第53話 配下の忠誠心


 英傑の騎士団の『ブレイブギア号』から遠く離れた海の上に、

 一隻の小舟が浮かんでいた。


「くっ、ははは……はは、馬鹿野郎が……! トドメを刺さねえからだ……!」


 小舟に乗っていたのはエリオットただ一人だった。

 失った両足の断面に治癒魔術をかけながら、米粒ほど小さく見える沈没船を眺め、勝ち誇った顔を浮かべていた。


「司祭の野郎、他の奴らが戦ってる間に……一人で救命ボートを使って逃げようとしてたが、くくく……利用してやったぜ、糞野郎」


 理想郷の戦士との戦闘のさなか、司祭アルファンは全員に戦うよう命じていたが、どさくさに紛れて一人逃げ出そうとしたのだ。

 その一部始終を偶然目撃したエリオットは、利用することを思いついた。


 ただし、司祭アルファンの乗る救命ボートがブレイブギア号からある程度離れるまでは入れ替われなかった。

 敵に打ち落とされる可能性があったからだ。


 ブレイブギア号から無事に遠ざかり、敵の追跡範囲外に出てから、司祭アルファンと入れ替わる。

 汚い手だが、手段を選んでいる余裕はない。


 その間に敵の主力であるロベリアを片付ける計画も立てていたが、失敗に終わった。

 それでも、常に逃走経路を確保していたため、なんとか逃げ切れたのだ。


「……しっかし、危ねえところだったぜ」


 ブレイブギア号と同等の大きさの、禍々しい巨大な門が宙に浮かんでいる。


 クラウディアの報告書には、竜王ボロスを倒したロベリアの魔術についても書かれていた。


 船をまるごと飲み込むほどの規模までは予想していなかったエリオットは、目の前の光景に戦慄したが、最終的には逃げ切れたのだ。


 今頃、入れ替わった司祭アルファンはブレイブギア号の中で喚き散らしているだろう。


 救命ボートの上で、エリオットは勝ち逃げできたことに愉快そうに笑った。





 ————





「な、何なんですか!? さっきまで救命ボートに乗っていたのに! なぜまたここに!?」


 ついさっきまでエリオットがいた場所に、司祭アルファンが立っていた。

 状況を飲み込めず、騒がしく喚き散らしている。

 救命ボートだと?


(……まさか!)


 無傷の司祭アルファンがここにいて、エリオットがいない。

 すべてを理解してしまった。


 だが、もう遅い。

 俺のせいで奴を逃がしてしまった。


 奴を苦しませるために虚構獄門の発動まで放置しようとしたが、それが裏目に出たのだ。


「ひいいい! 傲慢の魔術師!?」


 こちらを見て、司祭アルファンは震えていた。


「だ、だが何でもいい! わ、私を助けてくれませんか!?」


「は?」


 命乞いかと思いきや、何を言い出すやら。

 呆れて溜息も出ない。このままトドメを――


「私は司祭ですぞ! 神はいつだって味方なのです! 私を助けてくれれば……その、精霊教団も理想郷に協力するよう手回しをしましょう! 私には発信力があります! だから、どうか! どうか私の命だけは……!」


「……ああ」


「でしょ! でしょ!」


「駄目だ」


「へっ……ほげっ!?」


 司祭アルファンの額を、圧縮した風の弾丸が貫く。

 だらしない媚びた表情のまま舌を突き出し、事切れた。


 神だとか何とか語る前に、その醜悪な考えをあの世で改めな。




 ————






「ラインハルに報告して……今度こそ英傑の騎士団、全勢力で攻め込んで皆殺しにしてやる……!」


 揺れる小舟の中で、

 エリオットは手帳に今しがた起こった出来事を書き残そうとしていた。


 忘れないための、万が一の備えだ。

 両足を失った今、何らかの形で伝えられない可能性もある。


「おやおや……一体誰を皆殺しにする気なのかね?」


 ニヤけながら文字を綴るエリオットを、こっそり後ろで覗き込んでいた人物が声をかけた。


 冷や汗を流しながら、エリオットは恐る恐る振り返った。


 そこには、顎に手を当てながら興味深そうにこちらを観察する男がいた。


「だ、誰だテメェ!?」


 悲鳴を上げ、エリオットは男を見上げた。

 男は悪どい笑みを浮かべ、鋭い牙を剥き出した。


「傲慢の魔術師直属の配下、竜王ボロス。ま、別に忘れてもらっても構わないけどね」


「り、竜王……!?」


 エリオットは首を振って信じられないといった顔をした。

 竜王ボロスはロベリアに倒されたはずだ。


 クラウディアは嘘をつくような女ではない。それなのに、そこには正真正銘の竜王がいた。


「主には人目に出ないよう命令を受けていてね。ずっと上から観戦していたけど、そろそろ飽きてきたんだよね。君たち、主に無礼だし、殺したくてウズウズしてたよ? けど、ここには人目がないし、ちょうど良いと思わないかい?」


「ひっ……そんな……せっかく」


 逃げ切れたと思ったのに。

 失禁するほど恐怖するエリオットの口から、その先の言葉は出てこなかった。


「すぐには殺さないから安心したまえ。手始めに全身の皮膚を剥いでから……」


「あああああああああああ!」


 絶叫しようが、

 助けを求めようが、

 海に吹く風によって、その声はかき消された。


 そして同時刻、英傑の騎士団のブレイブギア号は【虚構獄門サムシング・イン・サイド】に飲み込まれた。

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