第25話 巧美のためじゃない、はず

「ユーキ!? なに言ってんの!」

「仕方ないだろ。もう時間がない。それで解決するしかない」


 答えると、巧美が俺の腕を掴みブースの隅に連れて行く。


「あたしは反対よ! 腕は確かだけど性格に問題がありすぎる!」

「おまいう」

「どういう意味だ!」


「いえなんでもございません」俺は慇懃無礼にやり過ごす。


「だけどこれでサポートが来なかったら終わりだぜ? やるかやらないかなら、やるを選ぶべきだ」


 巧美は何か反論しようとしたが、すぐに口を閉じた。うまい説得材料が浮かばなかったらしい。

 渋面で黙っていた巧美は「……魔眼でどうにかするとか」などと呟く。

 俺はわざとらしく首を振ってみせる。


「もう忘れたのか? 長期間の拘束は難しいって。たとえ俺に惚れさせて金はなしでいいと約束させても、効力が切れたらそんなの忘れるんだ。ずっと魔眼にかけ続けないと無理だよ」

「ならあいつをずっと部屋に置いときなよ!」

「できるかんなもん!」


 普通に拉致監禁だし部屋に居たら俺の後ろの貞操がヤバい。絶対無理。


「あのな巧美、むしろ金さえ払えばしっかり演奏してくれるんだ。割り切った関係の方が信用できるってこともある」

「でも、お金はどうすんの? ……正直に言うけど、あたしはスタジオ代だけで結構厳しい」


 急に勢いが萎み、巧美は気まずげに俯く。暗に払えないとほのめかしていた。

 その態度が少し不思議だった。巧美はほぼ毎日バイトに入っている。いくら天引きされていると言っても三万、割り勘して1.5万円はそこまで厳しい額じゃない。

 別にブランド物を買い漁っているわけじゃなさそうだし、かといって楽器にバイト代をつぎ込んでいるわけでもなさそうだ。俺に内緒で歌のレッスンをしてるとか? いや、魔眼をかけなければろくに歌えない奴が、レッスンに行けるとも思えない。

 疑問が解消できなかったが、しかし相手を待たせているので一旦頭の隅に追いやる。


「わかった。三万は俺が払う」


「え!?」驚いたように巧美が顔を上げる。


「い、いいの?」

「俺にはがあるから」


 細見が居るので、一応は仄めかす程度にしておいた。しかし事情を知っている巧美はすぐに納得する。


「それはそうかもしれないけど……ほんとにいいの?」

「楽して手に入れたお金だからな、惜しくない」

「いや、そうじゃなくて」


 珍しく巧美の声は歯切れが悪い。魔眼をかけてもいないのに頬が赤くなって、眉を下げている。

 しかし待っていても、彼女から続く言葉が出てこない。


「言いたいことがあるなら後で聞く。とりあえずこれで進めるから」


 少し苛立った俺は強引に進める。

 「……うん」すると彼女の指先が、俺の袖をつまんだ。


「ありがと……ユーキ。必ず、半分返す」


 その声音はどこか寂しそうに聞こえた。

 どうやらこいつにも罪悪感から来る葛藤があるっぽいな。殊勝な側面に内心で笑いつつ、俺は細見の方へ向き直る。


「決まりました。その線でお願いします」

「契約成立、っちゅうことやね」


 細見はスティックをくるりと機嫌良く回し、そして反対の手で指を二本立てた。


「じゃあ次ね」

「次?」

「練習は一回につき五千円のままでええね」

「――は!? それ別なんすか!?」

「当たり前やん。払わんかったら本番一発勝負になりまーす」

「ユーキやっぱりこいつクズだよ!」

「そうだなクズだな!」

「傷つくわ~泣きそう」

「笑ってんじゃねぇか!」

「キツネ目はやっぱり陰湿! 裏切りキャラ! 騙されて凄惨に死ねばいいのに!」

「偏見やし酷すぎひん?」


 初日の顔合わせは、こうしてギャーギャー騒ぐばかりで終わった。


***


 帰宅して暗い部屋の電気をつける。俺は担いでいたギターケースをベットに置いて椅子に座った。


「あ~……づがれだ」


 おっさんみたいな濁声が出てくる。今日は精神的にも肉体的にも疲れ果てた。

 誰かと舌戦するなんて経験したことがなかったから、今になって気が抜けたというか、凄くだるい。


「ったく。なんで俺がまとめなきゃいけなかったんだ」


 不満を口に出してため息を吐く。眉間を揉みながら天井を見上げる。

 はたと気づく。


「…………なんで俺が?」


 そうだ、こんなの俺の役目じゃない。

 俺は巧美の野望に巻き込まれた側であって、バンドにも文化祭演奏にも思い入れはない。彼女が駄目だと言うなら従ってやればよかった。

 それなのにどうして俺は、バンド結成に拘ったのだろう。

 危機感を持ってしまったのだろう。

 天井を眺めながら考える。

 理不尽な要求をされてムカついたから――そうだ、細見さんの余裕ぶった態度も、舐められている感触も腹が立った。それで認めさせてやりたくて、巧美の歌声を聞かせて参ったと言わせたかった。

 それに演奏と魔眼の実証実験というメリットもある。ここで頓挫するのは勿体ない。


(……うん。別に、あいつのためじゃない)


