十一話 険悪な雰囲気

 その日、父さんは帰宅しなかった。加奈さんと泊まったんだ。僕がどうして呼び方を横井さんから加奈さんに変えたかというと、加奈さんのほうが親しみやすいと思ったからだ。でも、本人の前で、「加奈さん」と呼んだことはない。今度、呼んでみよう。どういう反応をするかな、楽しみだ。


 翌日の日曜日。夕方五時頃、父さんは帰ってきた。

「おかえり、父さん」

「ただいま、加奈も来てるからな」

 僕は、玄関に行ってみた。

「あっ、昭雄君。お邪魔するね」

「うん! どうぞ。荷物持つよ、加奈さん」

 彼女はニンマリとした。僕は表情を見て、

「どうしたの?」

 と訊いた。すると、

「わたしのこと、名前で呼んでる」

「う、うん」

 そう言われ、恥ずかしくなった。

「最初からそう呼べばいいのに」

「いや、でも……」

「ごめんごめん、突っ込み過ぎたね。わたしの悪い癖」

 言いながら加奈さんは笑っていた。

 僕は小声で、

「ラブホテルに泊まったの?」

 訊いた。

「そうよ、そういう質問はセクハラよ」

「ごめんね」

「気を付けてね。わたしだからいいけど、他の女性だったら怒られてるよ」

 僕は何も言えなかった。でも、セクハラのつもりはなかった。結果的にそうなってしまったけれど。

 リビングに戻り、「泊まらないって言ってたのにね」と、言うと父さんは、「まあ、そう言うなよ。その場の雰囲気があるだろ。おまえにはまだわからないんだよ」

「いいなぁ、父さんは彼女がいて。というか、付き合ってるんでしょ?」

「ああ。昨日、告白した」

「よかったね!」

「サンキュ!」


 僕にだってガールフレンドはいる。ただ、付き合ってないだけで。しかもふたり。神崎志穂と、山川花梨。どちらも仲はいいが、交際に発展はしないと思う。その点、父さんは相思相愛の彼女がいるから羨ましい。


 今後、僕に彼女はできるのだろうか? できると思って過ごそう。前向きに、前向きに。そう自分に言いきかせた。


 僕は何かと後ろ向きな人間だと思う。ネガティブというやつ。なぜ、そういう思考になってしまうのか、自分でもわからない。だから、性格も暗いと思う。でも、友達は男子・女子共にいる。


 父さんが話しかけてきた。

「今夜、加奈が泊まるからな」

「わかった。僕も一緒にリビングにいてもいいの?」

「もちろんだ! なにを言っている」

 僕は苦笑いを浮かべた。

「よかった、部屋にいないといけないのかと思ったから」

「そんなことはない。俺が入院している間、ふたりで夕飯食ってたんだろ? それなのに部屋にいるっておかしいだろ」

「そうだよね」

「加奈」

 父さんが呼ぶ。

「なに?」

「なにかおかず作ってくれ。酒のむからよ」

「うん、いいよ」

 すっかり亭主のようだと思った。でも、うまくやっていってくれるなら、それに越したことはない。僕はなんて理解のある息子なのだろう。自分でもそう思う。いますぐ結婚はないだろうけれど、いずれして欲しい。


 妻を亡くした父さんは当時、仕事もできないほど落ち込んでしまい、

「俺も母さんのもとに行きたい」

 と連呼していた。でも父さんに、

「僕のことも考えてよ!」

 強い口調で言うとハッとしたのか、

「そうだよな! すまん、おまえを見捨てるわけにはいかないな」

「当たり前だよ!」


 そんなことがあった。父さんは感受性が強いから何か出来事があればすぐ感情を露にする。我慢はしない。僕はそう感じている。


 父さんは加奈さんと寝るのだろう。いいなぁ。僕も女子と一緒に寝たいよ。僕は二階で寝るから父さんは加奈さんと性行為するだろう。気付かないわけがない。思春期はそういったことに敏感だ。できれば、やめて欲しい。僕がいない場所でして欲しい。性別は男性だけれど、父親としての男しか見たことがないから尚更そう思う。


