第22話 手は離さない


 敵機が襲来した。


「何だと!いつもはもっと間隔を置いてからなのに」

 ファウストが腹立ち紛れに図面の束を床に叩きつけた。


 先日乗ったものよりひと回り大きいデアクストスの前で、イリスは挑戦するように腕組みして言った。

「できてねえなんて言わねえだろうな。俺は約束は守ったぞ」

 ファウストは悔しそうに目をむいた。

「できては、いる。けど、もう少し」

「できてるならいいよ。あやめ、行こう!」

 あやめは不安そうに一瞬足を止めた。イリスが振り返り、戻ってきてあやめを抱きしめる。

「怖い?」

「……もし、あなたに何かあったら……」

「大丈夫。あれだけ一緒に考えたんだ、俺はあやめがいてくれたら大丈夫だよ。あやめのことも俺が守る。怖がらないで」

 あやめは小さくうん、とうなずいた。イリスはあやめの目を見据えた。

「行けるな?」

「うん」

 あやめはイリスの手をしっかりと握りしめた。


「何であやめの服脱がすんだよ!」

「接続が、片手じゃうまくいかないんだ!」

「見るなよ!」

「見ないと装着できないんだよ!」

 ファウストがイリスに殴られながら下着姿のあやめに装置を装着させていく。

 デアクストスと魔女を接続させるときに魔女が掴む椅子のレバーを動かせなかったので、その代わりにあやめの体中その代替装置を取り付けなければならないのだ。いつも薬で半分眠らせて出撃させる時の補助具を、急遽改造してセンサーを大幅に増強した。これは服の上からでは装着できない。それでも大急ぎでここまで完成できたのは、ファウストが天才だからだ。

 裸にしなかっただけ感謝してほしいくらいなのに。ファウストはこっそりイリスの足を踏んでやった。

「イリス、私は大丈夫よ、みんなもう見飽きてるんだから。博士の言うことを聞いて」

「俺が見られたくないの!俺だってまだちゃんと見てないのに!」

 あやめが取りなし、イリスは怒りながらあやめの手を握った。

 このまま、手をつないで戦う。そして、2人で生きて帰る。

「白い魔女機、輸送準備に入ります。作業員は退避してください」

 警報が鳴る。ファウストはコクピットから出た。イリスが叫ぶ。

「ファウスト、いいか、帰ったらもっと殴るからな」

「こんなことで帰ってこられたら殴られてやるよ」

 ファウストも言い返した。

 ファウストも目の前であれだけ操縦者を見送ってきたのだ。こんな奴でも、生きて帰ってきてくれたなら。

 輸送機に懸架されて戦場に向かうデアクストスを見送りながら、ファウストは急いで次の持ち場へ向かった。


 あやめの手が震えている。

 無理もない。これからが本番だ。毒からイリスを守らなければならない。

「あやめ、大丈夫だよ」

 イリスが手に力を込める。あやめは泣き出しそうな顔でうなずいた。

 戦闘区域の上空に到着した。秒読みが始まり、イリスの目の前が海と空で明るくなる。

 巨大なデアクストスが、白く輝いていく。


 動き出した。もう後戻りはできない。 


 敵は5機。前回よりは多いが、今回はこちらも大物だ。負ける気がしない。

 イリスは操縦桿を確かめた。重さはない。拒絶反応はない。

「出撃!」

 拘束が解かれ、落下が始まる。

 イリスは両手に固定してある銃をひとつ取った。狙いを定める。

「何?」

 敵機が一気に射程圏を外れるほど退いた。やむを得ず銃を諦め、ただ落下する。

 あちらからも撃たれるかと思ったが、それもなかった。

 海に降り立ち、イリスは銃を構え、周囲を探った。


「上だわ!」

 イリスははっと上を見た。


 あやめの声に反応できなければやられていた。

 上から、新たな敵機が降ってきた。しかも、このデアクストスと同じくらいの、他の機体よりひと回り大きな、青紫の機体が。

 振り下ろされた剣をぎりぎりでかわし、イリスは飛び退きざまに銃を撃った。前回敵機を貫いた弾は、この青紫の装甲には通用しなかった。1発は盾に弾かれ、もう1発は胸の辺りに命中したが、少し体勢をぐらつかせて装甲にへこみを作っただけだった。


