サマースクール、ネイティブ・アメリカンへの応援コメント
ほほう、今はアメリカン・インディアンって言うんですか。勉強になります。
よく覚えておきます。
そういえば、スポーツのチームで、インディアンズとかレッドスキンズとかありましたけど、20年くらい前に名称変わりましたね。時代の流れからは当然だと思います。
作者からの返信
小田島さま!!
勉強になりますよね、本当に。私も知らなかったです!もちろん、地域や属性によってまちまちだとは思いますが。
そういった名前、当事者としては「どうでもいい」という感想だったり、鼻につく、と感じたり、色々だと思います……。レッドスキンはちょっと、かなり、アウトな気もするけど。
私も(幸い言われたことは一度もなかったですが)もしイエローと呼ばれたら殺気を覚えると思います。
才能への応援コメント
実際にアメリカに行ったことはないのですが、負け組を恐れる一方、復活の機会も日本よりは多そうというのは何となく分かります。
特にアメリカンスポーツが好きな立場からすると、前歴持ちな感じの人が結構いて、良くも悪くも明らかに差異を感じるところです。
作者からの返信
川野さま、コメントありがとうございます!!
野球やアメフトなどのアメリカンスポーツにも、国民性本当に現れますよね……。黒歴史があって、それを自力で乗り越えたという人たちを尊敬するという文化はとても健全だと思います。もちろん、王道の道を突き進む素晴らしさを尊敬する日本も、同様に正しいと思いますし。
心の支えだった補修校への応援コメント
サンホゼで、息子通わせた日本語学校は、補修校クラスと、日本語が余りわからない日系3世や、息子の様にハーフで、100%英語で育ってきた子供達のクラスに分かれてました。こいつらは、小学生高学年や中学生になると、ふざけた態度に見えて、日本人の先生達は苦労してました。
私のエッセイにも書きましたが、この学校には、東大博士の先生が3人もいたのでした。その内の一人は、私の同僚だったのですが、私の妻が通っていた大人クラスの先生もやってました。
現地校、ここにもありましたが、親同士のいざこざ話をよく聞かされました。
作者からの返信
サンホゼいらっしゃったんですね! 懐かしい地名……。
ああ、そりゃ、クラスによって雰囲気違いますよね、それはアメリカも日本も変わらないです。私にとってはパラダイスだったけど、逆に息子さんたちのように英語が得意な子にとってはしんどい部分もありますよね。
やんちゃ坊主たちに苦労させられている先生方の様子が少し微笑ましいです笑
海外の日本人コミュニティはどうしても村社会で、懐かしい反面大変だったなあとも思います。
才能への応援コメント
読み返しにて、貴方様の貴重な体験談を拝読させていただきました。読む前から、環境による文化に触れた話かとは思いましたが、ここまで明確な文化の違いを体験した事を執筆くださる事は、読者に対して本当に貴重な事を伝えていらっしゃると感じました。
私なんかは学生時代に2ヶ月だけドイツ、スイス、フランス、イギリスのウェールズにホームステイを経験しましたが、やはり文化や食事に対した戸惑いは貴方様と同じ気持ちですね(๑˃́ꇴ˂̀๑)
そんな私の息子がもし、海外に行く事とかがある様ならば、貴方様の体験は貴重な情報です。100あるうちの1つでも得られる情報なら、私や他の読者も為になる内容を貴方様は執筆してくださってますので、是非体験談を思い出す限りを表記してください。
頑張ってください♪
作者からの返信
織田さま、コメントありがとうございます!
ホームステイも、本当に貴重なご経験だと思います。
一番大きいのは、全く違う文化(=思考回路)を持った人たちが世の中には存在してて、同じ人間と言っても全然違っていて、でもやっぱり一人一人がとても大切な存在だということに気がつけることですよね。視野がぐぐっと広がっていくというか。
お言葉とても嬉しかったです!ありがとうございました^_^
「青い目が欲しい」〜Black Lives Matterへの応援コメント
おお、読ませるなあ。。このエピソードとフミヤさんのコメント、とても興味深いですね。特に黒人の身なりについて。わたくしなんぞが、感想など述べる知識も技量もありませんのでやめておきますが、とても勉強になりました。ありがとうございました。
作者からの返信
あ、小田島さま!!ありがとうございます♪
子どもの頃のわたしは
「華やかな色味の服装似合うなー、うちのお姉ちゃんもわりとそうだけど、それ以上にビビッドな色がしっくりきてて、ステキ!」
としか思っていませんでした。
(私も、アメリカにいる時はそこに合わせて明るい赤とかもよく着ていましたが、日本に帰ってきてからは、一番肌にしっくりくる淡い色合いの服が多くなっています)
ブラックの知人の大人たちは、ゴージャスな肌の色味に似合う、金やビビッドピンク、白や黒の、パキッとした色合いや豪華なスタイルの服装の方が多かったように思います。
(子どもたちは、色合い以外は私と同じくタンクトップとジーンズでした)
渡米後約半年、まだまだ英語できなかった私への応援コメント
そうして少し傷つきながらも、ある意味『異世界』で姉妹は成長していったんですね! よく頑張りました!
作者からの返信
三杉さま!
傷つき方も、立ち直り方も、三者三様。それぞれ個性が出てたと思います^_^
渡米後約半年、まだまだ英語できなかった私への応援コメント
ルーシーは、人間に近い猿人で、発見された時は大ニュースになりましたが、私には、マリー・リーキーの二足歩行をする猿人の足跡の発見や、彼女の夫であるルイス・リーキーの石器を使う猿人の発見の方が印象に残っています(どちらもタンザニア)。猿人というと、タンザニアのオルデバイ渓谷というのが直ぐに浮かびます。
クラスで一番可愛いルーシーを描いたと自慢してください。
作者からの返信
fumita57さま!
