第2話 兄と妹2

リーリエ10歳の夏の日、彼女の考案のシルクのように薄く削った果実氷に、更に甘く煮込んだ果実の蜜を掛けた冷たい菓子(いわゆる果実ジャムをフワフワかき氷に掛けたもの。もちろん作ったのは兄ルドルフだ)を食べていたときだった。リーリエは淑女らしからぬ動きで氷を口の中にかき込んでテーブルに突っ伏して「うー…」と唸った。ひとつため息をついてルドルフが何事か言おうとした時、突然顔を上げて叫んだ。


 「これ、乙女ゲームの世界だわ!」


 ルドルフの目が点になっている。リーリエとて、自分が突然何を口走っているのだろう?と思わなくはない。しかし、ガンガンと響く頭痛と共に溢れてくる記憶があるのだ。


 「いつか...いつしか?あなたの.....うーん、なんちゃらかんちゃら?花乙女と、えーと、数人の騎士?男子?たち〜略していつ花の世界よ‼︎」

 「…何言ってるの、リリー…氷こぼしてるでしょ?食べ終わったのなら口を拭いて。」


 ルドルフは白いハンカチを出してリーリエの口を拭った。来年からは中等部に上がると言うに、目を離すとまだ小さい子のような事をする。

 ルドルフの再再さいさいの指導をもってしても治らなかったリーリエの奇行は今に始まった事ではないが、とうとう物語の世界の話でもしだしたのだろうか?

 ルドルフには乙女ゲームと言うのはわからないけど、乙女と言うからには女の子の読むお伽話の様なものだろうかと思った。


 しかし、そう、リーリエは転生者だったのだ。リーリエの言う所の『いつかあなたの元に届くまで〜花乙女と6人の騎士たち〜』略して『いつ花』。悪役令嬢ブームにより多岐にわたる作品がつくられたが、『いくつ花』はどのルートでも最後は悪役令嬢との好感度も上げて、共に切磋琢磨しなければ一人もクリア出来ない、一風変わったゲームだった。そんなゲームそっくりな世界に紛れ込んだ…。


 「兄様、兄様の学年にフィアツィント様っていらっしゃる?」

 「…まぁ、いらっしゃるね、ずっと。」


 フィアツィント・フォン・プロイセン、我が国の王太子である。学業は優秀、見目はもちろん一流、緩やかに波打つ少し長めの金髪を異国の美しい組み紐で結わえて、あの組み紐は誰が送った物なのかと女子達はキャアキャア言っていた。ルドルフが通う学校は色々な面で優秀な、いずれ国を支えるであろう若者たちの通う学校で、貴族だからとて必ず通える訳ではない。しかし、王族は中等部辺りから必ずその学校に通うこととなっている。その為、ルドルフと同年の王太子はルドルフが入学した年からずっといる。

 多分、貴族令嬢としてよっぽどの子供でも知らないはずのない事をリーリエは知らないのか?


 興味が無かったのだ。


 「リリー、それでそんな事に突然興味を持った理由を話してもらっていいかい?」


 『そんな事』で済まないのだか、年齢以外で王太子に交わることのない子爵家なのでスルーする。


 「フィアツィント様は『いつ花』の...えーと、モニョモニョ(人数を覚えていない)人の攻略対象者の一人よ。そして、ヒロインは私の親友のローゼ・リッシェ。」


 急に王太子の名前なんか(無礼者...)出してきたからどうしたのかと思いきや、自分の友達をヒロインだと言い出す妹。しかしこれまた王太子に興味を持ったわけで無いのならスルーする。ルドルフのスルースキルは高いのだ。

 ローゼ・リッシェは何度か会ったことがある。初等部からのリーリエの友達で、伯爵家の一人娘。長い少し癖のあるピンクゴールドの髪の、ぱっちりした青い目のかわいい女の子だ。もちろんリーリエ程ではない。(ルドルフ目線)


 「対するライバル令嬢はクリュザンテーメ・ヘンネフェルト様。黒髪のご令嬢よ。」


 ヘンネフェルト家は王家から分家した公爵家で先代の公爵が先王の妹を娶ったバリバリの中心貴族だ。確かに黒髪のご子息は居たような気はするが、正直、他の兄妹の事は覚えていない。


「いつ花のいいところは悪役令嬢はいなくて、ローゼもクリューも良きライバルなのよ。」


 はて?リーリエはヘンネフェルト嬢?と愛称で呼び合うほど仲が良かったのだろうか?ならば何故ルドルフがリーリエの交友関係を覚えていないのか!?どんなに思い返してみても今までヘンネフェルト嬢の名前が出てきた記憶は無い。

宰相をも務める公爵家とただの文官の子爵家に接点なんぞあろうはずも無い。


「アンチからは設定がぬるいとか言われたけど、私はタキニワタルアクヤクレイジョウモノノナカデモ、オタガイヲオモイヤレルユウジョウヲエガイタ『いつ花』はとてもすてきだと思うの。」


 途中なんだか出来上がった文章を読み上げるようつ雰囲気だったような気もするが、リーリエの妄想にしてはやけに話が出来上がっている。超絶かわいい(勿論ルドルフ目線、再び)が普段理路整然とした話ができないリーリエが...


