第21話 古代語の授業


 ルドヴィス殿との時間が、色気のかけらもない時間になってしばらく経った頃。

 今度はファドルーン様に小難しい古代語を教えられることになった。


 これは食事の時に食材や料理の話題になったとき、古代語由来の言葉が残っているという話になったのが始まりだったと思う。

 ファドルーン様は毎回昼前にやって来て、皇族と思えないほどの気安さでマユロウの人間に声をかけ、どうでもいいような話を実に興味深そうに聞いた後に、私や父と一緒に昼の食事をたらふく食べる。

 私は昼の食事から夜の食事までをご一緒する。その間の話題といえば、政争を嫌ってマユロウにきているお方が相手だから無難なものとなり、結果として食べ物のことがほとんどとなった。


 そんな会話の中で、都の貴族たちが好む料理はもちろん、私が普段食べるような料理にも古代語を起源とした言葉が多く残っていることを知ることになり、私はいたく感心した。ファドルーン様の知識の広さと語学への造詣の深さ、それに食べ物に対する情熱は全く素晴らしい。

 しかし私がひたすらファドルーン様に感心したように、ファドルーン様は私の無知ぶりに多いにあきれたようだった。

 ファドルーン様は品の良いため息をついた。


「このくらいは常識と思っていましたが。都の上位貴族なら、古代語はたしなみですよ」

「そうなのですか?」

「……古代語を学んだことはないのですか?」

「ええっと、その、一般教養程度には」


 この方の前ではなぜか嘘を言えない。私はやや目をそらして無難な言い方をした。

 私はこれまで、次期領主にふさわしい知性となるように学問にもそれなりに励んできたつもりだ。古代語も、都の貴族が時々文書に使うことがあるので読み書きに不足がない程度には学んだ。


 だがそれらはあくまで形式的なものばかりで、生きた古代語ではない。マユロウには必要ないだろうと関心を持たなかった。ファドルーン様との会話で、初めて違う視点があることに気付いた。

 こういうところは、視点が狭すぎた己を恥じ入るほかない。

 そんな自信のなさがあからさまに出ていたようだ。ファドルーン様は作りものめいた端正な眉間にしわを寄せ、しばらく探るように私を見ていた。


「……アルヴァンス殿には何も言われていないのですか? あんなに教養豊かな人が近くにいるのにもったいない」


 私は耳を疑った。

 なぜ、今アルヴァンス殿の名前が出たのだろう。教養豊か? あの人が? いや、確かにマユロウの男たちとは比べ物にならないほど知的な人ではあるが。

 私が戸惑っている間に、ファドルーン様の眉間の皺がどんどん深くなっていく。私は少し慌てた。


「アルヴァンス殿は、その……我がマユロウには息抜きのために来ていますから、ここでは我々も硬い話は一切しないようにしています」


 肩身が狭くなった私は、なぜかアルヴァンス殿の弁護までしてしまう。

 嘘ではない。私が口にしたことが全てではないだけだ。この地ではアルヴァンス殿は顔はきれいだがひ弱な、でもマユロウと同等の愉快な男としか見られていないから。


 アルヴァンス殿は、私が勉強嫌いだった幼い頃でも小難しいことは何一つ言わなかったし、父マユロウ伯も戯言と酒の相手以上のことは求めなかった。

 酒さえ飲まなければとため息と共に語られるあの三十男が、そんなに教養豊かな人物なのか。都の貴族なのだから、それなりに知性は磨かれているとは思っていたが……。

 私の微妙な顔の表情を読んだのだろう。

 ファドルーン様はため息をついた。


「……あの人が都で随一と言われるようになったのは、あの美しい外見だけではないのですよ。古代語など、子供向きの平易な日常文を読むように簡単に読んでしまいます。帝国有数の秀才とか、帝国大学院が今でも教授の座を用意しているとか、そういう華やかな噂は本当に聞いたことがないのですか? 早々に学問の道に入るとばかり思ったのに、いつまでも着飾ってふらふらしていて。それでライラ・マユロウの家庭教師でもなかったとは、これはどういうことなんでしょうね」


 ファドルーン様は珍しく苛立っているようで、極めて美しい都訛りを早口でまくしたてる。

 どうやらアルヴァンス殿の都での姿は、私が想像していたものよりもっと華々しいようだ。都での反動が出ていると言って深酒を繰り返していたのは、酒好きがよくやるお題目的な口実ではなく、実は本当だったらしい。


 では、なぜマユロウでそう言う話が出なかったのか。

 そう不思議に思ったが、マユロウの民はアルヴァンス殿の明るい笑顔を見るだけで満足し、父と楽しそうに酒を飲む姿だけで平和を感じるのだったと思い出す。はるか遠くの帝都の偉い学者様の噂になど、興味を持たないだろう。


 それにしても、一族の一人として、なんだか私まで叱られている気になってくる。

 声が大きいとか厳しいとかそういう感じはないのに、苛立ちを表面に出したファドルーン様の声は鞭のように鋭く響く。

 私が思わず目を逸らすと、ファドルーン様は乱暴な仕草で亜麻色の髪をかき乱した。それを丁寧に指で整え、また深いため息をついた。


「何もできずにいるあの人も情けないが、あの人の素晴らしさを律儀に教えている私も愚か者だな。私はいったい何をしているんだ。……まいったな。何の話からこんなことになったのでしたか」

「たぶん古代語です」

「ああ、そうでした。古代語です。通り一遍しかやっていないのでしたら、私がもう少しお教えしましょうか? いや、ぜひお教えしましょう。あの情けない人を出し抜いて、笑って差し上げたいものです」


 いつもの穏やかな口調に戻ったファドルーン様は、少し前の荒れた雰囲気は幻だったのではと思わせるほど端麗だ。

 だが私を見つめる目は、特別な鋭さはないのになぜかずしりとくるほど強い圧力を秘めている。声もそうだったが、不思議な目だ。

 ここは断ってはいけない。断れない。

 そう思わせる。

 私としても、時間が許すのなら教養を磨くことは嫌ではない。むしろ大歓迎だ。


「ぜひともお願いします。……ルドヴィス殿にも私室においでいただいているので、ファドルーン様も私の私室でいいでしょうか」

「光栄ですね」


 ファドルーン様は機嫌を直したようだ。輝くような笑みを浮かべていた。

 しかし、高貴で博識な相手とは言え、弟ほど年下の人物から語学を教えられるというのは何とも微妙な気分になる。私はつくづく狭量な女だ。

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