第16話 ライズ アンド トゥルース

 この道沿いには飲食店らしき建物はなく、中央大通りを東へと進ませていくと、左側にファーストフード店と、カレー屋の看板が見えてきた。


 確かここは中央線、吉田駅付近。Kは多分ここで指示キーを出すのだろうと思った。が、私の視線だけを残し、その側を勢いよく通り過ぎて行った。


 確か初めてKの家へと行った時、この道を通った。


『まだ一か月余りしか経っていないにも関わらず、こんなに懐かしく感じるのは、この間に色々な事が私の側を通り過ぎたからなのだろう…。』


 そんな事を想いながら過ぎゆく景色に視線を這わしていると、バイクは外環状線への交差点に差し掛かり、信号は赤。時間帯はあの時と比べて早く、車の交通量は確実に多い。車のヘッドライトやテールランプが煌びやかに流されていき、ここから先にある新石切駅や、まだ営業している商店の光が夜空を照らし出していた。


 バイクの指示キーは左に焚かれていて、それはこれから北の方面へ向かう事を意味する。先ほど通り過ぎたお店に目も暮れなかった事と、敢えて北方向を選択しているという事は、もしかすると彼なりに思うお店があるのだろうか…。


 そうこうしている内に信号は青へと変わり、どこに連れて行ってくれるのだろうと期待に胸を膨らませていた矢先、そんなに進んでいない内に、Kは右指示キーを炊き始めた。対向車の為、バイクを止めたその右側には、どこにでも存在しているファミレス店。


「えっ?」私は小さく声を漏らしていると、対向車が切れ、バイクはファミレスの駐車場へと入っていった。


 バイクを駐輪場へと止め、エンジンを切る。道を過ぎゆく車の音が微かに聞こえ、私達はヘルメットを脱いだ。


「Kさんは、いつもこのファミレスに来るの?」

「いや、このファミレスに来た事は一度もないよ。何で?」


 駐車場にはそれほど車は止まっておらず、きっと店内は静かであろう。


 それよりも逆に聞き返された質問。それにどう応えていいか分からず、たじろいでいると、


「まあ、いいじゃん。お腹空いてるんだろ?早く店の中に入ろうっ!」


 Kは私の手を優しく握りしめ、店の入り口へと歩を進ませ始めた。冷たいKの手が、妙に温かく感じる…。


 扉を開け、店内へと入る。ほどよく暖房の効いた室温と、静かなピアノサウンド。店員が私達の側に寄ってきて、喫煙席か否かの問いに、彼は意外にも喫煙席を選んだ。


 二度ほど行ったKの家は、煙草の臭いなど一切感じ取る事はなく、灰皿も煙草も見た事がない。なのに何故、喫煙席を選んだのか。


 喫煙ブースはどこも空席で、この部屋の一番端に位置する場所。六人くらい優に座れるテーブル席へと誘導され、私は壁際、向かい合うようにKは座った。店員はメニュー表をテーブルへと置き、「お決まりの際は、ブザーにて私達にお知らせ下さい。では、ごゆっくり。」そう伝えて、この場から離れていった。


「佳織ちゃん、俺奢るから何でも注文してねっ!!」


 どこか嬉しそうにメニュー表を眺め始めたKに、私は問いた。


「Kさん煙草吸うの?」

「えっ?うん、吸うよ。何で?」

「Kさんの部屋。煙草の臭いしなかったから…。」


 Kはこちらへと視線を向けた。


「俺は煙草吸う時、いつもベランダで吸ってるんだよ。一応、人と会う予定がある時はなるだけ吸わないように心掛けてるんだけど、もう限界だ。嫌なら席変えて貰うけど…。」

「いや、私も時々吸う事あるから大丈夫…。」

「そか、それならよかったっ!!」


 Kは笑顔でそう言うと、テーブルに銀色のジッポライターと煙草の箱を置き、再びメニュー表へと視線を向けた。


 愛煙家の男性が著しく減少している昨今。煙草の臭いを嫌う客がやけに増えていた。気にしない嬢は全く気にしないのだが、プロフェッショナルを常に意識する私としてみると、臭いがするよりしない方が無難と解釈し、仕事外でふと吸いたくなった時に吸うだけで、普段は煙草を持ち歩かなくなった。