 「リリ、大丈夫か?熱でもあるのか?」


 ルドルフはリーリエの顔を両手で挟み、心配そうにのぞき込んだ。リーリエは顔を真っ赤にしてルドルフに怒る。


 「リーリエはもう小さい子じゃないんだから止めてよ!」

 「ハイハイ。ごめんね、お姫様。」


 リーリエはプンッ!っと拗ねて横を向いてしまう。それすらも可愛いと目を細めて妹を見る姿は醸し出す雰囲気が12歳にしてまるで好々爺…中々に残念である。


 「わたしの推しはえーっと...グ、グラディ...グラディオーレ先輩だったのよね。」

 「ちょっと、リリ、スプーンから蜜が垂れてるから先にそれをなんとかして…」

 「おっと。」


 リーリエはスプーンを横からぺろりと舐める。

 行儀悪い事この上ない!これではまるで3歳児ではないか…と思いつつ3歳の頃のリーリエを思い出すルドルフ。リーリエと2歳違いの彼はその頃まだ5歳なのだかそこは筋金入りのシスコン、彼の記憶のリーリエ写真館に一切撮り逃しは無い。

 3歳の頃の可愛いリーリエを思い出してうっとりしているルドルフをよそに、リーリエは話を続ける。


 「どっちかっていうと見た目はアイゼン様の方が好みなんだけど…」

 「好み⁉︎」


リーリエの言葉で現実世界に引き戻されたルドルフ。

どういうことだ?3歳のリーリエが突然好み…いや、10歳だった…いや、接点の無い女子は良し。男子は...


 「リリリリリーお兄様はリリーにそんな話はちょっと早いんじゃないかと思うんだけど…」

 「やだ、わたしの名前を鈴虫みたいに呼ばないでよ。推しの話してるだけじゃない」

 「おおお、おし?すずむし?」

 「もう、やっぱりお兄ちゃん聞いてなかったし。」


 …リーリエが『お兄ちゃん』...しかし、悪くない。


「はぁい、 ごめんなさいお兄様。押しっていうのは…ん~、ファンみたいなものかな?」


リーリエは、一瞬怪しげにニヤニヤする兄を残念なものを見るようにチラ見したが、ほんの一瞬の事なのでルドルフは気付かなかった。


 ご贔屓みたいなもののようだと思って少し安心するルドルフ…いや待て、確か好みとか言っていた!


 「好みとはいわゆる嫌いじゃないって事だね?」

 「いや、好きって事っしょ。でもあたしの事じゃなくて、攻略対象者はみんなローゼの事を好きになるのよねぇ…」

「また出てきた!コウリャクタイショウ!ま、まさかと思うけど、殿下を含めて攻略する対象なの!?ローゼちゃんって何者!?」

「うーん...何者かって言われると、なんか変な感じね。ローゼって言うヒロインを中心にした物語りって言うか、ローゼ目線の...ま、そんな感じ!」


 グラディオーレンの名前は知っていた。多少だが話もした事がある。確か侯爵令息で、絵を描くのが好きで腕前も中々らしい。

 らしいが、嫡男ならアウトだ。趣味程度ならいいが、聞くところによるとグラディオーレン・ケッセルリングの描画好きは趣味の域を超えているらしい。物になればまだしも、本来なら侯爵家を継がなくてはならない令息が絵を描く事だけにうつつを抜かすと言う事は、妻になる者がそれの責任を負わなければならなくなる!そんな奴に可愛い妹を嫁がせなんぞしたら‥


 「リーリエ、お兄様はグラディオーレン君なら知ってるが、奴…彼はその、絵は上手いが、貴族としてはそうだな、いか、いかがなものかと…」

 「やだなぁ、そんなんじゃ無いってば。」


 しかし、次男や三男ならアリかも知れない。否定してからの折衝案だ。


 「貴族が画家に…いや、リーリエが望むならお兄様は血の涙を流しても…」

 「しつこいよ。」


 折衝案あえなく撃沈。妹に極寒の視線を向けられ、ガクブルの兄。

リーリエは若干の躊躇いもなく思い出すまま(オタクこの上ない早口で)説明だか独り言だかを続ける。


 「まあ、乙女ゲームの開始が私たちが高校…高等部に入ってからだから、問題はローゼが誰を選ぶかよね。」


 またリーリエの口から『おとめゲーム』との言葉が出てくる。

 妹大好きな兄は、本能的に合いの手を入れるタイミングが素晴らしい。オタクにとって絶妙なタイミングだ。


 「リリー、そのさっきから話している『おとめゲーム』とは何なの?」

 「ん~だから、あたしが前世でしてたゲーム?」


 ハグハグとかき氷を食べてまた『キーン』となった頭を抱える。

 聞く方の態勢が完璧でも、所詮リーリエ。説明が雑い事この上ない。リーリエは好きな事しか話さないタイプのオタクであった...

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