 小骨が喉に引っかかったような気分だったが、面倒くさいので無視した。

 俺は気分を変えるためにPCの電源を立ち上げる。いつもの癖で動画投稿サイトのマイページを開く。

 作曲した曲たちは、昨日よりわずかに再生数が伸びていた。

 その結果に、俺の心は一ミリも動かなかった。


***


 細見さんというサポートドラマーを迎え、俺達のバンドは本格的に始動した。

 しかしこのときにはもう10月も半ばになっていた。11月頭の文化祭に向けて学校は慌ただしさを増しており、放課後になると各々の教室や部活の催し物の準備で生徒達は忙しく動き始めている。

 さすがにスタジオ練習も2~3時間程度は必要になり、俺は毎日のようにギターを弾いて過ごした。幸いなことにクラスの催しは縁日遊びの再現という単純なものだったから人手は足りていたし、部活も入っていなかったからあっさりと帰ることはできた。

 今日も今日とてクラスメイトに別れを告げて、教室のドアを開ける。


「やっほー犬飼くん♪」


 目の前に居た人間にギョッとして後ずさる。

 ドアを開けたそこに立っていたのは、安達愛良だった。


「ちょっと、何でそんなビビってる感じ?」


 安達がずいと俺に近寄ってくる。ジト目で見つめてくるその胸元では、伸びた栗色の髪が可愛く揺れ動いた。


「ご、ごめん。急だったから」

「ふーん? まぁいいけどさ」

 

 それから安達はわざとらしく手をかざして、俺のクラスを覗き見回す。「数藤さんは、うん、居ないね」


「ええと、なに?」

「いま時間ある?」


 何となく嫌な予感がしたので、俺は急いでいるフリでスマホを確認する。「あー、そんなにないかも」


「わかった。じゃあ手短に話すね♪」


 安達は引くどころか俺の腕に腕を絡ませてくる。「おい!?」


「ちょっと内緒の話だから。ここじゃなくて人気のないところいこ?」


 腕をつかんだ安達が俺をぐいと引っ張る。安達の言動にクラスの男子達がざわざわし始める。いかん、変に目立ってる。

 抵抗するより従ったほうがいいと判断し、俺は仕方なく引かれるままに歩き始める。この場に留まっているとあらぬ誤解が加速しそうだ。

 しかし廊下を歩く安達は腕を絡めたまま離さない。廊下では文化祭準備のために工作をしている生徒達が大勢居て、彼ら彼女らのど真ん中を腕組みしながら歩くものだからかなり注目を集めていた。


「あのさ、逃げないから離してくんない?」

「えー? いいじゃん別に。減るもんじゃないし」


 安達は鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌に振る舞う。

 ちらと周囲を伺う。男子どもの視線が痛い。安達はただでさえ人気な上位グループの女子だ。好意を持っている男なんて腐るほど居る。そいつらに恨まれやしないかとこっちは冷や冷やする。

 わかってやってるなら普通に悪女だこいつ。

 そうして腕組みされながら校舎を進み、渡り廊下のところまで来る。

 秋の風が吹く中、安達は第二校舎に続く渡り廊下の途中で立ち止まり、ようやく腕を離した。


「どうだった?」


 くるりと振り返った彼女がにんまり笑う。「あたしのおっぱい」


「おっ……! お、おま、なにっを」

「くすくす。犬飼くんて意外と初心なんだね? 大人びてる感じだからそっち方面もクールなんだと思ってたけど」


 勝手に分析する安達は自分の胸を両手で下から支えるように持つ。


「そういえば数藤さんも結構あるよね。彼女もおっきかった?」

「……なんで俺に聞く」

「え、まだヤッてないの? そっちのが意外」


 素で驚いたみたいな顔をされる。不愉快なので俺は露骨に眉をしかめる。


「俺達の関係をなんだと思ってんの」

「だってあの子ヤンキーっぽいじゃん? 格好も態度も悪ぶってて。裏じゃ随分進んだことしてるんだろうなーって噂だよ」

「噂は、噂だろ」

「へぇ? 犬飼くんは彼女のこと詳しいんだね。やっぱ仲良いんじゃん」

「そんなんじゃない」


 なんだろう。昔はこういう下世話なやり取りなんてどうでもよかったのに。

 巧美とのことを言われると腹が立ってきた。


「まだ俺がバンドをやる話を疑ってんなら、別に何もねぇよ。誘われたから何となくやってみようって思っただけ。まさか身体を使って買収されたとでも思ってるのか?」


 愛想笑いでもしたほうが良かったのだろうけど、眉間の皺が緩みそうになかった。

 すると安達はびっくりしたように眉を上げる。


「え、もしかして怒った?」

「いつも通りだけど」

「絶対違うなぁ。そんな怒るなんて、数藤さんのことよっぽど大事なんだ?」


 舌打ちする。「さっきからダルいんだけど」


「そういうの他の相手にやってくんない。俺は帰る」

「あーごめんごめん! つい気になっちゃって。ほんと悪気はないの。もう聞かない!」


 にへらと笑った安達は「めんご!」と謝るようなジェスチャーをする。

 イラッとしたが「ほんとの用事はこれ」と安達が何かの紙切れを取り出したので、俺は帰るのを踏みとどまる。

 彼女は四つ折りにされていたものをぺりぺりと広げてみせる。四辻学園文化祭バンド演奏会スケジュール、とタイトルが振ってあった。その下にはずらずらと出演バンド名と時間配分が書いてある。

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