初めて聞きました、マリー・リーキーって名前!
考古学者って、猿人の化石になんで名前つけるんでしょうかね。それだけ思い入れが深く、大切な存在ということでしょうね。
(あ、気になってGoogle先生に聞いたら、考古学者でなく古生物学者だと言われた……後でエッセイ修正しなきゃ)
ある意味一番かわいい女の子だったと思います!
日系アメリカ人への応援コメント
蜂蜜さん、とても考えさせられるエピソードでした。
日系アメリカ人の方が、思想良心の自由をも侵害されていた事実の一端に、今更ながら触れることができました。
どう答えても、心が引き裂かれるような苦境に陥ることになるのですね。
二つ前からの三姉妹のお話も楽しかったです。そりゃ異国の地に放り込まれたら、結束も固くなりますよね。お姉さん、妹さんのエピソードもほほえましかったです。「アチョー!」とかw
積ん読が多すぎて、なかなか来られませんが、得るものが多いので、また参ります。
それでは。
作者からの返信
小田島さま、ありがとうございます!お言葉嬉しいです^_^
ロスでは、日系人やアジア人が生きやすい空気感があって。その理由の一つに、間違いなく第二次世界大戦の時の日系人の奮闘がありました。その意味でも彼らに恩があると思っています。
あの頃の写真やビデオを見ると、自分で言うのもなんなのですが、三姉妹、本当にかわいいんです。かわいいのが三人というより、なんというか、三人で一つの生命体みたいな感じで。
幼かった私たちは、本当に助け合って生きていました。
モラルやマナーへの応援コメント
全く同感です。
1)排他的だったり、いじめのような集団的迫害は許せません。
2)自分のマナー違反も多いです。まず大事なのはそれに気が付く事だと思います。
蜂蜜の里さんのような正義の心を持つ人が一人でも増えることを望みます。
作者からの返信
ありがとうございます!
なんか、自分の意見の押し付けばかりだなあ、と少し恥ずかしく思っていたのですが(我ながらそういうところあります)優しいお言葉をいただくと少しホッとします。
個人主義の行き過ぎも孤独に繋がりますが、集団主義にも同じように警戒したいです。どちらもいい面、悪い面あるので。
天使な妹の面白エピソードへの応援コメント
とても素敵な話。可愛い妹さんが生き生きとしている姿が目に浮かびます♡
作者からの返信
ありがとうございます!!
妹、かわいすぎて、ティーネイジャーになるまで家族や親戚の目には幼稚園の時のお遊戯会「7匹の子ヤギ」の末っ子ヤギのイメージのままで、本人にはさすがに嫌がられていました。
お星さまや素敵なレヴューもありがとうございました♪
ロサンゼルスに旅立つその前、そしてLAXへへの応援コメント
エッセイとしてここまで具体的なのはカクヨムで初めて読みました
いいっすね
作者からの返信
ありがとうございます!
よく覚えてるなーと自分でも思います。あれほど強烈な経験は人生で他で言うと……就職した時くらいかなあ、でもそれもあの時ほどではないです。
ハチーミーツー・セイトー 蜂蜜の里への応援コメント
特に意見を言う女性は気が強いと言われるのでしょうね。女性(女子生徒)が意見を言うなんて、小学校から少なかったと思います。その昔、米国の小学校の先生たちは、質問に対して手を挙げている生徒の中から、男子を先に指す傾向があるという調査結果がでました。先生の性別は関係なかったという結果でした。これが、社会に存在する偏見なのでしょう。
もう何十年も前ですが、日本人としてPGAで初優勝した青木功の名前を、米国のスポーツキャスターがAokiを正しく発音できなかったのを覚えています。
その上、米国人はほとんどの「i」を「アイ」と発音するではないですか、イランとイラクが「アイラン」と「アイラク」になってしまい、この二つの国の院生が怒っていました。英国ではちゃんと発音してますが。
作者からの返信
ああ、本当にそうですね。
そもそも「女言葉に命令形はない」、たとえば何かあった時は「やめろ!」と言えず「やめてください」と懇願する形でしか女性は言えないと聞いたことがあります。ブラックボックスダイアリーの伊藤さんも、被害にあった時最後は英語だったそうですね。
日本人、アメリカ人、女性、男性。人をカテゴライズするのは間違ってる、と子どもの頃は思っていましたが、「この属性だからこそ求められる立場、キャラクター」というものから、人格形成上無関係では絶対にいられません。
ああああ……私も、周囲が「アイラク」と言っていたから何も考えずそう言っていました……。発音や話し方に関しては、周りのコピーするのが最優先と思っていて。自分のことにはこんなに繊細なのに、本当に、時々私も想像力がなく無神経です……。
才能への応援コメント
ご苦労もあったでしょうが、夢のような場所で素敵な人達に囲まれて育って、とても魅力的な、そして貴重なエッセイだと思います!
作者からの返信
三杉さま、ありがとうございます!
