第47話 猫は海の見える公園の木に
「蓮、蓮、起きて」
明け方まだ暗いうちに、蓮太郎はあやめに起こされた。
「あやめが」
昨日寝る時、珍しく布団の上でなく中に入ってきて、蓮太郎とあやめの真ん中で丸くなって眠ったはずの猫のあやめは、そのまま冷たくなっていた。
「あやめ」
抱き上げると、いつもと変わらないはずの猫の体は何だかひどく軽く感じた。
「だいぶおばあちゃんだって、秀柾が言ってました。やっと秀柾に会えるね」
あやめは猫を抱きしめて泣いた。蓮太郎もあやめごと猫を抱きしめて泣いた。
猫はきれいな薄いピンク色の不織布にくるんだ。あやめがフラワーアレンジメントのラッピングを取っておいたものだ。いつも遊んでいたおもちゃと、旅路のお弁当にエサも少し入れた。
朝早くて申し訳なかったが、樋口に電話したら出たので、猫が亡くなったので公園に埋めていいか聞いた。
「構わないでしょう。白い魔女の希望であれば、大概の無理はききますから。それより雨野さん、羽町に聞いたんですがあれはどういう」
話が長くなりそうなので、蓮太郎は早々に電話を切った。
あやめは台所の花を花束にしていた。少し持っていって、猫のお墓に入れるのだ。蓮太郎も長過ぎる茎を切ったりして手伝った。
「まだ花がきれいなうちで良かった。もう蓮のお花屋さんないんだものね」
蓮太郎は少し笑った。
「イリスと佐々木さんよりあやめの方が立派な花束になっちゃったね」
あやめも小さな笑顔を返した。
「全部終わったら、私がもっともっと大きな花束をお供えするからいいの」
「それ、俺に作らせてほしいな」
「うん、作って」
笑っていたらまた涙が出てきて、2人で少し泣いた。
泣いたり笑ったりしながら公園へ向かった。
平日の早朝の誰もいない公園には、羽町がいた。にこやかにスコップを振る。
「この度はご愁傷様です」
羽町の表情は実ににこやかで、言葉と全く合っていない。蓮太郎とあやめは曖昧に笑った。まともに相手をして消耗するよりは、自分の中で折り合いをつけた方が効率がいい。
「自分、ここにくる前は陸軍にいたので、穴掘るの得意なんです。樋口さんに手伝うように言われてきました」
そういえば掘る道具を何も持っていなかった。蓮太郎は素直に感謝した。
羽町は海の見える木の下に、あっという間に小さな穴を掘った。得意と言うだけのことはある速さだった。
「もっと深くしますか!」
張り切る羽町には少し遠慮してもらって、蓮太郎はあやめと猫をそっと見守った。
猫を抱きしめて、あやめは目を閉じていた。最後のお別れをするように。蓮太郎は邪魔をしないよう羽町を連れて少し離れていた。
「そういえば雨野さん、あれ、樋口さんが手配しちゃいましたけど大丈夫ですかねえ。自分が相談したら、樋口さんが予算の心配がないならって鬼のように段取りして、何だかすごいことになってるんですけど。自分は相談しただけなんですが」
羽町が言い訳がましく無責任なことを言っている。羽町は結局手配しなかったらしいが、樋口につないでくれただけで上等だ。蓮太郎は大袈裟に感謝しておいた。樋口が骨を折ってくれたのなら、樋口にも礼を言っておかなくては。
「自分は効果があるならですよ、あるなら費用は惜しまないんですけど、いかんせん効果がですねえ」
あやめが猫をそっと穴の中に下ろした。蓮太郎は羽町に少しそこで待っていてくださいと頼んで、あやめのそばに行った。
あやめが猫のまわりに花を置いていた。蓮太郎も花を置き、じっと猫の顔を見た。猫は蓮太郎の膝の上で喉をぐるぐるしていた時と同じように、気持ち良さそうな顔で死んでいる。大好きな秀柾にはもう会えただろうか。
蓮太郎とほんの少しだけ一緒に暮らした猫は、思いのほかたくさんの思い出を置いていった。だから、とても悲しい。しかし、こんな死を見るのは久しぶりな気がした。
持ってきた花を全て入れ終えて、蓮太郎はもう一度猫をよく見つめ、そしてあやめを見てうなずいた。あやめもうなずき、顔が見えるようにめくっていた不織布を戻した。
「さよなら、あやめ」
あやめは土を手ですくって、そっとかけた。羽町が出番かと駆け寄ろうとするのを、蓮太郎は手で制した。手振りでもう少し待ってください、とその場に待機させる。
あやめは何度も土をすくってかけた。猫を包む不織布も、花も、見えなくなっていく。蓮太郎も土をかけた。猫はいずれこの土になり、この木になり、のんびり海を眺めるだろう。
埋め終えて、最後にあやめが小さな石を置いた。
公園の水道で手を洗い、あやめがようやく少し微笑む。
「すごく悲しい。でも、ちゃんとお別れができて良かった」
うん、と蓮太郎もうなずいた。どうしても別れが避けられないのなら、せめてこうして穏やかに見送りたい。
帰りかけて蓮太郎は羽町を思い出し、礼を言った。律儀にその場で待っていた羽町は気を悪くした様子もなく、にこにこしてまた穴を掘る時は呼んでください、と言った。蓮太郎は曖昧にうなずいた。おそらく今後穴を掘る用事はない。
あやめと手をつないで帰る。この道は猫を頭に乗せて通った道だ。あの重さがもう懐かしい。
「あやめがね、私を起こしてさよならって言ったの」
ひとりごとのように、あやめが呟いた。
「信じてくれる?」
あやめが蓮太郎を見上げる。蓮太郎はうなずいた。
「あやめさんにお別れが言いたかったんだね」
あやめは微笑んでうなずき、そっと蓮太郎の肩に寄り添った。
通勤時間が始まる町をすり抜けるように、2人で静かに帰った。
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