36 手作りのクッキー
某日。倉科邸。
私は一条くんの為にクッキーを作っていた。作り方は家庭科の授業で習ったからバッチリだ。あの頃が懐かしいなー。振り返ってみれば3ヶ月も前の事だ。私は過去の思い出に浸っていた。
時は戻って一時間前。
「あーやばいやばい。寝坊するー」
ベッドから飛び起きた私は急いで部屋から出た。
階段を走って下り、妹を避け、洗面所へ向かう。着替えてから、お気に入りのピンクの水玉のエプロンに袖を通した。家庭科の授業で使っていたのと同じ物だ。そして、キッチンへと向かった。今日は愛しの彼へクッキーを作ると決めていたのだ。
材料を一通り揃え、いざ調理を開始する――と思ったのだが。
「お姉ちゃん、朝ごはんならもう出来てるよ。何作ろうとしてるの?」
妹が口を挟んできた。
「ああ、これはお菓子よ、お菓子。甘いものが食べたいなー、と思って」
「えっ、お姉ちゃんってそんなにお菓子食べなかったわよね? 誰かにあげるの? ひょっとして、彼氏とか?」
「な、な、な、自分用よっ! 彼氏なんているわけないじゃない」
妹はかなり鋭く、察しが良い。だから、あまり誤魔化せない。
「ふーん。なんか今日のお姉ちゃん、変」
変、と言われ、ショックを受ける私でした。
妹が立ち去った事だし、早速調理に取りかかろう!
まずは砂糖や小麦粉を混ぜる所から。
一条くんって甘いのが好きなのかな。それとも甘さ控えめの方がいいのかな。確か……ヤマシタ・ベーカリーではブラックコーヒーを頼んでいるからっ! 甘さ控えめか。そういう結論に至った。
一条くんは気に入ってくれるかな。お口に合うかなあ。きっと彼のことだから、どんな物でも受け取ってくれると思うけど。やばい、自信無くなってきた……!
砂糖を少なめに入れて、混ぜた。
次は型だ。どの型がいいんだろう。ハート、丸、四角、星。ハートだと思いが伝わり過ぎる気がするし……好きって気持ちは彼に伝わったら恥ずかしい。まだ告白もしてないのに。って、クッキーを直接あげる勇気、私にあるんだろうか。今、重大な事に気づいた気がした。
丸と四角と星で迷ったが、星は子供っぽい、四角は食べにくそう、という理由で最終的に丸に決めた。
丸の型に溶かした材料を入れ、オーブンで焼いた。焼いている途中、ドキドキしていた。
美味しく仕上がるかな。香ばしい匂いがしてきた! 出来上がったら自分が全部食べちゃわないか、が心配だ。
「お姉ちゃん、香ばしい匂いしてきたんだけど。まだー? 朝ごはん出来てるから早く食べて」
「もうすぐ終わるから! 待って」
チン。
オーブンが鳴った。
早速、取り出す。
取り出して皿に盛り付けた。
「わぁー美味しそう!」
思わず口に出していた。
「クッキーじゃん」
後ろでひっそりと様子を窺っていた妹が言った。
まずは味見の一枚を食べる。全部で8枚作った。
「美味しい。けど、甘くなくて深いって感じ。一条くん、気に入りそう……」
「私も一枚もーらい」
妹が隙間から忍ばせていた手を伸ばし、さっと取りパクっと食べた。
「あー! 何で食べちゃったの!? それ、一条くんにあげるやつなのに……」
「一条くんって誰? やっぱり彼氏? でも彼氏だとしても7枚もクッキーあげたら多くて食べられないよ」
「最低!」
私は激怒した。勝手に食べられた事に相当不快感を催した。
「どっか行って」
「はいはい、朝ごはん食べに来てね」
妹は去っていった。
私は透明の袋にクッキーを五枚入れ、ピンクのリボンで結んだ。袋に入れなかった一枚は瑞季ちゃんに試食してもらおうと思った。これで準備万端。明日、勇気を出して彼にあげるんだ。頑張れ、倉科和花。
朝食の時間は終始無言だった。ただただ沈黙が流れていた。それに妹とも目を合わせない。また喧嘩しちゃったな、と嫌な気持ちになったが、反省はしなかった。
そして、バイトに出かけた。
***
今日、初雪が観測された。今もしとしとと粉雪が降り続いている。店の窓からでも、白い粒が上空から落ちてくるのが分かる。車や屋根には雪が積もっていた。もう冬になり、12月だ。期末テストももうすぐ。