お褒めの言葉もありがとうございます♩
確かに、本当にその通りなんですよね……。周りの人たちもおおらかでいい人たちでした。
ただ、自分で選んだ道ではなかったので、優しい父方の祖母との電話で「お父さんのせいでこんなところに無理矢理連れてこられた」と何度も愚痴っていた、生意気な私たち姉妹でした。(さすがに祖母も自慢の長男の悪口が嫌だったみたいで、後々文句言われました)
自分でその道を選択して開拓する人たちは皆清々しいのですが、こういう後ろ向きさも帰国子女あるあるです。
編集済
サマースクール、ネイティブ・アメリカンへの応援コメント
ハリウッド、未だに、白人本位の物が多いと思います。映画、Dances with Wolves, 本当のリベラルは、白人女性が主人公のロマンスの対象として出て来た時に、映画館から出て行ったとか。
私が覚えている西部劇(アンチ西部劇)は「ソルジャー•ブルー」と言う映画で、米国奇兵隊のネイティブ・アメリカン虐殺を描いた映画でした。1970年のもので、白人のサイドを悪役にした初めての映画だったとか言われていました。ベトナム戦争で起こった虐殺にも思い起こす事があったとか言われています。
もう一つ、本なのですが、同じ年に、Dee Brown 著のBurry My Heart at Wounded Kneeと言う本が出ました。ネイティブ・アメリカン側からのストリーで、この本を読んだら、米国の白人が嫌いになります。
作者からの返信
ああ、わかります。子どもの頃、映画ですてきな恋愛をする男女が全て白人で、あれ、と少し(かなり)複雑に思ったものです。
昔ならばルーシー・リューやチャン・ツィーの存在が心の支えで、最近では、Crazy Rich Asianに登場するヒーローやGleeのハリー・シャム・ジュニアなど、自分のアイデンティティに所属するロールモデルって本当に大切ですね。(ハリーシャムは、某トランプにいいねを押したという話も聞いたけど、本当かな)
面白そうですね。さっそく観てみたいです……が、調べたら後半ものすごく残虐で救いがないとか。うん、これは体調整えないとダメだな。というかこれが史実というのが救いがなさすぎる。
七十年代にこういうお話が出版されたんですか!なるほど、このころからリベラル層の歴史の振り返りは始まっていたんですね!!どちらもベトナム戦争の傷が見えます。こちらも怖そうですが、読んでみたい!!
国と食べ物への応援コメント
twizzler 興味あるなあ。わたくし、いけそうな気がしますよ。くさやとかマーマイトとかOKですし。まあ、好んで食べるようなものじゃないかも知れないですけどね。
このお話、とてもよいですね。
いろいろと勉強になります。
お星さまもパラパラしておきますね。
作者からの返信
小田島さま、ありがとうございます! 嬉しいです^_^
すごい!twizler 行けたら、きっとアメリカの食事はほぼ制覇したも同じだと思います(?)
(いや、あちらは広いので、中国料理同様地域によって全然違うようですが。私の勝手な意見です)
お星さまもありがとうございます♪
ロサンゼルスに旅立つその前、そしてLAXへへの応援コメント
あ、蜂蜜さん。これ面白いですね。
こういう体験談、面白くて勉強になります。創作にも役に立ちそうです。
フォローさせて頂きますね。
作者からの返信
小田島さま、来てくださったんですね^_^ありがとうございます!
もうだいぶ前のことなのに、去年のことのようにはっきり覚えていることばかりです。
ロサンゼルスに旅立つその前、そしてLAXへへの応援コメント
この度は私の自主企画へのご参加、ありがとうございます。
親御さんが海外居住経験があってよかったですね。かなり心強かったかと思います。
見慣れないアルファベットだらけの世界……
住み慣れた日本とは違い、異世界のような場所でどのような生活が待ち受けているのでしょうか。
引き続き拝読させていただきます(^_^)
作者からの返信
はづきさま、コメントありがとうございます!また、企画を立ち上げていただいたことについても、御礼申し上げます。
行けばなんとかなる、子どもは適応力がある。
すべて、保護する大人側の都合で、実際になんとかなるようにするためには、「自分でなんとかする」しかないということをあの時肌で実感しました……。
ダンスパーティ 〜 Baby one more timeへの応援コメント
とても面白かったです!
アメリカならではの体験談も、またそれについての考察もとても素晴らしい。
国と国との比較についてのお話もまた興味深く読ませていただきました。
凄く勉強になりました。
作者からの返信
ちわみろくさま、いらしていただきありがとうございます!
実は私も以前ちわみろくさまの「私はあなたに……」を完結まで読ませていただいたことがあります。ここまでひどい裏切りは経験したことがないですが、思いもかけないことってあるよなあ、と胸が痛かったです。
国と食べ物への応援コメント
3話まで見ました。
違う国の文化に触れる経験が出来たのは素晴らしいです。
価値観が変わりそうです。
作者からの返信
タヌキングさま、コメントありがとうございます! また、企画にも参加させていただき、重ねて御礼申し上げます。
面白かったですよ! なんだこの宇宙人は、と思うことも多かったですが(あっちからしたらこちらが宇宙人で、でも彼らはそんな存在に慣れてました)、一人一人はすごくいい人たちでした。
ダンスパーティ 〜 Baby one more timeへの応援コメント
スキンシップの習慣が違いますよね。欧州でも大陸組みは、平気で挨拶にキスしますし、これは米国人も引きます。フランス人の女性との朝の挨拶が両頬にキスが、日本のお辞儀と同じ様に扱われているのに驚愕するのは、米国人と日本人(私)も同様でした。しかし、ドイツでは、知らない人には挨拶をしないが、知り合いとは、毎日握手してハグとか、頬にキスなんだそうで、毎日握手の習慣は潔癖症の妻には苦痛だと言ってました。
ブリットニーが大人気の頃、私達は日本に住んでいたのですが、その頃の女子高生のファッションもだんだん過激化していた様に覚えています。さすがにヘソだしルックは余り見かけなかったと思います。逆に、カントリージャンルなのに、大人の女性がヘソだしだった方がすごいとも思う私でした(これはシャナイア・トゥエインの事です)。その後、ブリットニーらのファッションが過激すぎて、それを真似させる親とかそういう服を提供する業界等が非難されていたとも思います。そういうダンスパーティを小学生でも許す米国ですが、幼い子にセクシーなファッションやメイクをさせることに極端に反発する人間もいましたね。特に、キリスト教福音派の宣教師とかが声をあげていたと思います。そういう人達は、ファッション業界はアダルトビデオ業界と繋がっているとかと主張していたともいます。クリントンの副大統領だったアル・ゴアの奥さんがこれに対する生命を出したと思います。ちょっと前、マイリー・サイラスで同じ様な感じになっていた様で、この問題は今でも続いているのでしょう。
良い思い出ですね。米国では、今も多くの子供達は適度の異性との交流ができて上手く育っていると思います。
作者からの返信
Fumiya57さま、ありがとうございます!