 イリスは舌打ちして銃を投げ捨てた。剣を抜く。

「あやめ、接近戦だ。つらい思いをさせるぞ」

 あやめはイリスの手を強く握った。

「イリス、あなたを信じてる」

 イリスは笑った。

「さすが俺の魔女!」

 デアクストスが飛び出す。青紫は迎え撃とうと剣を振り上げた。デアクストスは青紫の目前で軌道を変えた。白く輝く水飛沫を青紫の剣が斬る。

 急な動きに振り回され、あやめが小さく悲鳴を上げた。

「あやめ!」

「大丈夫、イリス!」

 あやめを気遣いながら、イリスは青紫の後ろにまわり込んでいた。渾身の力を込めて脇腹から斬り上げる。


 イリスの中に、手で肉を切り裂く感触が伝わってきた。弾力、柔らかいところと硬いところ、温かさ、ぬめり。


 ぞっとして思わず青紫から離れる。

 イリスはあやめを見た。あやめがすがるようにイリスを見つめる。

 これか。あやめが耐えてきた感覚は。

 イリスは握った手に力を込めた。

 手は離さない。あやめが耐えてきたんだ。耐え切る。そして一緒に帰る。

「あやめ、行くぞ」

「はい」

 あやめも手を握り返した。イリスが感覚を共有し、共に背負ってくれることが心強い。


 あなたがいてくれる。イリス、私にはあなたがいてくれる!


 青紫が脇腹を削ぎ落とされながら追ってきた。胸の半ばまで剣が入ったはずなのに、動きが落ちない。デアクストスは剣を構え、回り込んだ。

「イリス、飛んで!」

 あやめが叫んだ。イリスはすぐに反応したが、読まれていた。青紫が剣を振るう。咄嗟に構えた盾に大きな衝撃があり、デアクストスは吹っ飛んだ。

 青紫の足元に、死角になるように身を低くして、先に退いたはずの敵機が潜んでいた。もう少し退くのが遅ければやられていた。

 デアクストスは何とか体勢を立て直して着水した。追いついた青紫がすぐに剣を振り下ろす。デアクストスはかわして距離を取ろうとするが、青紫はそうはさせじと迫ってくる。先に退いた他の敵機もどこかに潜んでいるのだろう。

 ファウストの補佐官が緊迫した声で告げる。

「白い魔女機、応援のデアクストスはもうすぐ到着します。もう少しです」

「うるせえ、他の奴らは出すな、俺たちだけで十分だ!」

 イリスは叫んだ。あやめはイリスを見た。握る手に力と祈りを込める。

 イリスは懸命に敵機をかわしながら叫んだ。

「俺たちを乗せてきた輸送機を戻してくれ!」

「逃げるのか?」

 ファウストの声がする。違う、とイリスは叫ぶ。

「パイロットの腕はいいんだろうな」

「お前よりは確実だ」

 そりゃいいや、とイリスは笑った。

「俺たちの真上を飛んでくれ、もう1度空から攻撃したいんだ」

「何だって」

 ファウストが絶句する。

 輸送機が見えてきた。その間も青紫の追撃はやまず、イリスは紙一重で攻撃をかわし続ける。

「ジャンプして掴まるからさ、落ちないでくれよ!」

 イリスが言うのと同時にデアクストスは高く跳び上がり、手を伸ばした。輸送機の腹に設置された懸架用の鉄鋼に何とか指がかかる。輸送機は大きく揺れたが、持ち堪えた。

「いいぞ!もっと高く飛んでくれ、あの青紫の真上まで!」

「バカか、不意打ちでなければ上空からの攻撃なんて的でしかないぞ!」

 ファウストが叫ぶ。イリスはあやめの手を握った。

「あやめ、信じろ、空は俺の庭だ!」

「はい、イリス」

 あやめの目に迷いはなかった。イリスは笑った。


 輸送機が高度を取る。青紫が空を見据え、剣を構える。まわりの敵機も空からならよく見えた。5機、全て位置を把握する。

 デアクストスが手を離した。落下が始まる。

 青紫が待ち受ける。白いデアクストスが空を裂き、白く閃く。

 青紫が剣を振りあげたその時、デアクストスは腕に固定されたまま銃の引き金を引いた。衝撃があり、反動でデアクストスの軌道がわずかにずれる。

 青紫の剣は一瞬そのずれに対応できなかった。

 青紫の剣が空を切り、白いデアクストスは全身を剣にして青紫を両断した。


 その瞬間、イリスの中で断末魔が響き、引き裂かれそうな痛みが襲ってきた。

 恐怖、絶望、怨嗟、耐え難い苦痛。

 全てがバラバラになりそうな中で、すがりつける確かなものが、柔らかく温かい感触が、イリスの手にはあった。

「あやめ……!」

 あやめも耐えているはずだ。イリスは手の感触に集中した。

「あやめ」

 声が出ているのかもわからない。どれだけ続くのかも。

 イリスは懸命に意識をつなぎ、一番近い敵機に照準を合わせた。固定されたままの腕から外すこともできないで銃の引き金を引くと、弾は当たらなかったが敵機は引き上げていったようだ。

 気が遠くなる。まずい。イリスは必死にあやめの手にすがった。

「あやめ」


 コクピットが開いた。

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