第18話 ササリアと大ムカデ

「ここまでは順調ですね」


下り坂を目の前にしてササリアは言った。


あの後、30分程休憩をして再びダンジョンを進み、1時間程歩くとこれまでとは違う下り坂の通路に到達した。


その間に魔物との遭遇は無かった。


昨日、ササリアは目的地が「地下2階、祝福の泉」と言っていた。


この下り坂の先が地下2階なら半分ほど進んだことになる。


「半分くらい進んだのか?」


「半分より少し進んだくらいですね」


総士郎の問にササリアは答えた。


ここまで4時間弱で半分か。この先も順調に進んで8時間で辿り着けたとしても日帰りには少し難しい位置に目的地はあるようだ。


そう考えながら下っていく通路を見ているとササリアがメイスとバックラーを構えた。


「何か来ます。たぶん魔物ですね。準備してください」


ガリガリと地面を引っ掻くような音が総士郎にも聞こえた。しかし、音は下方からではなく上方から聞こえる気がする。


「ひっ」


ササリアが硬直すると同時に下り坂の天井に張り付いたそいつが姿を表す。


幅が50センチを超える胴体は濃い茶色、数多ある足は紫、そして、その頭部には赤い宝石が輝く、1体の巨大なムカデだ。


頭の部分だけが総士郎の持つメイスにくっついた灯りに照らされている。全長はわからない。胴の太さが50センチを超えているので全長30メートル以上あるかもしれない。


「ナートトナ ミ、ラン、ロキ、ルー、ルー、ミエ」


総士郎はメイスを左手を持ち替えてミエ級の風の戦斧をその頭部に向かって放つ。


ガンッ


鈍い音。


大ムカデはその先端から1メートル程のところに「風の戦斧」が直撃したが両断されない。僅かな傷は入ったようだがほとんど無傷に近かった。


「なっ?」


風の戦斧でほとんど傷をつけられないという初めてのことに総士郎が驚いていると。


「ガアッ」


大ムカデは大きな牙が左右に付いた顎を広げて、総士郎より前方にいたササリアに襲いかかった。


「きゃあ」


ササリアはその攻撃をバックラーで受けたがそのまま後方に突き飛ばされる形で転ぶ。


「ササリア!?」


ササリアがバックラーでの防御に失敗した?


「だ、大丈夫です」


すぐに立ち上がったササリアだがいつもとは違い腰が引けているように見える。


「こ、、このサイズの、お、大ムカデは風の属性の魔法は効きにくいです。炎か氷が、いやぁーー」


喋っている途中で、もう1度、大ムカデの攻撃を受けたササリアは、いつもと違い攻撃をなんとかそらす形で防ぐ。


やはり腰が引けている。ササリアの様子が何かおかしい。


「ソルルイン。ミ、ラン、ロキ、ロキ、ルー、リン!」


イヤな予感のした総士郎は大ムカデの胴に向けて炎の矢を全力で放った。


ゴウッ!