例えばイタリアなんかは人と人との距離が近い分、日本人よりも鬱になる率が低い(かもしれない?)という話を聞いたことがありますが(たぶんそういう統計も誰かが取っているのでしょうが、私は又聞きの又聞きレベルですが、主観的には信憑性があるように思えます)、逆に2020のquarantine の時にはその文化が悪い影響を及ぼしてしまったとか。逆に、日本などは人と人との礼儀正しい距離感を保つ文化だったことも、比較的に被害を抑えることができた理由の一つだったのかも。
子供たちはあの感じのファッションが流行りだったので、「いや、別に着たくて着てるだけだし!大人うぜー」くらいにしか思っていませんでした。(今思うと非常に危ういですね)さすがに小学生はそこまですごい格好でもなかったような? 中学校では、ある厳格な先生(私は意外と彼女が嫌いではありませんでした)に、キャミソール姿(当時はごく普通のファッション)でうろついていた私に、”Excuse me dear, you have to wear something on your underwear.”と注意され、おお、となったことも笑
ギャル文化が日本で流行ったのもちょうどこの頃ですよね!
世代が変わると違ってくるものもたくさんあると思いますが、今もあの感じが残っていると思うと、とても懐かしいです。
ロスでのおでかけ先への応援コメント
70年代に米国に来た私は、経済的には衰え出した米国を未だ感じていない国民が多く、多くの中流階級(この頃はほぼ白人)が自分の子供の世代は今よりも良くなると思っていたと時代だったのですが、だんだんとその割合が減ってしまったと思います。その後、バブル期の日本が台頭し、米国は製造業が落ち込み高収入の労働者階級が激減しました。その代わりに、テックやソフトが経済を引っ張っていく様になりました。低スキルでも大手の工場で働いていれば高収入でいられた時代が終わり、高学歴の者だけにしか高収入の生活ができなくなったのが90年代だったのだと思います。
90年代を日本ですごし、2000年代初頭に米国へ帰って来た私達が最も驚いた事は、夫婦共働きの家族の割合が物凄く増えていた事でした。理由は二つだと思います。一つは高収入のブルーカラーの職であった製造業が中国へ移った事で、夫婦両方が働かないとやっていけない状態に陥っていた事。二つ目は、女性の地位の向上だと思います。女性の方が大学を卒業している割合が増えたのも、この時期ではなかったかと思います。
最後に、米国の子供達って、近所の子とは遊ばずに、仲の良い子の家に親に車で送って行ってもらって遊びますよね?近所に一緒に遊べる友達がいる様な社会で亡くなったのも80年代ではなかったかと思います。親も子も、自分の好みの人間だけと付き合う様になったのだと。社会の分裂はこんな所からも始まったのでしょうか?
作者からの返信
アメリカの、70年代の経済が破綻し始めていることにじわじわ気づかされていく感じ、そして2000年代の女性の社会進出は、90年代の日本、2020年代の日本と全く同じ印象ですね。日本はアメリカの数十年遅れで同じ現象が起こるとどこかで聞いたことがあります。
ただ少子高齢化の進行については、どの先進国よりも日本が先に進んでおり、その分どう対応するか注目に値すると思います。
ハリスやティムおじさんがいうように、国を支えるのは勤勉な中産階級です。(まあ、選挙のためのきれいごとでもありますが、本心だとは信じています)特にブルーカラーの人たちが真っ当な人生をおくれない今のアメリカ(日本もそうなりつつあります)は異常ですね。
ただ……私がアメリカと信じていたのは、分断された片側だけでした。まさにおっしゃる通り、子ども時代の交友からすでに分断は始まっていました。私たちの気づかないところから。
多様性と思っていたのは、オバマ夫妻やクリントン夫妻、ハリスやティムおじさんといった、超リベラルな人たち、あるいはブッシュ親子のような話が通じる保守派だけの話で、そのさらに向こう側にいる人たちを、いくらお互いに理解し合いたいと思っても、不可能に近い状態にある、と悲しくなってしまいます。少し悲観主義的な気もしますが。
編集済
「青い目が欲しい」〜Black Lives Matterへの応援コメント
このエッセイ集の最後のいくつかを読んで、直ぐに思い出すのは、裕福な黒人(正式にはアフリカンアメリカンですが)達は、収入に合った、いやそれ以上の身なりを心掛けているということです。その理由は、偏見からくるステレオタイプをできるだけ避けるためです。黒人の多くが中流階級並みの収入を得ると、ベンツやBMWに乗り、ブランド物で服装を固めていることが多いと思います。私の住んでいる地域でも、黒人のご近所さん達は、いつも最新の高級車に乗り換えています。服装もデパートで購入した様な正装でいることが多いです。それに比べ、私はジーンズにTシャツとかばかりです。黒人は正装していてもデパートや高級ショップに行くとショップリフティングされるのを恐れられ、店員に後をつけられるのだとか。オバマ大統領でさえ経験があると言っています(さすがに大統領になる前ですが)。それも、警戒して後をつける店員は人種に関係なく起こると。黒人の店員でも黒人のショッパーの後をつけると言われています。テレビで隠し撮りもしたビデオを何度か見ました。逆に、私は、見窄らしい格好でデパートとかへ入っても(いやでも妻に連れて行かれることがあるのです)、その様な経験はありません。店員達は、アジア人は万引きなどしないという逆の偏見があります。
