第20話 窓の外に
中学校に入学して何よりもほっとしたのは、教科ごとに先生が変わることだった。嫌な先生でも、その時間だけ我慢すればいいだけのことだ。幸いなことに、前に書いたような小学校の先生方のようにぶっ飛んだ先生はいなかった。ただ、閉口したのは「国語ノート」と呼ばれるものだった。要するに、何でもいいから書いて、国語の先生に提出しろというのだ。他の教科の宿題もあるだろうから、特に提出期限をもうけないというのだが、書くことが嫌いな私にとっては苦痛でしかない。
中学生である。思春期のややこしい年頃の心のモヤモヤなど、大人にわかりっこない。だから日記的なものはごめんこうむる。学校行事の感想などもいやだ。みんなややこしい年頃なのだ。小学校の頃は仲良くしていても、中学校に入学してからは、ぐれて、とんがって、うかつに近づけない子もいる。無邪気に行事を楽しんでいた頃とは何かが違う。特に女子はグループを作り、常に一緒に行動する。そんな中で、さほど強くないメンタルの持ち主でありながら、一匹狼のように振る舞っていた私は、浮いた存在だった。
現実の世界からの逃避だったのか、それとも血迷ったのか、私は柄にもなく詩を書いた。タイトルは「窓の外に海があった」というもので、窓から見える瓦屋根に日差しが当たっている様を海にたとえたつもりだった。私は初めて書いたにしてはなかなかのできだと、自己満足をして提出したが、読まされた先生の方は、多分、何のことか意味がわからなかったのだろう。何もコメントはなかった。致し方のないことだろう。私の住んでいた田舎には田んぼや畑があっても海はなかったのだから。その後、自尊心が傷ついた私は、国語ノートに詩を書くことはなく、さりとて文章はごめんなので、無理矢理、短歌や俳句を書いた。とにかく、あかの他人なんかに自分の心の内側なんぞ見せてたまるかと思い込んでいた。もっとも長い文章だろうが、短歌や俳句だろうが、心情があらわれて当然なのだが、中学生の私はとにかく突っ張っていた。
今、寝起きしているアパートの部屋からは瓦屋根は見えない。隣は物流関係の倉庫で、早朝からトラックやドライバーさんの出入りで賑やかである。おかげで、朝寝坊をする心配もない。空想の海よりも、確かな人の営みが感じられて、素直にいいなと思える。当たり前のように頼んだ物が届く生活に慣れきっていたが、改めて、社会生活を支えてくれている人達に感謝するとともに、本当は彼らがもっと報われる社会であるべきだと強く思う。
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