「きゃあ!」


総士郎から15メートル、ササリアから10メートル程先の大ムカデの胴を中心に半径5メートル程の巨大な火球が形成される。


魔法の威力が強すぎてササリアの方まで熱気が迫る。


「しまった!大丈夫か?」


「だ、大丈夫です。ありがとう、、、ございます」


火球から下がりながらササリアは答える。


熱気は火傷などをするほどではなかったようだ。総士郎は安堵する。


「私、ムカデだけは本当に、本当に苦手で、それに、大ムカデはもっと深い階層で出てくるはずで、、、」


目をうるうるさせながらササリアは言う。


様子がおかしかったのはムカデが苦手だからだったらしい。


そう言えば、最初にダンジョンの話をしたときも「西の地下迷宮。あまり行きたくはないですけど」と言っていた。それも、たぶん大ムカデが出るからなのだろう。


「危ないっ!」


その時、急にササリアに突き飛ばされた。


ガッ


鈍い音。


ササリアが大ムカデの攻撃をバックラーで受け止めてる。


胴の先は焼け落ちてしまい、体長が2メートル程になってしまった大ムカデの頭部がササリアのバックラーに食らいついていた。


大ムカデは、死にかけ、と言うか少し時間が経てば死亡が確実な状態になっても魔物として人間を襲う意思を持っていた。


ギチギチギチギチッ


大ムカデの頭部はイヤな音を立てながらササリアのバックラーを押し込もうとしている。


「くっ」


総士郎は態勢を立て直したがこの状態では魔法を放てない。さっきのようにササリアまで巻き込んでしまう。


どうしようかと焦る。その時、


「、、、い、イヤ」


ササリアが弱々しく呟きにながら右手のメイスをゆっくり振り上げた。


「ホントに、ホントに!イヤーーーー!」


ササリアは「気」によっていつもより強く発光し、メイスをもの凄い勢いで振り下ろした。


グチャッ


イヤな音と共に大ムカデの頭部は砕けた。そして、その内部の黒い体液が激しく飛び散る。


ビシャ


ササリアにも体液がかかる。


「っっ!いや!もういや!」


ササリアはもう1度叫んでメイスとバックラーを投げ捨てた。


そこでようやく大ムカデの体はササリアから離れた。


「う、ううううぅ、、、気持ち悪いよぅ、、、」


そして、そのまま女の子座りでへたりこむと両手で顔を覆ってマジ泣きし始めた。


「うえ、うぇ、うううぅ、、」


数瞬、戸惑ったがすぐに潰れた大ムカデの頭部に近づき、もう動かないことを確認する。そして、それをササリアから遠ざけるように移動させた。


浮く絨毯に積まれた麻袋から手ぬぐいを取り出す。


「ほら、もう大丈夫だから」


へたりこんだササリアの前にかがんでその髪に付いた大ムカデの体液を拭いていく。


「ううぅぅ、ソウシロウさぁぁん」


ササリアは総士郎に抱きついた、と、いうかしがみついた。


「もう大丈夫、大丈夫だから」


総士郎はそう言いながら左手でササリアの頭を撫でるようにしながら、右手の手ぬぐいでムカデの体液を拭いていった。


ササリアが泣き止むまで頭を撫でながら「大丈夫だから」と繰り返した。その間かん、5分くらいだろうか?


総士郎はササリアの頭を撫で続けた。




総士郎は生きた心地がしなかった。


今、魔物に襲われるとかなりマズイ。ササリアはこの通り戦闘不能なので自分が前に出なければならない。魔法を使っての近接戦闘、しかもササリアを守りながらなど想定していない。


すでに戦った中で一番弱そうな鼠でも数が多ければ捌ききれる自身がなかった。


「早く正気に戻ってくれ!」


そう祈りながら、魔物が接近すれば少しでも早く気がつくように周囲に神経を配りつつ、ササリアの頭を撫でるのだった。




「ご、ごめんなさい。私、」


ササリアがようやく総士郎から体を離した。


「大丈夫だから」


そう言いながらササリアの頭部をもう一度撫でた。


「手、汚れたままだし、洗おう」


絨毯の上の大きな樽の1つをを開ける。中には飲料水にもできるきれいな水が入っていた。


「手、出して」


柄杓でその水をすって、差し出された両手にゆっくりとかけた。


ササリアは手の甲に僅かに付いていた黒い液体を洗い流すために手をこすり合わせる。


「もう一回」


もう一度柄杓で水をすくい、両手にかけてあげた。


「次は顔だな」


ササリアは両手で受けた水で顔を洗った。それを2回行う。


総士郎はすでに汚れてしまった手ぬぐいではなく、新しい手ぬぐいを渡した。


「も、もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」


顔を拭くとササリアは笑顔を見せた。無理やり作った笑顔だったがその瞳には理性がしっかりと宿っている。


「そうか。よかった」


そう言った総士郎はやっと解けた緊張で倒れそうになるのをなんとか堪えることが出来たのだった。

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