その昔、東ヨーロッパからの移民者が、永住権を取りに行くと、移民局で黒人の審査官に当たると苦労すると言われていました。彼らは、白人なので口を開かない限り白人の米国民と同じ扱いを受けるが、逆に、もう何世代も米国に住んでいる黒人達は、見た目で直ぐに差別されることに苛立って、移民手続きの上で嫌がらせをしてくるというのです。
コロナの流行でアジア人に対する差別や暴言が問題になった際に、その加害者の多くは、普段から差別を受けている黒人やヒスパニックのマイノリティだったのが興味深いことでした。自分達と同じ下層階級へ引きづり下ろそうとする心理だと私は察しています。そして、被害者は老人や女性に、体の小さい弱そうな者ばかりが狙われていましたよね?私は体がでかく(妻に言わせると目つきも悪いので)、そういうちょっかいを出してくる者には会ったことないのですが、弱そうな者にちょっかいを出す、とても卑怯な奴らだと思います。最近は、聞かなくなりましたが、根底にある怒りは隠れているだけでしょう。
今、共和党の大統領候補を強く支持しているのは、ブルーカラーの白人(特に中年の男性)が多いのは、黒人やヒスパニック等のマイノリティへの差別を無くそうとする方針への不満が第一の理由だと思います。裕福な(リッチな)白人たちは、これらの方針へそれほどの恐怖は覚えていませんが、米国社会で、低所得層の上に位置する白人労働階級は危機を感じているのだと思います。マイノリティが進出して来て職を失う可能性があるか同じ職を得ようと争うのは彼らですから。
似た様な事が大学でも起こっています。マイノリティを優先的に扱い、特別枠でにゅうがくさせ、奨学金も与えている現状では、白人の子供達は、残った枠を、平均すると遥かに優秀な成績を叩き出すアジア系の子供達と競争する必要があるので、八方塞がりです。
作者からの返信
確かに。知人のブラックの方々は、皆華やかできれいなお洋服でした。すてきだなとしか思っていませんでしたが、そんな事情があったかと思うと、複雑です。
移民局でのこと、似たような話を聞いたことがあります。知人が弁護士試験を受けたとき、スタッフに明らかな嫌がらせを受けて、本人よりも同級生が怒って抗議した方がいい、と言ってくれたとのことでした。(スタッフの人種は特に聞いていません。知人はアジアンです)ただ、知人はいろいろ考えて、あえて何も言わないことを選んだそうです。
スタッフの嫌がらせはともかく、コロナ禍でのヘイトクライムを始めとした暴力行為、本当に不思議です。そんな自分でいることが恥ずかしくないのかな、と。私だったら自分が恥ずかしすぎて外に出るのも嫌になるだろうな、と思います。
(たぶん、彼らは世界に貸しがあると勝手に思っているんでしょうね)
不運だということと不幸でい続けるということは全く違うというのは、こういうことなのだと思います。
某共和党候補は、そんな今の閉鎖的なアメリカの空気感に囚われた人たちを惹きつけるのがうまかったということに、2016年の時は気づかず、11月に絶望したことを覚えています。
ですが今、民主党や反トランプ派が、カマラ・ハリスのもとで一つとなりつつある現況、ほんの少しだけ希望が見えてきたような気がします。(まあ、かなり厳しいでしょうけど)
共和党大会の直後に発表したバイデンは、調整力にも優れているんだと改めて感じました。
ハリスは経済音痴だし、好きな政治家では別にないですが、初の黒人女性大統領の登場というストーリーもありますし。
オバマ元大統領はまだハリス支持を表明していませんが、慎重な彼のこと、意図がありそうな感じです。
日系アメリカ人への応援コメント
私の祖祖父は1900年に米国へ移民してきましたが、祖母が生まれた12年後には日本へ帰国しました。同じ頃、多くの日本人が西日本から移民しています。その1番の理由は、鉄道会社が大量に連れて来ていた中国人の移民を連邦議会が禁止してしまった為でした。その穴を埋めるために、日本人と韓国人に目を付けました。
祖祖父と祖母は、大戦前には帰国していたので収容所には入れられる事もなかったですが、祖母と祖母妹の夫はフィリピンで米軍と戦って戦死しています。祖母のもう2人の妹の夫も戦艦大和と原爆で亡くなるところでした。米国にいたら、彼女らの夫達は欧州前線で活躍した442nd Battalionの一員として戦っていたかもしてません。この部隊は、第二次世界大戦中の米国部隊で死傷者の数がダントツで多かった連隊でした。お陰で、授与されたメダル数も最多と言われています(most decorated)。米国市民であると証明する為に米軍へ志願した二世男性は多く、ほとんどが欧州戦へと送られました。志願すれば、通訳として太平洋戦へ送られたケースもあった様ですが、実際に銃を撃ち合うシチュエーションにはならなかったそうです。これは、米国軍首脳部が、日系人が日本軍と戦えるかを信用していなかったからでしょう。
