音楽系サークル「MUJICA」のお話

もち牛乳

第1話 入学式

 冬の終わりのつむじ風にさらされた大学施設の建築群は、冷え冷えとしたコンクリートの巨魁にみえた。その中に飲み込まれていく人々は灰色の壁に染み込み、やがて取り込まれていく…ことも無く。みんな希望と不安の入り交じった顔をして、人波に沿って歩いている。

入学前の資料には今年度の新入生が1000人を超えると書いていたので、そのほとんどが不安な顔をしていると思うとなんだかおもしろくなってきた。きっと、みんな緊張しているし、私も緊張している。溶け込める。大丈夫。そう言い聞かせて、私は体育館のパイプ椅子に腰かけた。

 時刻は11:00を過ぎ、入学式が執り行われる。中学高校では校長の長話を聞かされ続けていたため「今回もか」と思ったが、さすが大学。学長と理事長の話は手短に終わり、式次第は学歌斉唱に移る。

 ステージの下、私から見て右手前方に、楽器と椅子が並んでいる。そこにわらわらと人が集まり、各々が演奏の最終準備を始める。私は思わず目をそらし、時が過ぎるのを待つ。耳を両手でふさぎたかったが周囲の目線を考えるとそんなことはできなかった。


 高校時代、いくら経験しても慣れなかったステージでの演奏。「リハーサルの時には上手に出来ていたのにね。」という外部講師の言葉が、半年たった今でも脳裏に張り付いていた。だから、今はできるだけ吹奏楽を聞きたくない。特にコンバスの音は。


 金管楽器たちのメロディーから始まる学歌のイントロ、均整の取れた音の粒たちが並び、荘厳な音の塊が足元に響き渡る。

 金管、木管、打楽器その他楽器も何一つ文句のつけようもない演奏だった。誰が音を外すでもなく、リズムも崩れない。心が締め付けられるほどきれいな音だった。

 汗が額から流れて私の顎先から離れたところで演奏は終了し、学長の一礼をもって入学式は無事に閉式した。

 案外少なめのボリュームだった入学式の後、壇上の先生方が袖へはける。すぐさま、スポットライトに照らされた二人組が現れた。

 二人は軽く挨拶をすると、軽快にこの後のスケジュールについて説明をし始める。どうやら1時間ほど、部活動などの諸団体に関する説明があるみたいだ。任意参加の構内ツアーはその後にあるらしい。確か今日は予定がなかったので、周りが行くなら私もツアーに参加してみようかな。

「…ということで、部活動団体、サークル団体、同好会団体の順番で紹介していきます!」

「それではトップバッター。野球部の皆さん!よろしくお願いします!」

 それからは入れ代わり立ち代わり諸団体が紹介されていった。最初の五団体くらいは新入生たちも盛り上がって聞いていたが、団体数が15を超えたあたりから私も他の新入生も退屈になってきた。周りからはちょこちょこ私語が聞こえ始めた。

 この大学はサークルの数がとにかく多い。スポーツ系はサッカーに始まり、インディアカやクリケットまで多種多様だ。ヨガまであった。そして、文化系は純文学サークルから料理研究会、果ては散歩をするだけというサークルもあった。

ただ、どれも名前からして興味を惹かれるものは少なく、私は指でカエルを作って遊んでいた。


 やがて、音楽系のサークル群が紹介され始め、ステージが暗転。袖からわらわらと楽器を持った人物が壇上へ躍り出て、眩しいスポットライトの下、軽音楽が大音量で演奏される。

私はあんまり流行りの曲には疎くて、綺麗な声だなぁとぼんやり思っていた。少しベースがズレていたけど、それも含めて青春って感じだ。

ふと周りを見てみると耳慣れた音楽に自然と体が動く人もいれば、帰り支度をしている人も見受けられる。私も帰り支度をしようと、バックに手をかけたとき、ブツンと何かをはじき切るような音が体育館に響いた。

「アーイワナビぃ…い?どうし…」

 ぴかぴかと光るエレキギターを手に熱唱していた先輩が、不安そうな表情でバンドメンバーを振り返る。バンドメンバーはそれぞれ首を横に振り、次に袖のほうを向いて裏方と何やら話をしている。なにを話しているのかは聞こえなかったが、恐らくマイクに音が乗らないのだろう。ステージ上には楽器の数よりも多くの数の人間がうごめいて、てんやわんやしていた。

