も「うちこそが将軍にふさわしい！」と名のり出て、そのあいだで競い合って足利氏が将軍になったというのなら、「尊氏が将軍になろうとしたのは源氏将軍観が高揚していたからだ」と言えるかもしれません。

　しかし、尊氏だけが「私が将軍になるべきだ」と言ったのなら、「源氏将軍観の高揚」がもしあったとしても、それだけでは説明できないと思います。