収容所から出て来てみたら、自分達の家や農地は白人の手に渡っていたので、多くの日系人はゼロから出発しました。人種差別を含む社会の偏見も酷かったのですが、ここで、踏ん張ったのが日系人社会でした。白人よりも白人らしい生き方で社会の信用を取り戻していったのでした。Mrs. Van Hoveもその様なバックグラウンドを持った方だったのではないかとも思います。
これに関連した話で、私が米国の大学へやって来た70年代後半には、日系人の若い女性の中には、日本人男性とは付き合わないと言っていた女学生も多かったと聞きました。日本人男性の評判は、未だ対戦中のプロパガンダの影響が残っていて、chauvinistの典型の様に思われていました。それでも、私と結婚してくれた私の妻には感謝でしたが、最近、妻にはやられっぱなしです。実は、妻はそう言う日本人男性の評判は余り知らなかったようでした。眼中になかっただけでした。
作者からの返信
chauvinist、もしそうなら悲しすぎますね。日本でも、女性が「九州出身の男性は……」と言うこともあるように(ひどい風評被害です)、アジア人男性が女性に対しては威圧的で支配的だということなら(それもどうかと思いますが)言い分はわからなくもないけど、もしも「白人らしい人間になりたい」という無意識からきているものがあるとすれば、それは今のBLMにもつながる大きな矛盾というか、問題だと思います。
トニ・モリソンの小説「青い目が欲しい」のように、白人になりたいと深層心理で思っているマイノリティ、今までたくさん見てきたし、そうなってしまう気持ちは痛いほどわかります。
子供の頃、日系人の記念館?的なところに行って、そこで戦死者の名前を刻んだお墓?モニュメント?を見ました。私たちの生きやすさはここから来ているのか、と感慨深かったし、若くして亡くなった方々がこんなにもいたのかと思うととてもこわかったです。
生きやすさとは言っても、外国育ちで常識がなかったことには変わらなかったので、「差別がないのはけっこうだけど、それより早く英語力身につけてーな」と常々思っていましたが。
曾祖父さまや、お祖母さまのような方々のおかげであの空気感が醸成されていたかと思うと、先人の偉大さ、「真のアメリカ人」とも呼ぶべき人たちが先人を守り、そして政府も過ちを認めたということ、今の社会の分断に対する憤り、さまざまな思いが込み上げてきます。
天使な妹の面白エピソードへの応援コメント
可愛い妹さんですね。
私の叔父と母は、5人兄弟の真ん中で、真ん中の子はかまって貰えないと何時も言ってました。長男の私には意味不明でしたが。フルハウスでもブレイディーバンチでも同じ様に悩む真ん中の娘のエピソードがあったと思います。特に、ブレイディーバンチの「Marcia, Marcia, Marcia」は有名です。
https://www.youtube.com/watch?v=GGUUBePow10
作者からの返信
妹、本当にかわいくていいやつだったんです。本当に天使みたいでした。今は天使みは全くないふつうの女性になっていて、それも味わい深い。
The Brady Bunchのそのセリフ、かわいくて出来のいいおねいちゃんをひがむ妹のセリフなんですね。それも次女あるあるです。
編集済
天候への応援コメント
ビスケット、米国南部では人気の朝食ですね。我が家では月に2回くらいこのビスケットとソーセージグレビーの朝食です。ソーセージは、米国のブレックファーストソーセージです。妻のリクエスト(命令地も言います)で、作るのは私です。
昔は、ロスの周りの高速の中央分離帯へ水を撒いていたので、緑でした。80年代に入って旱魃がひどくなったので、この散水を禁止しました。私の住んでいたシリコンバレーも、四月から十月の間は雨が降らず、晴天が続きます。雨が降るだす11月から山が青く(緑)なり、4月には枯れ始めます。年の8〜9ヶ月は黄色の土地が、3か月だけ緑になるのが、日本や米国の中西部や頭東部とは逆で、驚きました。もう一つ天候について、イリノイ州からカリフォルニアへ引っ越したのは8がつでしたが、8月でしたが、毎日のニュースに天気予報があるのにちょっと驚きました。4月から10月まで、晴天、晴天、晴天と晴ればかり☀️なのに、天気予報が必要なのかと思いました。
私は逆に、日本へかえり、着陸後に飛行機のドアが開くと、一気に湿度が上がって、日本だ!と言う実感が湧いて来ました。ネクタイをして学会に出るのが嫌でした。
作者からの返信
Biscuits and gravy, たぶん食べたことないのに、絶対好きだって知ってるやつです! こてこてのソーセージの油が浮かんだクリームにビスケット、朝からエネルギーがわきそうです。優しいだんなさまですね。
あのフリーウェイの光景は、正直ちょっとだけショッキングで。こんなに不毛地帯なら、本当なら生き物が生きていくのも大変な場所なんだな、と感じていました。そんな事情があったんですね。確かにいつも、水不足のアナウンスがされていたように思います。
でも、日本の水蒸気が浮かぶような天候も、春はいいけど夏は地獄で。やっぱりこちらも人間が生きるような環境ではないですね(^^;)
シカゴも、シリコンバレーも、ぜひ一度行ってみたかった場所です! 特にシリコンバレーは今超インフレ化が進んでいると聞くので、円安の今ではとても行けそうにないな、と思っています。うらやましい!