雪は寒いが、朝早くに店の窓から見れる雪景色はどこか落ち着く。店内のBGMとも相まって、先ほどの喧嘩の鬱憤すら掻き消してしまうほど良かった。
雪だからあまりお客さんも多くない。
そんな中、見知った顔の客が来た。
「い、いらっしゃいませっ」
店のドアの方へ向かうと。
「やっほー倉科ちゃん。雪降ってるねー」
「そうですね。って瑞季ちゃん!? 何でここに?」
「日曜日だし、暇潰し程度に」
瑞季は傘を置き、カウンターへと向かった。理玖は雪だから珍しく来ないらしい。
「あの、その手に持ってる袋は何?」
「手作りのクッキー」
家庭科の応用と話したら驚かれた。そして、理玖にあげる事も伝えた。
「そ、それで瑞季ちゃんに試食してもらおうと思ったの。本当は学校で食べてもらう予定だったんだけど」
倉科さん的には良い機会だった。本当に今日来店してもらえて、喜んでいた。
倉科さんは瑞季にクッキーを一枚手渡した。早速、食べてもらった。
「美味しい! クッキーの小麦の良さが出てるよ。良いと思う」
「一条くん、気に入ってくれるかな……?」
「彼、甘いの苦手だから気に入ると思うよ。何より、倉科ちゃんから貰った物なら何でも気に入ると思う。喜ぶよ、きっと」
瑞季の言葉に彼女はニヤニヤして、胸が躍った。
「明日だね」
「うん!」
「倉科ちゃん、理玖に直接渡せるの? 恥ずかし過ぎて躊躇いそうだけど」
「どうだろう……緊張する。瑞季ちゃん、手伝って」
「手伝わないー」
「瑞季ちゃん、代わりに渡してきて」
「本当にそれでいいの?」
真顔で問われ、倉科さんはふるふると頭を振った。
「自分で渡す!」
話が終わり、瑞季はフランスパンを取った。
「今日はフランスパンを買いに来たの」
フランスパンをレジに持っていこうとした瑞季。
「お茶していかない?」
「今日はいい」
「お買い上げありがとうございます」
ここは営業らしく振る舞う。
瑞季は理玖に勉強頑張る交渉道具として、フランスパンを買ったのだ。この大きなフランスパンを一人で食べるのには無理がある気がするが。
「雪、綺麗だね」
「ほんと、綺麗」
雪はキラキラと反射して光っている。小さい頃、雪だるまを作った思い出が蘇る。
「明日は降らないといいなあ……」
小さく倉科さんは呟いた。屋上で渡す予定だから。
「明日、頑張ってね。バイトもね。陰ながら応援してるから」
「ありがとう」
カランコロン。
瑞季が店からいなくなった。
残りの仕事をこなし、今日という一日が終わった。倉科さんは理玖が店に来ない事を寂しがっていた。その代わり瑞季が来た事で寂しさが紛れた。
「明日、クッキー渡すの緊張するなぁ……忘れないといいなぁ……」
この時から心臓がもちそうにない倉科さんだった。今夜はあまり眠れなかった。
***
翌日、倉科さんはクッキーを鞄の中に入れて学校に持ってきた。周囲の人々はお喋りをして、教室内は大変賑わっている。
彼はいつも通り、瑞季と喋っている。倉科さんも瑞季のように、彼と仲良く喋りたいなー、と羨ましがっていた。
「あー期末テストやだなー」
「そんな理玖の為に昨日フランスパン買ってきたよ」
フランスパン、という単語に反応した俺。俺は瑞季が休日にヤマシタ・ベーカリーに足を運んでいる事に驚いた。ポイントカードまで作る始末だし。
「絶対、飴と鞭にするつもりだろ」
「バレたー?」
「バレたじゃねえ」
彼がいつも通りなようで倉科さんはホッとした。
俺はもうすぐ期末テストという事実が憂鬱だった。窓の外をぼんやりと眺めた。
***
倉科side
二時間目終了後の休み時間。
あー渡せない。そもそも話しかけられない。
三時間目終了後の休み時間。
どうしよう……緊張する。やばい、ドキドキが止まらない。
彼の席へとゆっくりと歩き出した。足が震える。思うように進まない。
理玖はそのまま教室から出ていってしまう。
え!? トイレ?