 何よりKのこの新たな一面を垣間見た事で、これから何を見せてくれるのだろうと更なる興味が沸いた。が、これからの出来事により、プライベートで逢う事がこれで最後になるかもしれず、現時点ではまだ期待を持つべきではない。そう思いながら、視界に映らないメニュー表を眺めていると、


「俺メニュー決まったから、佳織ちゃんも早く決めちゃいなよ。」

「あ、うん。ちょっと待ってね…。」


 お腹が空いていた感覚さえも忘れるほど、食欲に執着しなくなっていた私は、


「Kさんと同じものでいいわ。」


 私の応えにKは笑顔で頷き、テーブル端にあるブザーを押すと、店内全体に『ピンポーン』と、甲高い音が鳴り響いた。するとすぐ様、店員が現れ、「御注文をどうぞ。」と笑顔で言った。


「照り焼きハンバーグのライスセットと、ドリンクバーを二つ。」


 Kの注文を店員は復唱し、ドリンクバーの説明を軽く促してその場を去っていった。


「ドリンクバー取りに行くけど、佳織ちゃんは何がいい?」


 その場に立ったKに、「ありがと、私はウーロン茶で…。」「分かった、ちょっと待っててね。」Kの背姿を眺めながら、私は様々な事を思い返し、懸命に思考していた。


『あの時、泣きながら訴えているKの姿に私は心を動かされ、Mとの決別を心に決めた。KはMの存在は愚か、何も知らないまま、ただ単純に私の事を好きになってしまった。

 この肩に残した形は、これまでの事を悔い改め、これからの事を真面目に考えていくという決意を心に刻む為。もし、私の全てを知って離れていくのなら、夢が浅い内に覚めるのなら、Kにとってはいい事であり、それはそれで仕方がない事。

 まずはこれをKに見せ、自身の事を話すか否かを測る事にしよう。そう、そうしなければ…。』


 まだ料理が運ばれるには早すぎる時間で、入り口には来客する姿はない。


「佳織ちゃん、お待たせ。しかし、この店お客さんいないねぇ…。」


 テーブルへとグラスを置き、こちらへと話かけてきたKに、


「Kさん、一つ見て頂きたいものがあります。こちらへ来ていただいても構いませんか?」


 いきなりの声にKは驚いた表情を浮かべ、こちらへと近づいてきた。


「横へ座って。」

「えっ?う、うん…。」


 Kは私の横へと座り、何とも言えない表情を浮かべながら私の方へと視線を向けていた。店内は相変わらずピアノサウンドが静かに流れているだけ。


 私は羽織っていたコートを背中の半分まで落とし、右手で左肩のカーディガンをめくった。私の肩には今、煙草の箱より少し大きいくらいのガーゼが貼られてある。


「えっ!?佳織ちゃん、何を…?」


 顔を向ける事なく、私はそっと呟くように言った。


「私の肩に、ガーゼが貼られてあるでしょう?それを取って頂けませんか?」


 何が何だか訳が分からないKは、私の言う通りにせざるを得ない。医療テープをたどたどしく剥す指先がそれを物語らせている。やがて、ある程度剥され、ガーゼが完全に取り除かれたその時、


「ええっ!?か、佳織ちゃんっ、こ、これはっ!!?」


 仰々しく叫ぶ声。そこで初めて、私はKの方へと視線を向けた。


 過去の清算と、現在を修正し、未来に紡ぐ私なりの決意表明を心と体に刻んだ形。それは、左肩に煙草の箱より一回りほど小さめの、青い蝶々のタトゥ。Kはただ目を白黒とさせながら私の肩を見尽くしていた。


「い、いや。佳織ちゃん。この間、家に来た時は、これ入っていなかったよね。いつ入れたの…?」

「ん?今日の昼間に入れたばかりよ。」


 微笑んで見せた私の顔を光の宿っていないKの瞳には、その疑問と困惑という二文字がはっきりと浮かんでいる。この時点ではまだ何も語る必要はなく、とりあえずこの奇抜な行動に対し、どう反応するのかという事だけ確認できればいい。


 そして私は、Kの次なる行動を促す為に、新たな質問をKに投げかけた。


「私は気に入ってるんだけど、Kさんはどうですか…?」

「うん…。タトゥが生で入ってるの初めて見たけど、こんな綺麗に入るもんなんだなぁって思った。あー、びっくりした。ちょっと触っていい?」

「えっ?…え、ええ。でも、入れたてだからあんまりしっかりとは触らないでね。」


 物珍しそうに驚きの声を上げながら、一本指で肩にそっと触れ始めたK。このタトゥを入れた経緯や思惑を根掘り葉掘り聞き出すと思いきや、この反応が意外すぎて私は正直驚きを隠せなかった。