 やがて袖から出てきた腕章の男の子がボーカルの少女に告げ口をし、バンドメンバーは渋々といった様子で袖へとはけてしまった。

 突然の出来事にざわつく新入生。体育館の二階通路をバタバタと走り回る先輩方。やがてステージの照明が落とされ、頭上のスピーカーから凛とした女性の声で連絡が入る。

「ただいま機材トラブルが発生したため、一部順番を変更して活動紹介をさせていただきます。次は…やっ、マイク取らないでよ!別にいいでしょ私たち機材なしでやる予定だったし。ね、みんな行くよ!」

 数名が速足でステージへ上がる。何やら楽器を背負っているようだが、暗くてよく見えない。

「こんにちはー!今少し準備をいたします。少々お待ちください。」

 先ほどの放送と同じ声に驚き、新入生のざわめきが大きくなる。今ここからバックレても気づかれなさそう。

 そう思って椅子から立ち上がると、しゃがれたサックスのような不思議な音が耳に届き、全身の筋肉が動きを止めた。

 次いで、スナッピーの音が混じった重低音。何かはやし立てるように木の板をたたく音。どれも初めて聞いたような音ばかりだ。あ、でもこの音は聞きなじみがある。ギターの音だ。そしてきれいな木管楽器たちの音。暗闇から流れ出た音の連なりは『聖者の行進』だった。普段聞いたことのある楽器たちの音に交じって、明らかに聞いたことのない音が混ざっていたが、そんなことがどうでもよくなるくらい、楽しさが胸の内にわいてきた。先ほどの吹奏楽部や軽音楽同好会とも違う、自然と足でリズムをとってしまうようなそんな音楽だった。

楽器が演奏できることが楽しくてしょうがない!という思いがひしひしと伝わってくる。

隣の席の新入生も私のビジネスバッグを倒してしまいそうなくらい体を動かしていた。

 様々な楽器の音が混ざり合い、演奏も盛り上がりを見せたところで、リズム隊の音がぷつっと止まった。それに合わせてその他の楽器の音も鳴りを潜める。やがて静まり返ったステージ上に、一人分の足音だけが聞こえだす。

カツ、カツと鳴るその足音は、どうやらステージの中央あたりで止まると、一つ息を吸い込んだ。

「スゥッ---」

 次の瞬間、トランペットによって『聖者の行進』のメロディが吹き鳴らされた。高らかに。やさしく。そして、したたかに。

 あんなにざわついていた体育館フロアは皆口をつぐみ、静まり返った。私は一瞬何が起こったか理解できずにいたが、一音一音の音を聞くたび、驚きで口が開いていった。心を打つとはこういうことを指す言葉なのかもしれないと本気で思ってしまった。

 立ち上がりながらも何もすることができない。ただただ圧倒されるのみであった。

「---ぱっ!」

 やがて最後の一音が空を裂き、会場は拍手に包まれる。私は両の腕を力なくたらし、拍手すら満足にできずにただ口を開けたり閉じたりするばかりだった。


 拍手が収まりかけたころ、忘れていたかのようにステージ上が照明に照らされる。

 楽器を背負った男女数名が、犯行現場を押さえられた泥棒のようにこちらを向き、恥ずかしそうな顔で笑いあっていた。何やら小声で話をしていたその人たちの内、すらっと背の伸びた女性が一人、忘れ物をした小学生のようなばつの悪い顔をして、私たちに呼びかけた。

「自己紹介が大変遅れました!私たちは音楽系サークルMUSICAです!以後お見知りおきを。」

 そこまでよどみなく伝えたところで深々と一礼。そして顔を上げてもう一言。

「音楽好きならだれでも大歓迎です。楽器ができたらなおよし!平日16時からは誰かしら部室にいるので気になる人は、物の試しに我がサークルの門をノックをしてみてください。」

「では!」

 そう言って、木の板を担いだ大男やきらびやかな管楽器を抱いた先輩たちがステージを後にする。

 私はその人たちについていくように体育館を後にした。

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