風に散る―幕末戊辰二本松― 短編集

【風に散る短編】山猫騒動(1)

 

 

 城下は南の外れ。

 鳴海は作田の細い山道を城に向かって歩いていた。

 この作田の界隈を更に南に抜けたところに、大河川・阿武隈あぶくま川が流れている。

 その河岸には城下の民達ばかりに限らず、藩士たちも、そして歴代の藩主もが釣りを楽しむ。

 さて、この鳴海、余暇にでも城の姫君をお連れしようかという次第である。

「お転婆瑠璃様は、やはり外へお連れしたほうがお喜びであろうからな」

 釣りをするも良し、川遊びも良し。泳ぐには些か流れが急なので、その辺は勘弁してもらおう。何しろ無茶が好きな瑠璃姫様。河を見てすぐ、対岸まで泳ごうとか言い出す可能性は充分にある。

 そんな期待と不安を胸に、鳴海はいそいそと河岸の下見から帰路へ着いたのであった。

 

 小高い丘陵地帯となっている作田の道は、森を貫いて本町谷方面へと緩やかな勾配が続いている。

 欅や杉、柿や桜など、木々の種類は様々だ。

 鳴海はこれから上っていく坂道の手前で一旦立ち止まると、作田の山をふと見上げた。

「もう日も落ちるか……。急がねば」

 下見と称して出向いて来たは良いが、ついつい童心に返って河岸で独り水遊びをしていた事が城の連中に知れたら厄介だ。

 つい遊びすぎてしまったのか、気付けば空はすっかり宵闇漂う藍色に染まっていたのである。

 麓には田畑も多く、民家もぽつぽつと見られるが、坂を少し上れば、鬱蒼とした森に入ってしまう。

 見上げた先の山は黒い影で輪郭を描き、道筋を容赦なくその闇の中に呑み込んでいた。

 ちょっとした気後れを感じ、しかし大の男が何を気弱なことを……と、鳴海は自らを奮い立たせる。

(鬼の異名を欲しい侭にするこの大谷鳴海、夜の山道如き、何でもないわ!)

 ぐぐっと拳に力を込め、鳴海は歩幅も大きく道を歩いていった。

 

   ***

 

 翌朝、霞ヶ城。箕輪門。

 今日もまた、いつもながらの青い空。澄んだ蒼穹から吹く風は心地よく曙光に煌いて、白亜の城壁も眩しく輝く。

 銃太郎が箕輪門の堅牢な城門を見上げれば、その軒瓦に朝露が光った。

 深く息を吸い込めば、ひやりと涼やかな空気が胸を満たす。

「今日こそは、瑠璃に目通りを……!」

 そんなこんなで、本来は朝の稽古をしている時分なのだが、銃太郎は城へ来ていた。

 若葉の季節、次の六の日(休日)には是非とも瑠璃と過ごしたい。

 せめて一言そんな約束を交わすだけでも、と思うのだ。

 気が逸る余り、少々早くに来すぎたかもしれないが、かと言って引き返せば今度は尻込みして二度と誘えなくなりそうな気もする。

 心の臓が緊張で高鳴るのを感じつつ、銃太郎はてくてくと門を潜った。

 そのすぐ後から、すっと銃太郎の脇を追い抜いていく人があった。

「あ、お早う御座いま」

「早いな銃太郎。貴様、さては朝から瑠璃様目掛けて発情期か」

「大谷殿、朝っぱらからおかしな言いがかりはやめ……っ。──!!?」

 朝一番の嫌な挨拶に大顰蹙で振り返れば、そこには。

「お、大谷……殿……?」

 ぎょっと我が目を疑い、銃太郎は思わず足を止めた。

 すると鳴海も二、三歩先で立ち止まると、くるりと銃太郎へ振り返る。

「………」

 見る限り、いつも通りの大谷鳴海……では、ないだろう。

 キリリと結い上げた髻は普段通り。だが、頭の左右に何か見慣れぬ物体が乗っかって──否、生えている。

 時折強く吹く風に、ぴこぴこと反応するソレは、黒猫の……耳だ。

 勿論、人間として本来あるべき耳もちゃんとくっ付いている。

(大谷殿の耳が、四つに!!!)

 今度は一体何の遊びだろうか、と銃太郎が無言で思案していると、鳴海は一層不快そうにこちらを睨む。

 本人は頭上の耳に気付いていないのだろうか──、いや、しかし。

 銃太郎は鳴海の頭上を凝視したまま、ごくりと息を呑む。

「大谷殿、その……それは一体、何の遊びで……」

「っ銃太郎っ!!」

「ギャン!!?」

 がっしと肩を押し掴まれ、銃太郎は一声叫んだ。

 が、鳴海は退くことなく鬼気迫る形相で迫ってきている。

「貴様っ!!」

「な、なんですかっ!?」

「私のノドを撫でろ!!!」

「!!? どういう脅迫ですか大谷殿!!?」

「ハッ……! し、しまった、何だ? 私は今なんと言った!?」

(しかも無意識に!!?)

 おかしい。何処がおかしいのかと訊かれれば、「全体が」と言わざるを得ないが、兎に角大谷鳴海の身に何かが起こっていることは明らか。

 ただの茶目っ気にしては随分と度が過ぎる。

 三十五歳の強面武士が猫耳を生やして登城だなんて、幾ら何でもふざけ過ぎというものだ。

 銃太郎が唖然としていると、鳴海はやがてふらふらと覚束ない足取りで御殿へ続く堀重門へと去っていった。

 


 

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