第22話 思いがけぬ再会
第1話で書いたように、私は作文が嫌いだったが、国語のテストも嫌だった。例えば、国語のテストでは、
「どうして〇〇は△△したのでしょうか。」とか、
「どうして〇〇は□□と思ったのでしょうか。」
といった問題がある。選択問題なら、それらしい答えを選ぶこともできるが、記述式の場合、大抵、私は撃沈してしまう。だいたい、なぜそのようなことをたずねるのか理解に苦しむ。そんなことは、所詮、作者にしかわからないだろうと、いつも心のなかで悪態をついていた。
国語のテストでは、ある作品の一部を問題として使用することが多い。嫌いな国語のテストの内容など、終わってしまえば忘れてしまうのだが、強烈に覚えていた問題があった。
お針子の娘達の話で、一人、非常に腕のいい娘がいる。白地の着物を仕立てているのだが、他の娘達がその娘に意地悪をして、わざと赤い糸を渡す。だが、その娘は赤い糸で白地の着物を見事に縫い上げる。着物の表には、芥子粒ほどの赤い糸も見えないほどの見事な仕上がりだった。
問題は、「赤い糸をわたされた〇〇(娘の名前)は、ゆうゆうと、自分の針に赤い糸を通したのはなぜか述べよ。」というもので、いつものごとく、私は撃沈したのだが、仲間の意地悪に負けなかった娘のエピソードは、非常に印象に残ったのだ。後日、私はこの物語と再会することになる。
第21話で紹介した数学のU先生が、授業の合間に、もっと、文学作品を読むようにと言われた。ご自分は山本有三の「路傍の石」に感銘を受けたとのことで、柄にもなく、私は「路傍の石」を読んだのだ。日頃、嫌な顔ひとつせずに、塾の宿題を教えてくださるU先生を敬愛するようになっていたので、反抗期真っ盛りだったはずなのに、私はU先生の言われることは聞くようになっていた。
驚いたことに、意地悪な仲間に渡された赤い糸で、見事に白地の着物を仕立てあげた娘は、主人公の母親だった。U先生のように、「路傍の石」に感銘を受けることはなかったが、その後、これをきっかけに、私は、少しずつ、夏目漱石や芥川龍之介の作品を読むようになった。
ちなみに、赤い糸をゆうゆうと針に通したのは、縫い上げる自信があったから、というのが模範解答だったが、私は、そんなことはどうでもよかった。あの凛とした娘に思いがけず、再会できたことのほうが嬉しかったのだ。もっとも、赤い糸で白地の着物を仕立て上げるようなことは、私はできそうにない。
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