第21話 数学の先生
「ええか。今度、来やはった数学の先生はすごい人なんやで。ほんまやったら、こんな田舎の中学校で先生をする人やないんやで。ある会社の研究所にいやはった人なんやから。なんや、プロジェクトが中止になったとかで、会社を辞めはって、来てくれはるんやから。」
くどくどと担任のK先生が説明するのを私も含めて、生徒達は白けた表情で聞いていたと思う。そういえば、新任の先生の紹介の時、U先生のことを、
「理科と数学の先生です。」
と、校長先生が言っていた。私達は数学を教えてもらうらしい。
U先生は三十代半ばぐらいだったが、当時の私からは、おじさんにしか見えなかった。背も低いし、小太りで、髪の毛は七三に分けて黒縁めがね‥‥まかり間違っても女子中学生が惚れるわけがないタイプである。ところが、言葉というのは摩訶不思議な力があるらしい。K先生の「ほんまやったらこんな田舎の中学校で先生をする人やない」という言葉に惑わされたのか、引きずられたのか、私はU先生に数学の質問に行くようになったのだ。
私は国語も嫌いだったが、それ以上に数学も嫌いだった。中学生になってから、学習塾に通うようになっていたのだが、塾の数学の宿題の多さには辟易していた。誰か助けてくれる人が必要だったのだ。他の先生とは違うすごい人ならば教えてくれるかもしれないと直感的に思ったのだ。放課後、職員室で、
「塾の宿題なんですけれど、教えてもらえませんか?」
と言うと、
「いいよ。数学だろう。」
と快く、U先生は言ってくださった。元々は会社員で、教師になってから日が浅いのか、先生くさくなく、気さくな人柄のU先生は、いつも
「おもしろいねえ。この問題。」
と、笑顔で、実に楽しそうに問題の解説をしてくださった。数学のどこが面白いのかと不思議に思いつつも、本来、勉強というものは、U先生のように楽しんでやるものではないだろうかと思った。その後、私が数学を得意になることはなかったけれど、大人になった今でも、先生の笑顔を覚えている。
話がそれるが、2020年に放映されたNHKのドラマ「ノースライト」で強烈に印象に残った言葉がある。劇中で、ある芸術家が遺した詩という設定で登場するのだが、その詩は、以下の通りである。
「埋めること 足りないことを埋めること 埋めても埋めても足りないものを ただひたすら埋めること」
当時の私の家族関係は最悪だった。高校の教師である父は勤務先の学校で様々な問題があり、私とはほとんど家で顔をあわさなかった。母はというと関心事は私の「成績」で、親子の対話など皆無に等しかった。ちなみに、世間体を気にする母の気質は、私は今でも大嫌いである。そんな私にとってU先生との時間は非常に貴重なもので、その後の人生にも影響したように思う。完璧な両親や家庭などこの世に存在しない。人はみな、何かしら満たされない思いを抱えて生きていかなければならない。ただ、生きていく中で様々な人達と出会うことで、自分に足りないものを埋めていけるのだろうと、また、埋め続けるしかないのだろうと、今は思える。
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