一条くん、トイレ行き過ぎじゃない? 病気なんじゃ……。
彼がいなくなった後、理玖の前の席に座る取り残された瑞季に話しかけた。
「瑞季ちゃん、一条くんに話があるって言ってくれない?」
「分かった」
***
倉科さんから話があると聞いた俺は昼休み、彼女の席へ向かった。
「で、話って何だ?」
「放課後、屋上に来て? 渡したい物があるの」
え? これって告白なんじゃ。とうとう学校一の美少女に告白される時が来たか……鈍感な俺でもそのくらいは感じ取れた。
「わ、分かった」
「でも、今ここじゃダメなのか?」
「ダメなの」
「あ、でも――放課後は部活あるから無理かも」
「えっ」
倉科さんは心の準備が出来ていなかった。放課後が無理なら昼休みしかない。バクバクと動く心臓。紅潮する頬。でも、今日渡さないと持ってきた意味が無い。勇気を出すんだ、倉科さん。
「じゃあ、今から屋上に来て」
言えた。倉科さんは頑張った。
「おーけー」
優しい彼は自分のことよりも人のことを優先してくれる。俺はパンを持ちながら、屋上へと向かう。その様子を見ていた瑞季は親指を立てて、微笑んでいた。
スカートの裾が揺れる。倉科さんは俺と一緒に廊下を並んで歩いていた。あまり並んで歩く事が無かった。周りからはカップルと思われてもおかしくない。
屋上のドアの前に着くと倉科さんは深呼吸した。何かあるに違いない、と俺は思った。
屋上に入り、外の空気を吸う。昨日、雪降ったから、端には雪が残っている。
「それで渡したい物って?」
倉科さんはポケットに入れておいたクッキーを取り出す。顔は真っ赤で視線すら合わない。
「これ……良かったら食べて」
「クッキー? もしかして手作りだったりする?」
「うん、手作り」
そう言って、彼女は笑った。その笑顔でこの空間が明るくなった気がする。
「ありがとう、嬉しい」
「でも、どうして俺なんかの為に?」
「一条くんにはいつもお世話になってるから。家庭科で作ったのをまた作りたいって思ったの。あの家庭科の授業も私にとっては良い思い出なんだよ」
「いやいや、俺の方こそ倉科さんにいつもお世話になってる。クッキー美味しく頂くね」
彼女が俺に手作りのお菓子をあげるという事は少なからず、俺に好意を持っているという事だ。その事で不思議な気分に陥った。お返しって何がいいんだろう。
そして、そのまま屋上で二人で昼飯を食べる事になった。
「だから、いつも購買のパンだと栄養偏るって言ったじゃん!」
「でも、美味しいんだからいいだろ、別に」
強引に彼女は自分の弁当を食べさせる。喧嘩が出来るくらいに仲良くなった。倉科さんは俺と喧嘩がしたいと言っていたようだから、願いが叶ったというのか。
「クッキー、一枚、今食べていいよ」
彼女の言葉に逡巡しながらも、袋からクッキーを取り出した。香ばしい匂いが封を開けただけで分かった。一枚、ぱくりと食べる。
甘さ控えめで好みだった。食感も良いかんじ。
「美味しいよ。倉科さんって料理上手なんだね。良いお嫁さんになりそう」
お嫁さん!?
倉科さんは飛び上がる。
「お嫁さんって……! お嫁さん!?」
「なんか変な事言ったか?」
「ううん。美味しいって言ってもらえて良かった。また作ってきてあげるね」
俺は頷いた。
「それで、何で俺にここまで尽くしてくれるのか?」
「それは……」
好きだから、なんて言えるわけがない。今はフラれるのが怖かった。だから、倉科さんはこう告げた。
「一条くん、だから、かな」
彼女はにまっと満面の笑みを見せた。はにかむと現れる八重歯が可愛い。
「何それ」
俺もつられて笑ってしまった。
雪が降った次の日の晴れた屋上は心地よかった。太陽が雪を溶かしていく。
俺と倉科さんは屋上を出て、教室に戻った。授業が始まるギリギリだった。
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