ゴルフ場への応援コメント
最近、と言ってももう20年くらいは前からだと思いますが、普通の人間が泳ぐ距離では、減量ができないという話になって、実は、水温が関係していると言う話になったのでした。水温が低いプール(大抵のプールは温度を体温よりもかなり低く設定していて)で泳いだり水中エアロビックスをやっても、体は保温の為に、脂肪を貯める傾向にあるという流れになったのです。そのお陰で、温水プールで水中エアロビックスが流行りました。その辺、今はどうなっているのかは知りません。
三人娘の米国生活は、その昔流行った「ゆかいなブレディー家(The Brady Bunch)」と言う番組を思い出します。ロスに住む一家と言う設定ですが、3人の娘を持つ母親が、3人の息子を持つ父親と再婚して始まる番組でした。貴女の時代だと「フルハウス」ですかね?
作者からの返信
似た説だと、有酸素運動は20分以上やらないと体が燃焼せず、意味がないというのがありましたね。その説を真に受けた怠け者の私は、運動しても無駄、と解釈していました笑
フルハウス! 大好きな番組です。長女DJの責任感の強さも、三女ミシェルのアイドルぶりもうちの長女と三女にかぶるのですが、個人的には可愛げのない次女のステフがとても共感できて。ああ、懐かしい……。
The Brady Bunch、ステップファミリーのお話なんですね! いかにもアメリカ的で、聞いただけで面白そうです! 配信とかしてないか、観てみますね。
国と食べ物への応援コメント
twizzler、息子と妻が好きです。私たちが日本に住んでいる間に、車で15分程度のところに、日本初のCostcoがオープンしました。初めて行って会員になり、買い物をし始めて見つけたのが、でかい容器に入ったtwizzlerでした。二人は即購入、家に帰って喜んで食べてました。私は米国の菓子は、キャンディーバー等は時々口にしましたが、さすがにtwizzlerはダメです。薬品ぽい味と匂いにしか思えません。
妻は、サンホゼに引っ越してから、初めて食べた日本でよくある様なケーキは味がしないと言ってましたが、そのうち、米国の甘すぎるケーキは口にしなくなりました。
作者からの返信
fumiya57さま、コメントありがとうございます!
やっぱりアメリカで幼児期を過ごした方々は皆twizzler好きですね……。なんなんでしょうか、あのaddictionぶりは。
個人的に今でもすごく懐かしいのは、スーパーで6ドルくらいで売っていた安っぽいパンプキンパイです。シナモンがたくさん入っていて、生クリームをたっぷりのせて食べるのがすごく好きでした。
食べ物は120%日本派ですが(コスパ、味、身贔屓抜きで世界一だと思ってます)、それでも一部懐かしい味を思い出します。
ロサンゼルスに旅立つその前、そしてLAXへへの応援コメント
ポーターさんに初遭遇した時って、???ってなりますね。
私の初海外、インドでしたが、モロ世間知らずの日本人のまま行ったので、正直訳がわかりませんでした┐('~`;)┌
作者からの返信
ju-n-koさま、こんばんは!いらしてくださりありがとうございます^_^
わかります!私も全く同じでした。なんだこの異世界は、とショックを受けた瞬間でした!
日系アメリカ人への応援コメント
アメリカ人というのは、良い意味でも悪い意味でも日本人から見ると無神経に見える事が多いでしょうね。逆にアメリカ人から見れば、日本人は細かい事にうるさ過ぎる様に思えるでしょう。
アメリカ人の長所は割り切りが上手で、自分が不得意な所はそれが得意な人に任せ、トータルで合理的なマネジメントをする所。何もかも自分でやろうとしがちな日本人より効率は絶対に良いです。半面、長年の修行が必要な巧の技や伝統的技術の継承みたいなのは苦手。ここは日本人の得意な分野。セラミックコンデンサという、焼物の電子部品なんかは巧の技とノウハウの塊ですが、この分野にアメリカ企業は存在しません。両方が上手く協力すると世界一になるでしょうね。
作者からの返信
こんにちは、コメントありがとうございます!
本当に、アメリカ人は雑で。例えばお菓子の封を開ける時も、簡単に開く構造になっていなくて、ハサミ必須だったので、日本に帰ってきた時はあらゆる雑貨に感動しました。(特に一番感動したのは、コンビニのおにぎりのビニールの開け方です)
きめ細やかなアメリカ人もたくさんいたのですが、大雑把で大丈夫、そんな感じの空気感がただよっていました。
逆にアメリカ人で心から感心するのは、幼い頃から自分の考えを表現するトレーニングをしていることです。アメリカにももちろん空気を読むことはあるのですが、自分の意見、他人の意見、そこのすり合わせ。ここは小さい頃から息を吐くようにやっていて、これは人間関係の基本で、日本人が一番苦手としている部分なんだなと実感させられます。
日本人とアメリカ人、あるいは日本人同士でも、アメリカ人同士でも、全く違う存在が手を組んで何かを成し遂げることができたとき、一人でやるよりも大きな結果が出ると思います。
人間は一人一人違っていて、そここそが面倒で面白い点です。
国と食べ物への応援コメント
Twizller私も好きじゃなかったです。笑
でも結局ハイチュウなど日本のお菓子をあげるとみんな感激してくれて…日本人の食に対する意識の高さを思い知りました!
作者からの返信
ハイチュウもみんな好きですよね!
日本人の食に対する全体的な意識の高さは、誇っていい能力だと思います^_^
Lunch Recess - お昼休みへの応援コメント
日本にもアメリカにも、良いところと悪いところがある。本当にそう思います…!
性格に関しても、アメリカは堂々としてて天真爛漫で大雑把というイメージを持っていましたが、みんながみんなそうじゃなくって…。少ないですが気弱な子とか几帳面な子もいて、一個人として見ることが大切だなと思いました。
作者からの返信
こんにちは。こちらにいらしていただき、ありがとうございます!