 加奈さんは台所に立ち、妻のように食器の場所などを把握していて調理している。僕は近づいてみた。

「何を作ってるの?」

「ん。肉炒めっていうのかな。名前はわかんない」

「結構、適当なんだね」

 思わず笑ってしまった。

「笑わないでよ、頑張って作ってるんだから」

「あっ、ごめん」

 僕は尚も笑っていた。

「もー!笑うなって言ってるじゃん!」

 加奈さんは父さんと比べてイマイチ迫力に欠けるからついつい笑ってしまう。でも、

「はいはい、すみませんね」

 と一応、謝っておいた。

「はい、は一回でいい!」

「はい」

 まるで、コントをやっているようだ。

「僕と加奈さんの分の肉炒め、あるんでしょ?」

「もちろんよ」

「よかった。僕の分ないかと思った」

「そんなわけないじゃん。何でそう思うの?」

「いや、なんとなく」

「まったく、ネガティブなんだから」

 加奈さんとは夕食時、毎日一緒に夕食を話しながらとっていたので僕の考え方もわかってきたのだろう。加奈さんがどういうひとかというと、優しい、一途、だと思う。さすが、大人の女性だけあってしっかりしている。でも、たまにおっちょこちょいな一面もある。


「よし! できた」

 加奈さんはそう言い、肉炒めを三皿トレーに載せて運んで来た。父さんは、「おっ! 旨そうじゃないか」と言う。そのときだ。加奈さんは、

「あっ! ご飯炊くの忘れてた」

「マジか! 早く炊いてくれ」

「ごめーん」

 そんな加奈さんを見ていると、何だか可愛く見えてくる。口には出さないが。やはり、おっちょこちょいだ。三人で笑った。

「肉炒めは酒の肴さかなにするわ。何か別なものを作ってくれ」

「うん、いいよ」

「何がいいかな~」

 と何事もなかったかのように明るい加奈さん。僕もこういう女子と付き合いたいなぁ。そんなことを思った。同級生の山川花梨や神崎志穂も明るいといえば明るい。でも、何かが足りない。でも、何が足りないかはわからない。大人の色気か? それとも茶目っ気か? なんだろう。


 約一時間後――。

 炊飯器のご飯が炊きあがったアラームが聴こえた。

「炊けた」

 加奈さんがそう言って台所に向かった。

「ふたりとも、もう食べるー?」

「僕は食べる」

 加奈さんが父さんを見ている。

「今、酒飲んでる。見りゃわかるだろ」

 酔った勢いなのか言い方がキツイ。

「そんな言い方しなくたっていいじゃん」

「酔った勢いで言ってるだけだよ」

 僕がフォローに入る。

「そうかもしれないけどさー」

 加奈さんは不貞腐れてしまった。

「父さん、今の言い方はないよ」

「何がだ? 普通だろ」

「はあー」

 加奈さんは溜息をつきながら父さんの隣ではなく、僕の隣に座った。父さんは、「何だ、俺の傍じゃなく昭雄の傍がいいのか」

 だんだん、険悪な雰囲気になってきた。僕は、

「ちょっと、ふたりとも仲良くしてよ」

 言うと、

「洋輔さんがいけないんじゃない。酷い言い方するから」

「お前なら、ちょっと言っただけでへそを曲げるもんな」

「ちょっとじゃないよ。刺さる言い方だよ」

「僕もそう思う」

「何だ、ふたりして俺を悪者にするのか!」

「そうじゃないけど、いくら酔ってるとはいえあんな言い方ないじゃない」

「そうか? 悪いな」

 父さんは急に態度を変えた。

「謝るなら最初からそんな言い方しないで!」

 加奈さんはピシャリと言った。父さんは黙っている。

「昭雄もすっかり加奈って呼ぶようになったんだな」

「さん付けだけどね」

「当たり前だ」

 言いながら笑っている。

「呼び捨てはしないよ。さすがに」

 父さんは、ガハハッ! とデカい声で笑った。つられたのか加奈さんも笑みを浮かべている。徐々に平穏な雰囲気に戻ってきた。良かった。


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