 先ほどKは生タトゥを見た事がないと言った。来ている服のセンスから、ファッションに一切興味がない訳ではないとは思うのだが、Kの耳にはピアスさえも入れられていない。もしかすると厳格な両親に育てられたのかも知れず、そんなKなら、タトゥを入れた私に対し、訝しく思うはず。が、寧ろそれを否定せぬまま、私の肩に視線釘づけであり、逆に私が何か補足をしなければならないのかもという感覚に陥っていた。


「これをKさんに一番に見て貰いたかったの…。」


 Kの輝かせている目と視線がぶつかった。


「こんな珍しい物、一番に見せてくれてありがとう。光栄だよっ!で、何で俺に初めて見せたいと思ったの?」


 私は透かさず心の中で『そこにはすぐに疑問を抱くのかっ!!』と突っ込みを入れた。愚直というか、無頓着というか。まあ、それはそれでいいのだが…。


「ええ。Kさんに出会って、私の中の何かが変わったの。それはまだ何かはっきりとは分からないけど…。とにかくKさんに一番に見て欲しいと思ったの。」

「うん、わかったよ。ありがとう。あ、佳織ちゃん。そろそろ料理来てもおかしくないくらいだから、肩を隠しなよ。」


 その言葉に私の中で一つの結論に至った。


『今はまだこの事に対し核心に迫る時ではないと感じている事や、私の思惑をやはり感づいているのかも。Ⅰとは違い、ただの馬鹿ではなく、やはりKは傑物の類なのだ』、と。


 私は衣服を元通り着直し、Kは元の席に戻ってコーヒーをすすっていた時、どこからともなく和風ソースの焼ける香りが漂い始め、


「お待たせ致しましたー。照り焼きハンバーグライスセット、お二つお届けに上がりましたー。」


 メニューを台に乗せ、店員がこの場へと現れた。ジュウジュウと音を立てている鉄板、ライスとミニサラダが私達の前に置かれ、「ごゆっくりどうぞー。」と、店員は台を押しながらこの場から離れていった。


 タトゥを見せるというミッションを既にコンプリートしている為か、はたまた視覚と臭覚と聴覚を同時に刺激する目の前の物のせいなのか、忘れていた空腹が一気に蘇ってくる。


「お腹空いたね。さあ、佳織ちゃん。いただこうか。」


 Kは料理へと手を合わせると、ナイフとフォークに手をかけ、ハンバーグとライスを同時に大きく貪った。よほどお腹を空かせていたのだろう。勢いよく、豪快に食べるKの姿をしばらくの間見尽くしていると、「冷めない内に佳織ちゃんも食べなって!これはうますぎてヤバいっ!!」と、Kは口を隠して訴えていた。

「う、うん…。」


 フォークとナイフでハンバーグを小さく切り、口へと運ぶと、和風ソースと肉汁が口の中で優しく溶け合い、放漫な薫りが瞬時に鼻を抜けていった。


「お、おいしい…。」


 私の反応に、Kは大きく頬張らせながら笑顔で親指を立てる仕草をこちらへ向けた。


 しばらく二人は夢中で料理を堪能し、ドリンクバーをお代りしながら取り留めのない話題で談笑し合っていた間、この部屋にも客が一組、二組と増えていき、気がつくと静かなピアノサウンドが聞こえなくなるほど、ファミレス全体が騒がしくなっている事に気がついた。


 携帯を見ると現在、時刻は二十一時五十八分。コンビニにいた時から、早二時間という時が流れている事に二人驚愕し、これからの予定を話し合った。


 K曰く、寒くなると空気が澄み、夜景がとても綺麗に映り、雨が降った次の日は更に格別との事。ただ、未だ山から見る大阪の夜景を見た事がないらしく、せっかくなのでこれから夜景が見えるスポットを二人で探しに行こうとKの提案。それを断る理由などなく、私は笑顔で相槌を浮かべて見せた。


「とりあえず山を上がっていけばどこかにたどり着けるはず。よし、決まりっ!!」


 そう言いながらKは伝票を手に持ち、意気揚々と会計へと歩を進ませていく背姿を眺めると、何だか私も嬉しくなってきて、Kを追いかけるようにその場から離れた。

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