<<一個人として見ること
本当にその通りですね!
日本人は文化的に、きめ細やかになるよう訓練を受けている気がしますし、逆にアメリカ人は、自分の気持ちをアウトプットする能力を高めることを小さいころから教育されているように見えますが、生まれ持った気質は本当人それぞれですね。
才能への応援コメント
「いいものはとてもいいと褒め称え、残念ながら特に魅力を感じないものにはノーコメント」なのは確かにアメリカ人の素直な気質ですよね。
でも、あまりに褒められ過ぎて、少しこっちが気恥ずかしくなる事もあったりしてwww
それに、相手が自分の身内をとにかく「天才だ!」「スーパーだ!」って激・激・激賞するので、どんな顔をしたらいいか、反応に困る事もありましたwww
で、その相手を激賞してた奥さんと旦那さんが、数か月には離婚してたりして(本当にあった話です)
やっぱり面白い国ですよね。まあ、向こうからしてみれば、日本の方が不思議なんだろうけど。
あ、ちなみに私、けっこう多くのアメリカ人やヨーロッパ系留学生、イラン人とかから(LA はイラン人の移民が多くって、彼らの間では密かに「テヘランジェルス」って呼ばれてるそうです)、「今まで会った中で最もクールな日本人」なんて言われてました。
でも、拙作の評価には「ハイテンション」っていう意見が凄く多いんですよね。
不思議だなあ。
長文のコメント、おまけに最後は自分の個人的な話で失礼しました m(__)m
作者からの返信
身内激褒めの直後の離婚、めっちゃわかる!!
その変わり身の速さ、素直すぎだろって思います( ̄ー ̄)
その時その時の感情を、exaggerate(誇張)して表現するから、そういうことが起こるんですよね……。(自分自身も含めて)
最もcoolというのは、すごくカッコいいと、沈着冷静が、まざってそうですね!
でもそれ、わかります。
私も、自分を100%日本人(99.99%?)と思っていたのが、日本に帰ったら、100%アメリカ人ってよく言われて。
アメリカでは、温厚って思われていたのに、日本ではいつも明るくて元気、と言われて。
どっち!?といつも思います笑
たぶん、両方を経験して、その真ん中ら辺にいるんでしょうね。
私は、最近はアメリカ人は明るい、日本人は優しい、という風に表現することが多いです。
もっと言えば、アメリカ人は大らか、日本人はきめ細やかって感じですかね。
最近のLAはイラン系の方が多いんですね!
私が住んでいた頃は、一番多いのはラテン系かアジア系でした。
時期が違うと、雰囲気も変わるのが面白いですね!
国と食べ物への応援コメント
本当に、当時のアメリカの食事やお菓子って美味しくなかったですよね!
食事は大味、お菓子は超甘々なだけで……
でも、私が住んでいた10年程の間に、だいぶ改善された気はしますが。
私が今も食べ物にうるさくて、そんなテーマの物語とか書いてるのも、ひょっとしたら当時のトラウマのせいかも。
よろしかったら拙作「フィーネ・デル・モンド」も覗いてみて下さい。
カルチャーショックと美食のファンタジーです (^_^)
作者からの返信
本当、ご飯美味しくなかったですよね。
正確には、みんな大ざっぱで、そんな大ざっぱな味で十分満足して、美味しそうに食べてて。
今のアメリカは違うんですね!また改めて住んでみたいです^_^
ヒラメのポワレも、美味しそうですね!今度やってみます(๑>◡<๑)
ロサンゼルスに旅立つその前、そしてLAXへへの応援コメント
おお! 私も学生時代 LA に10年ばかり住んでました!
似た経験をお持ちの方がカクヨムに居られて感激です。
勝手な荷物運びのチップとか、庭に野生の(尻尾の毛が硬くて立った)リスや、どこからか現れたボ~ッとこっちを見てる鹿とか、夜に郊外の住宅地の友人宅に行くと時々遠くに聞こえるコヨーテの鳴き声とか。
楽しい事や大変な事、いろいろありましたけど、あれもこれも今は貴重な経験です!
個人的感情も込めて ☆☆☆ を押させて頂きます。
実際にお会いして、お話してみたい (^_^)
作者からの返信
わー、Evelynさまそうだったんですね!
実はこのエッセイは、海外暮らし(特にアメリカ)をするティーネイジャーや、そのころに海外暮らしをしていた方が読んでくださる姿を想像しながら書いたという裏事情がありまして。
まさか、Evelynさまが、しかもLA在住だったとは!!
びっくりだし、すごくうれしいです!!
そうそう、コヨーテ、夜になると現れましたよね!
父が早朝に、走り去る姿を目撃したとか言ってました。
鹿も、妹が我が子のように大切に育てたひまわりを、食べられてしまったこともあります。
あのからっとした暑さ、湿度がない空気感、本当に懐かしいですね。
ハチーミーツー・セイトー 蜂蜜の里への応援コメント
名前の発音となると、北欧も中々大変ですね。
サッカーで有名なSolskjærはスールシャールなのかソルスキアなのか、な具合で。
自分でネタにしていた人もいたような(^^;)
一方、名前が読みやすいフィンランドは言語体系がインド・ヨーロッパ系ではないので周辺国には言語が分かりづらいみたいな話も……
作者からの返信
川野さま、ありがとうございます!
ああああ……確かに私も、発音できなそう……。いろんな国の方がいらっしゃいますね!ネタにする気持ち、わかります。
例えばこの間コメントさせていただいた則天武后も、当然現地での発音の仕方は全く異なりますものね。国を渡ると、いろいろ変わってしまうのも、まあ、無理もないですね。